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漫画の話です。

『君が肉になっても』「君」の名は……の話

先日レビューした、とこみち先生の『君が肉になっても』。
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その中では触れなかったんですが、このタイトルについて、ちょっと考えたことがあります。
それは、この「君」ってだれのこと?という疑問です。
普通に考えれば「君」は、肉の塊になったまきで、そう呼びかけているのがひななのでしょう。君がたとえ肉に、バケモノになってもそれでも私は一緒にいる、最後までずっと一緒にいるよ、という、物語の終盤をひなから見たタイトルです。グロくも悲しく美しいタイトルですね。
ですが、これを逆転させることもできそうだと思うのです。すなわち、まきがひなを「君」と呼び掛けているのではないかと。
そうすると、君にが肉になるとは、ひなが肉に、つまり、バケモノになったまきの食べ物になる、ということです。実はこの作品、タイトルの英訳も"Even if you become meat"で、"meat"とは、魚肉や鶏肉と区別した食用の肉を意味します。それを踏まえると、"become meat"とは、食べ物になるということ。たとえ君が食べ物になったとしても。このタイトルは、生命を貪り食うバケモノになったまきの視点であってもおかしくなさそうです。
であれば、「肉になっても」の続きはなんでしょう。ひなが食べ物に見えても私は食べない? ひなを食べてしまっても私たちは友達?
最終話で、もう私を食べてもいいよと言うひな。ひながいなくなったら生きていけないというまき。人間でいるときのまきの気持ちはそのとおりなのでしょう。ひなを食べるなんてとんでもない。でも、ひとたびバケモノになったとき、そこにひながいたら、まきは捕食を止められるのでしょうか。それはおそらく否。もっと小さく、飢えがそこまででなかったときでさえすんでのところでひなを助けたに過ぎないのに、しばらく生命を食べていない状態でひなを見つけたら、理性が仕事をするとは思えません。
だからきっと、もしそのときが訪れたらまきはひなを食べるでしょうし、それをしてしまったまきは、自分で言ったとおり、もう生きていくことはできないでしょう。
そしてたぶん、そのときが訪れるのは、ひな自身の考えによるもの。もう限界になったまきの前に、自らを差し出すひながありありと想像できます。ネコよりはまきで、他の友達よりはまきで、自分で誰かに手をかけるよりはまきで、と天秤を傾けてきたひなが、最後にもう片方の皿へ自分自身を乗せることは、物語の中の彼女を考えると実に自然です。
さらに言うなら、まきはそれすら想像してるんじゃないかなと思います。きっと、ひなは自分に彼女自身を食べさせる。自分は彼女を食べずにはいられない。そして元に戻れば後悔と自責(と実際的な食糧不足)でそのまま死ぬ。最後にひなを食べて、そのまま。
だから私は思います。まきから見たタイトルの続きは、「君が肉になっても」ずっと一緒だよ、なのだと。奇しくもそれは、ひなから見たタイトルの続きと同じです。少し違うのは時間軸。ひなが見ているのは物語の終り。まきが見ているのは物語が終わった後。
本編最後のページで、手をつないでこちらに背を向けて歩く二人。その歩みはたぶん同時に止まれないのですが、それでも二人は一緒に歩くし、最後まで一緒なんですよ。最後まで。
何度でも言いますけど、救いがないのに穏やかな終わりって、最高ですね。



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人喰いのバケモノになっても、世界で二人きりになっても『君が肉になっても』の話

女子高生・ひなは、ある夜街を歩いていると、路地の奥になにやら蠢くものを見つけた。肉の塊としか表現しようのない大きな蠢くもの。それはなにかを食べていた。噎せかえるような血臭もした。夢かと思ってしまうような光景の中、ひなは気づく。それには、友人のまきがいつもつけている、特注品のピアスが付着していた。果たして翌日、ひなはまきに、その光景をおさめた写真を見せてみた。まきは言う。「なんで私の夢の写真持ってるの?」と。こうして、肉が肉を食う悪夢の幕が開けていった……

ということで、とこみち先生の新作『君が肉になっても』のレビュー&感想です。「ともだちが人喰いのバケモノになりました」が惹句の、ホラーサスペンスでサイコサスペンス、そして、さびしく美しい青春の物語です。
そう、さびしさと美しさ。それがこの作品の魅力であると私は思います。
なにがさびしいのか。それは、救いがなくなっていく世界で、救いが訪れないまま二人が終わりに向かっていくこと。
なにが美しいのか。それは、救いがなくなっていく世界で、二人は二人お互いがずっと救いであったこと。
物語は、ひなが路地でバケモノを見かけるところから始まります。明らかに異様な存在。ぶちまけられた血。たちこめる血臭。現実とは到底思えない現実を前に、ひなはスマホで写真を撮り、翌日、そのバケモノについていたピアスの持ち主である、まきに見せました。もちろんそれは何の気なし。普段通りの姿で登校していたまきを見て、彼女がそのバケモノか、とは思っていません。でも、まきは言いました。「なんで私の夢の写真持ってるの?」と。夢と現ががつながる、嫌な感覚。
よくよくまきの話を聞いてみれば、昨夜寝入った彼女は、夢の中で肉のバケモノになり、空腹を覚えながら街をはいずりまわり、たまたま見つけた人を食べたのだといいます。そしてその最後の部分は、まさにひなが見かけたシーンで、写真におさめられたシーン。
夢だと思っていたことが現実かも知れない。自分はバケモノになってしまったのかもしれない。まきは不安と恐怖と何より混乱で、頭を抱えます。
こうしてホラーの幕が開くのですが、ここで同時に開くのがサイコサスペンスの幕。誰が開けたのかといえば、ひな。
彼女は夢の一部始終を語り終わったまきに聞きます。
「味は?」
「おいしい? 牛豚鶏だったらどれっぽい?」
「機会があれば一度食べてみたい」
それ今聞くこと!?となるような話を、まじめな顔してまきに尋ねるのです。自分がバケモノになったのかと悩むまきに。
倫理のネジを何本も忘れ来たようなひなが、この作品にただのホラーにとどまらぬコメディめいた狂気と、まきとの間のいびつでとてもまっすぐな関係を生み出しています。
他にもたとえば、再びバケモノになったまきが、あやうくひなを食べかけた事件があります。かじりつきそうになるも、かすかに残った理性でなんとかひなを遠ざけたバケモノは、かわりにすぐ近くを通った野良猫に目を奪われ、あっという間に食べつくし、姿を消します。
翌日、バケモノになっていた間のことを覚えていたまきは罪悪感にさいなまれますが、なんでもない顔をしてひなは言います。
「かわいそうだけど 仕方なかったよ まぁ うちのじゃないし
うちのよしこを食べたんなら話は変わるけど 知らないねこを食べただけじゃん
そんなことで嫌いになるか」
これを、彼女を慰めるためというような調子ではなく、あくまでただの事実を、それに対する主観的な評価を告げるだけの、淡々とした調子で言うのです。いえ、もちろん彼女を慰めてもいるのでしょう。でも、その慰めで他の命があまりにも軽々しく扱われていては落ち着きません。
ひなはまきを好きだといいます。それがどういう感情なのか。最後まではっきりしたことは言いません。でも彼女は、バケモノになるまきでも、自分を食べようとしたまきでも、友達を食べたまきでも、好きだというのです。あまりにもまっすぐな親愛は、時として狂気と変わりません。
そしてついに、学校でもバケモノになってしまったまき。もう普通には生きられないと思った二人は、逃避行に出ました。どうなるかもわからない、どうすればいいかもわからない、目の前の問題から目をそらすためだけの、本当にただの逃避。
普通の食事を受け付けなくなってしまったまきは、このまま死ぬつもりだといいます。でもひなは、二人でおばあちゃんになるつもりで逃げたのだといいます。でも、まきは普通の食べ物を食べられない。体力は落ちるばかり。じゃあどうするか。
ひなが選んだのは、まきが食べられるものを用意すること。より正確に言えば、バケモノになったまきなら食べられるもの。つまり、人。それを躊躇なく実行できるのがひなです。
ほかの人間とまきを天秤にかけたとき、ノータイムで後者を選べる。
平気で暴力的な手段に訴えられる。
二人で生きるためなら、別の人間を差し出せる。
それが、ひな。
こうして、まきの体力の問題は解決しました。しかし実は、まきがバケモノになるようになったのと時を同じくして、世界中で、まきのようにバケモノになる人間が発生していたのです。
驚くほどに早く、世界は崩壊しました。半年以上もたてば、もうほかの人間を見かけなくなるくらいに。世界に二人きりだと思ってしまうくらいに。床の抜けたホラーとサイコサスペンスは、あっという間にポストアポカリプスの世界に様変わりしたのです。
誰もいない世界で二人。ひなはともかく、もう栄養を取れないまき。残された時間は多くありません。残された道も多くありません。食べないで死ぬか、ひなを食べた後に死ぬか。ほんの一人分の栄養(文字通りの)はたかが知れています。どっちを選んでも大差はありません。寿命がほんの少し伸びるだけ。
誰もいない世界で、誰もいない学校に戻って、自分の席に座りながら、ほんの少し先のことを話す二人。ほんの少ししか残されていない先のことを。その情景は、とてもさびしくて、とても美しいのです。
もう何が起こらなくても、何が起ころうとも終わるしかない二人。それを従容と受け入れている二人。私はそういう世界がことさら刺さるのかもしれません。たとえば『少女終末旅行』みたいな。
どんづまりの虚無の中で、まるで救いのない世界で、お互いがお互いを、友情とも愛情ともつかないなけなしの救いだと感じている、終末の穏やかさ。めちゃくちゃぶっ刺さる。
現在、全7話のうち3話まで無料で公開されています。
seiga.nicovideo.jp
ちょっとグロ要素がありますが、ぜひ読んでほしい作品です。


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俺マン10'sの話

俺マンの2010年代の総決算として企画された俺マン10's。
俺マンについて – #俺マン10s 特設サイト
基本的な選考基準は

対象は「2010年代(2010年〜2019年)に読んだ作品」ではなく、「2010年代(2010年1月1日〜2019年12月31日)に単行本が刊行された作品」とします。同期間に単行本が刊行されていない作品(雑誌掲載のみ)の作品は今回は除外しています。刊行さえされていれば同人誌、電子のみの刊行作品なども可とします。期間中の刊行であれば1巻、完結巻、新装版などは問いません。

とのこと。なお、個人のノミネート数は5~25作品。
さて、毎年の一年単位のものならいいんですが、10年間の中で、となると結構難しいですよね。5年前に刊行され当時は10段階の10と思ったけど完結してしばらく経った今は7くらい、という作品と、今まさに連載中で10段階の9の作品、果たしてどっちが選ばれるべきなのか。まあそこらへんも含めて各々に任されている企画だと思いますので、私の基準は読んだ時点での感情の振れ幅が大きかった作品。完結してしばらく経ったりして、今の時点では当時から多少評価が変動していたとしてもそれはそれ。今振り返って当時はすげえ心揺さぶられたぜってものから、今まさに激熱ってものまで、以下ラインナップしていきます。なお、基本的には順不同ですが、便宜的に完結済みのものと連載中のもので分けています。ばっと作品を羅列して、以下一言と過去に書いた記事というかたち。

まずは完結グループで9作品。
BLUE GIANT SUPREME/石塚真一
子供はわかってあげない/田島列島
プリンセスメゾン/池辺葵
・月曜日の友達/阿部共実
・映画大好きポンポさん/杉谷庄吾
少女終末旅行/つくみず
・銀河の死なない子供たちへ/施川ユウキ
ハックス!/今井哲也
・25時のバカンス/市川春子

BLUE GIANT SUPREME/石塚真一小学館
無印もいいですが、『SUPREME』の方が、大の向上した演奏力や尖った人間性がより見えて好き。演奏シーンと、演奏後のメンバーの描写が大好き。

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子供はわかってあげない/田島列島講談社
中学時代に読んでたら男子校なんか選ばなかったし、高校時代に読んでたら男子校に来たことを七転八倒して後悔していたいに違いない最高のボーイ・ミーツ・ガール。さわやかであまずっぱく軽妙でコミカル。そして人類学の知見がそこかしこに。

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プリンセスメゾン/池辺葵小学館
一人で生きることの、寂寥とも諦観とも希望とも自由ともつかない、様々な感情のたゆたいが、年を取るごとにひどく染み入ります。

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●月曜日の友達/阿部共実秋田書店
抒情的な一人語りと、ポップでキッチュなモダンアートじみた絵。思春期の不安さが阿部ワールドで描かれるとこんな風に。
AMAZARASHIとコラボした楽曲、『月曜日』も最高。

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amazarashi『月曜日』“Monday” Music Video|マンガ「月曜日の友達」主題歌


●映画大好きポンポさん/杉谷庄吾(KADOKAWA)
マグマのように見えないところで沸き立つ情熱は、ひとたび道を与えられると、狂おしいほどの熱量で世界を変えるほどに焼き尽す。このおもしろの奔流がわずか1巻で納められてる。そのコンパクトさが、まさに本編最後のセリフとリンクしてすばらしい。

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少女終末旅行/つくみず(新潮社)
二人の旅の終わりが世界の終りでそれがそのまま二人の終り。人類の静かな滅びが美しくて悲しい、最高のポストアポカリプスものの一つ。


●銀河の死なない子供たちへ/施川ユウキKADOKAWA
不老不死の子供が初めて出会った、普通の子供。すなわち成長していつかは死ぬ存在。触れたからには真正面から取り組まざるをえないクッソ重いテーマを真正面から描き切った名作。2巻というコンパクトなサイズだからこそ、真っ向からの答えをかけたのかなと思う。

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ハックス!/今井哲也講談社
もののとらえ方、考え方が、すごく自分にしみこみやすい作品。というか作者。

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●25時のバカンス/市川春子講談社
今回唯一の短編集。美しい異形とすっとぼけたような軽妙な会話のギャップが素敵。

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続いては、連載中グループで6作品。
・ワンダンス/珈琲
・水は海に向かって流れる/田島列島
3月のライオン/羽海野チカ
HUNTER×HUNTER/冨樫義博
ダンジョン飯/九井諒子
GIANT KILLING/ツジトモ綱本将也

●ワンダンス/珈琲(講談社
音が見えて、ダンスが聞こえる漫画。サブスクで作中で登場する曲を聴きながら読むと、思わず動き出したくなる。
カボの成長に胸が熱くなり、ワンダがかわいい。

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●水は海に向かって流れる/田島列島講談社
田島列島先生の連載2作品が両方ノミネート。こちらはボーイ(15)・ミーツ・ガール(26)。
重いテーマを軽妙に描き出すそのタッチは変わらず。

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3月のライオン/羽海野チカ白泉社
零君とひなちゃんがようやく結ばれたことに喜びを隠せない。
ちょうど現実世界では藤井棋聖が史上最年少のタイトルホルダーになったところですね。

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HUNTER×HUNTER/冨樫義博集英社
早く再開して。

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ダンジョン飯/九井諒子KADOKAWA
とにかく「面白い漫画」という感じ。漫画が面白い。

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

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GIANT KILLING/ツジトモ綱本将也講談社
こんだけ長期連載して、多少の浮き沈みはあれど面白さをキープできるのはすごい。カタルシスの開放がうまいんだよな。

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ということで、全15作を今回のノミネート作といたします。面白い作品はもっとたくさんありますが、泣いて絞ってこの15作。
こうして俯瞰してみると、かわいい絵柄で熱量が大きい作品や、複雑な感情を丁寧におもねらず描いてる作品が強いなという感じですかね。
ドストレートなギャグ漫画や、ドストレートの恋愛漫画はあまり読まない様子。
さあ、20年代はどんなおもしろい作品に出会えるでしょうか。

『よふかしのうた』セリと秋山と対等な友達の話

前回の記事では、コウの行動原理について書きました。
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簡単にまとめれば、コウはナズナを好きになろうとしていますが、それは手段としての恋であり、最終的な目的は、彼女が示した価値観で生きることだ、ということです。
まだ恋をしたことがない少年が吸血鬼になるためには、自分の血を吸う吸血鬼に恋をしなければいけない。
でも、恋ってなんだろう。好きってどういうことだろう。
それがわからないからこういう状況になった彼が、その状態にならなければいけない(しかも一年以内に)(しかも生命を賭けて)という皮肉も、本作の面白味の一つなのですが、では、その好きだの恋だのといった難問を本作ではどう描いているのか。
本稿では、その一つであるセリと秋山の関係について考えたいと思います。

セリの描写の不明瞭さ

3巻にてついに登場したナズナ以外の吸血鬼。眷族を増やし子孫繁栄を目的とするのが吸血鬼ですが、その中の一人であるセリは、「この世で最もモテる存在」であるところのJKに扮しています。
いかにも軽薄そうな調子で男性と知り合っているセリですが、3巻の後半では、彼女と、彼女のストーカーと化したメンヘラこと秋山に焦点が当てられています。最終的にはセリが秋山を眷族にする、すなわち、セリに惚れた彼の血を吸うことでお話は一段落しましたが、私のつい勢いで読んでしまう癖ゆえにか、この流れがわかるようでわからない、わからないようでわかるという、印象深いわりにはなんとも曖昧な理解で終わってしまい、いくつかの疑問が残りました。
たとえば、
Q1 「恋は盲目」の話を秋山から聞いたときに浮かべていた、思わしげな表情は何なのか(3巻 p173)。
Q2 なぜ恋愛上手な吸血鬼が、秋山の感情を拗らせるような悪手を打ったのか(3巻 p177)
Q3 なぜ「今回に限って」秋山を殺そうとしたのか(3巻 p182)
Q4 眷族祝いのカラオケに行ったときに浮かべていた、思わしげな表情はなんなのか(3巻 p201)。
と、作中で答えが言葉にされているものもありますが、その答えが直截的すぎてよく呑みこめなかったりしました。ただ、とどのつまりそれらは、
Q5 セリにとって秋山は結局どういう存在だったのか
という疑問に集約されます。
彼女の言ったとおり友達なのか。それとも恋愛感情があったのか。あるいは別の何かなのか。
この疑問を解き明かすべく、セリと秋山の関係を詳しく見ていきましょう。

恋愛が楽しかったはずのセリ/「恋愛なんて脳のバグ」の秋山

まず、秋山と知り合った時点のセリです。
ナズナ以外の他の吸血鬼と同様にセリは、種の目的(子孫繁栄)に忠実に、積極的に男どもを誑し込み、そこに楽しみも感じていました。

恋は盲目 という言葉がある
盲目な男を相手にするのは楽しかった。
すべて自分の思うがままだった。
(3巻 p171)

しかし彼女は、そんな生活に「いつしか飽きを感じ始め」てしまいました。

飽きちゃったんだよ そういうの。
退屈なんだよ でもこんなの誰に言えばいいんだ?
「人との関わり全てに"恋愛”がついてくることに疲れちゃった」なんて。
(3巻 p188)

そこに何か理由はあるのか、他の吸血鬼も似たようなことを感じるのか。それはわかりませんが、とにかく彼女は飽きてしまった。
そんなときに出会ったのが秋山でした。
彼との出会い方は、他の男性との出会いと大差ありません。すなわち、いかにも男性が惚れてしまいそうな、吸血鬼らしい出会い方。
飽きを感じていようと、セリはそれ以外に人間との付き合い方を知りません。ですから、秋山にもいつものような態度で声をかけたのです。
しかし、秋山は他の男とは違いました(少なくともセリはそう感じました)。

「恋愛感情なんてひとときの脳のバグでしかないんだ。
そんなものに縛られるなんて馬鹿馬鹿しいと思わないかい?」
知らなかった
そんなこと思う人間がいるなんて考えたこともなかった。
今まで覚えたことのない感情だった。
もしかしたら 
この人間となら
(3巻 p171)

恋人にフラれたばかりの大学生がイキって言うには似つかわしすぎる秋山のセリフですが、こんな言葉をセリに言う人間は今までいなかった。
それはそうでしょう。彼女が人間の男と接するのは、食事のためか、眷族を作るためか。前者であればおそらく、後に自分が血を吸われたとは思わないような形で接するはず*1。ですから、実質、人間と接するときはほとんどの場合で眷族を作るため、すなわち相手を自分に惚れさせるように接していたセリが、その当の相手から「恋愛感情なんてひとときの脳のバグ」などと、恋愛を否定するようなことを言われるはずはないのです。なにしろ吸血鬼は恋愛上手なのですから。
しかし、秋山はそう言い放った。それがセリには新鮮だった。「今まで覚えたことがない感情だった」くらいに。「もしかしてこの人間となら」今までとは違う関係を築けるのではないかと思うくらいに。

セリの新しい関係「友達」

今までとは違う関係。それはセリ曰く、そして秋山曰く、「友達」でした。
友達。それはセリにしてみれば、恋愛がつきまとわない関係。飽きてしまった、退屈してしまった、疲れてしまったそれとは違う関係。
高校からの恋人からフラれたばかりの秋山は、当初は「恋愛なんて脳のバグ」と恋愛を否定するようなことを言い、セリに恋愛感情を見せはしませんでした(実のところ、彼は当初からセリに好意を持っていましたが*2)。だからセリは、彼と友達になれると思った。恋愛なんて無関係に付き合えると思った。そして実際セリは、その関係がとても新鮮で、とても楽しかったのです。
二人の関係がどのくらいの期間だったのか、それはわかりませんが*3、いい意味で甘くない蜜月は長く続きませんでした。セリは気づいてしまったのです。結局自分は、他の人間と同じようにしか秋山と付き合えないのだと。

でも普通の友達みたいなコミュニケーション 知らないんだ。
無意識で相手を惚れさせようと振る舞っちゃう
あ、今押せばこいつあたしのこと好きになるなって
気付いたらそんなことばっかり考えてる。
(3巻 p188)

秋山と「友達」として喋っているはずが、無意識の裡に恋愛を振舞にからめてしまう。どうするれば相手を自分に惚れさせられるか考えてしまう。秋山が自分に惚れれば、もう「友達」ではいられなくなってしまうのに。
そもそも、セリにとって友達とはどんな存在なのでしょうか。
それを考えるにはまず、彼女にとっての友達じゃない人間とは何かを考える必要があります。
上にも書いたように、彼女にとっての人間は、食事か眷族候補でした。そして、実際にコミュニケーションをとっていた後者をどうとらえていたかと言えば、「盲目な男」であり、「すべて自分の思うがまま」だったのです。また、吸血鬼にするための条件は、吸われる側が吸う側に恋をしていることであり、その逆は必要ありません。まったく非対称な関係性です。
ということは、そうではない人であるところの「友達」とは、盲目ではない男であり、自分の思うがままにならない人間だと言えるでしょう。それはつまり、対等な付き合いのできる存在です*4

A1 友達とはずっと友達でいられるのか

秋山は、今まで(食事以外では)恋愛を絡めたコミュニケーションしかとることのできなかったセリに対して、「恋愛なんて脳のバグ」と、それまでの彼女を否定するようなことを言いました。それは、秋山がセリの思うがままにならなかったということです。彼女を否定してくれる(無批判に賛成しない)のは、対等な相手だからです*5。それが彼女には新鮮で、楽しかった。
でも、彼女は気づけば、それまでと同じように、どうすれば秋山を惚れさせられるかということを考えてしまっています。秋山が自分に惚れてしまえば、「恋は盲目」になってしまえば、もうこんな楽しい会話もできないのに。
それに気づいてしまったのが、まさに「恋は盲目」の話をしていたときにセリが浮かべた表情だと思います。

かの…元彼女に対しての感情を 今思い返すと ちょっと異常だったなって思うこともあるよ。
無意味な心配をしたり嫉妬深くなったり…
正直、そんな状態になって自然に会話ができなくなるなんて気持ち悪いもんね。
(3巻 p173)

このまま秋山との関係を続けていけば、いつか自分は彼を自分に惚れさせてしまうだろう。「気持ち悪い」状態にしてしまうだろう。それにセリは気づいてしまった。でも自分は、それ以外の付き合い方を知らない……

A2 最悪よりは、それより一歩手前の方がマシ

だから彼女は、(あくまでコウが考えるところですが)恋愛上手の吸血鬼にもかかわらず、秋山に嫌われるような態度をとった。友達じゃなくなってしまうなら、秋山が自分を好きになって、対等じゃない関係になってしまうくらいなら、まだ嫌いになってくれたほうがいい。そうすれば、少なくとも自分を嫌っている分だけ、「思うがまま」な存在ではないから。
これが、セリが秋山の感情を拗らせる悪手を打った理由だと思います。秋山がセリの意図から外れ彼女を嫌いにならず、メンヘラと化してストーカー行為をするようになったのは、今まで彼女がそんなこと(意図的に自分を嫌わせる)をしたことがなく、加減がわからなかったから、でしょうか。

A3 最悪よりは、それより半歩手前の方がマシ

では、そんな彼女が秋山を「今回に限って」殺そうとしたのはなぜなのでしょう。
それは上記とも関連するのですが、彼に、自分の思うがままにならない人間であってほしかったからではないでしょうか。
秋山とは友達でいたい、対等でいたい。でもできそうにない。惚れさせるくらいなら、対等でなくなってしまうくらいなら嫌いになってもらう。でもそれにも失敗してしまった。ならいっそのこと、そうなる前に殺してしまおう。
そういう心の移り変わりだと思うのです。そんな変遷は、コウいうところの「セリさんの方がメンヘラじゃん!」なのですが、今までそんな感情を持った相手がいなかったからこそ、「今回に限って」そんなメンがヘラったことを考えてしまったのです。

A4 個人の最悪=種の最高?

ですが実のところ、セリには、秋山を眷族にすることも選択肢にあがっていました。それは、おそらくは秋山からのLINE画面を見ての独り言からもわかります。

こうなるとだるいんだよなあ…
途中まで眷族にしてやってもいいかなって思ってたんだけど…
(3巻 p137)

これまで読解してきたこととは多少そぐわない言い方ですが、LINE画面のアイコンや、ストーリーの文脈から考えれば、このメッセージの送り主が秋山であると考えるのが妥当でしょう。
その時点では嫌われようとしていたとはいえ、なぜ友達であった秋山を「眷属にしてやってもいい」と思ったのか。直接には描かれていませんが、推測するにその理由は、彼女が吸血鬼だから。種として子孫繁栄を目的としているからではないでしょうか。秋山とは友達でいたい、惚れた腫れたの関係でいたくないというセリ個人の願望と、眷族を作って子孫繁栄すべしという種の目的。相反する二つの命題があり、迷う中で、自分の望みを措いておいてでも、秋山を眷属にしようという考えが浮かぶこともあったのだと思います。
この二律背反にセリが悩んでいたことがわかる描写があります。

「僕を あなたの眷属にしてください。」
「……いいの?
今までの生活とか… なくなっちゃうかもしれないんだよ?」
「いいんだ。 
ありがとう 友達だから 僕のこと 考えてくれてたんだね。」
(3巻 p195,196)

友達の秋山と一緒にいれば楽しかった。ひょっとしたら、眷属にしても、友達じゃなくなっても、一緒にいて楽しいかもしれない。でも、秋山を眷属にしたら、今までの生活がなくなっちゃうかもしれない。
そんなことをセリは考えていました。秋山自身が自認するように、吸血鬼は人間より上の存在。「人間の都合なんて無視して」いい存在。なのにセリは、人間の秋山のことを考えていたのです。だって、友達だから。
そして葛藤と暴走の末、セリは秋山を眷属にしました。彼女に惚れた秋山の血を吸うことで。
種の目的に彼女は貢献しました。でもそれは、彼女の望みを放棄することでした。でもそれは、秋山と一緒にいられることでもありました。でもそれは、秋山が「眷族」という明確に彼女より下の存在になったことを意味するのですが。
そんなもろもろに心が振り回された果ての「お祝い」であるがゆえに、彼女はあんなに物憂げな顔をしていたのだと思います。

A5 彼女にとって彼は

以上を踏まえれば、セリにとって秋山は、あくまでも「友達」であったのだと思います。自分の思うがままにならなくて、対等で、ついその人のことを思いやってしまうような存在。そこには秋山が言った、「無意味な心配」や「嫉妬深」さといった「恋」の状態を見いだすことはできませんが、おそらく、秋山がセリのことを想っていたと同じくらいには、大きなものだったのではないでしょうか。
ただそれは、彼女が秋山を眷属にした以上、「あった」「だった」と過去形で表すしかないのですが。

ということで、セリと秋山に関するお話でした。
まだセリ一人が描かれただけでこれですから、他の吸血鬼たちも本格的に動き出したら、いったいどうなってしまうんでしょう。楽しみやら怖いやら。



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*1:添い寝屋をして、人が寝てから血を吸っていたナズナのように

*2:3巻 p174

*3:半袖Tシャツから長袖シャツへの服装の変遷を考えると、せいぜい数か月?

*4:一応、対等以上、すなわちセリの方が下だという付き合いも原理的にはありえますが

*5:しかし、これすらセリが無意識の裡に、秋山が「こういうことを言う方がセリの好感を得られるだろう」と思うように、振る舞ったのだとすれば、非常に悲劇的な話になってしまいますが

『よふかしのうた』コウの行動原理の話

コトヤマ先生の、現在絶賛連載中の『よふかしのうた』。
よふかしのうた(3) (少年サンデーコミックス)
本作は言ってみれば、日常に馴染めなくなってしまった少年が、そんな日常を気楽に無視して過ごす吸血鬼の少女と出会う、ボーイ・ミーツ・ガール。ささいなことをきっかけに、学校へ通うことができなくなった中学生2年生・夜守コウが、吸血鬼ナズナと出会い、彼女が提示した価値観に感銘を受けて、その価値観でもって生きていくために、吸血鬼になろうとする物語です。
最新刊である3巻で新たにナズナの同族、すなわち別の吸血鬼たちが登場したことで、ナズナの異端ぶりや、本来吸血鬼にとって吸血行為はどのような意味をもつものなのか、ということなどが明らかになりました。物語の幅が広がりましたね。
で、この幅が広がったタイミングで、改めて本作の構造や登場人物のあり方を整理してみたくなりした。まず本稿では、そもそものコウの行動原理を追ってみようと思います。

上でも書いたように、コウがナズナと交流するのは吸血鬼になるためです。しかして本作における人が吸血鬼になる条件、それはただ吸血鬼に血を吸われればいいのではなく、「吸血鬼に惚れた人間がその吸血鬼に血を吸われると 晴れて眷属になる」、端的に言えば「人が吸血鬼に恋をすること」です。かくしてコウは、吸血鬼になるために、ナズナに恋をしようとするのです。
さて、ここで重要なのは、彼の最終的な目標は、ナズナが示してくれた価値観で生きることだということです。つまり、ナズナに恋をすることは副次的なことに過ぎないということです。
ナズナが示した価値観とは「今日に満足」することですが、それに強く惹かれたということは、コウは満足できないまま日々を過ごしていたということです。
元々コウは、学業も優秀で、誰にも愛想よく振る舞っていて、交友関係も良好でした。それは、同級生の女子から告白されるくらいに。しかし、コウのそのような優等生然とした態度は、「好きとか嫌いとか 愛とか恋とか よくわかんない」ことからくる、ある種の他人への無関心に端を発するであり、そしてそれは恋愛感情に留まるものではなく、友人関係においても彼は「友達ってどこから言っていいんですか…?」と疑問を持つくらいには他人との距離感、距離の近づけ方が不得手な人間でした。
そんな彼ですから、女子から告白されたところで、できた返事はお断り。「愛とか恋とか よくわかんない」から。惚れた腫れたは当事者間のものですから、告白されたコウが断ればそこで話は終わるはずですが、コウが告白を断ったということを伝え聞いた、女子生徒の友人から理不尽な難詰を受けてしまいました。
それがきっかけで、コウの不登校が始まりました。この件がすべての原因というわけではなく、今までたまっていた(けど無視していた)不満が一気に表に出てしまい、学校が「つまんなくな」り「つかれちゃっ」て「何もかも嫌にな」ってしまったのです。「やりたいこともなりたいものも無かったから せめて正しくあろうと思っていた」のに、その正しさすら失敗してしまった。「それ以外の価値観を知らなかった」彼は、失敗してしまった場所(=学校)に通うことができず、夜をうろつくようになりました。
そして示された、ナイト・ウォーカーすなわち吸血鬼のナズナの価値観。

今日に満足できるまでよふかししてみろよ。
そういう生き方も悪くないぜ。
(1巻 p56,57)

その言葉に衝撃を受けたコウは、ナズナに頼みこみます。
「俺を吸血鬼にしてください」と。

俺は多分踏み込みきれない きっといつか今までの生活に戻って つまらない日々を過ごす でももう知っちゃったんだ 夜を。
初めてなりたいものができたんだ。
この気持ちをなくしたくない。
(1巻 p59,60)

この気持ちをなくしたくない。今日に満足したい。そう生きたい。そのために彼がしなくてはいけないこと。それは後戻りできないよう吸血鬼になること。そのためには。

だから 俺に恋をさせてください
(1巻 p60)

かくしてコウは、ナズナに恋をしようとするのです。
あらためて整理すると
・「今日に満足」して生きたい
 ↓
・そのためには(後戻りできないよう)吸血鬼になる必要がある
 ↓
・そのためにはナズナに恋をする必要がある
という形が、コウの行動原理です。大目標(「今日に満足して生きること」)に至るために小目標(ナズナに恋をすること)を目指しています。ナズナに惚れることが、ゴールであってゴールじゃない。
誰かを好きになろうとするという、ある意味トンチンカンな行動。それが本作の面白いところだし、誰かを好きになるってのがどういうことかわからないコウの苦悩にもつながるし、ひいては「誰かを好きになるとはどういうことなのか」という非常に難しい問いにもつながっていくのです。

さて、今回はこのへんにして、次回はその「誰かを好きになるとはどういうことなのか」ということがどう描かれている、考えてみたいと思います。



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俺マン2019の話

今回も参加した俺マン2019。
oreman.jp
今年の幕開けに、自分が推した作品を軽くご紹介。
「「今年自分が面白いと感じた作品を紹介する」以外、明確なレギュレーションを設けていません。」という元々のゆるいレギュレーションに、「今年発売(発表)された作品5本」という俺ギュレーションを少しだけ加えてます。
なお、紹介順は面白い順と言うわけではありませんが、『水は海に向かって流れる』は2019年の1位ということでお願いします。
水は海に向かって流れる(1) (週刊少年マガジンコミックス)
待ちに待っていた田島列島先生の新連載。『子供はわかってあげない』以来ですね。
高校進学のために、叔父のいるシェアハウスに引っ越すことになった直達くん。そこにいた唯一の女性、榊さんにドキドキしている直達くんだけど、実は彼女は、かつて彼の父とW不倫していた女性の娘だった。そもそも父の不倫の事実すら知らなかった直達くんに、ふとした拍子で彼があの男の息子だと知ってしまった榊さん。一つ屋根の下の生活はどうなる……?
という高校生男子のまっすぐな迷走と、26歳OLの複雑な内心が、肩の力の抜けたスラップスティックで描かれています。
直達くんが、おそらく人生で初めて直面したであろうこんがらがった人間関係。どうにかしようとしたい他人の思惑。でも、その発端となった事件はすでに終わっていて、後に残されているのは、ふさがったんだかふさがっていないんだかよくわからない心の傷だけ。それは母にも、父にも、叔父にも、榊さんにもある。知らぬは当時子供だった自分ばかりなり。
人には過去があって、傷があって、それが治るものだったり治らないものだったりあるいは治すことを拒否するものだったり、でもそれは傷から目を逸らしているだけなのかもしれなかったり。
他人の心の傷は、誰かが治せるものじゃない。後から自分で見返して、もう治ったかな?とそっと触れてみるしかありません。それがわからない直達くんは無力感にさいなまれますが、その無力感に溺れないで動こうとする姿は、輝いて見えます。
とまあ、だいぶシリアスそうなストーリーなのに、作中の空気が明るい。変な言い方ですが、健やかな空気です。なんだろう、苦悩はあっても悪意はないからかな。みんな、がんばろうとしてるけどままならない。ままならないけどがんばろうとしている。そういう感じなのかしら。
現在2巻まで発売中。私も地味だけど綺麗な酔っ払い26歳OLをおんぶするような高校生活を送りたかった……
ワンダンス(1) (アフタヌーンコミックス)
吃音に悩んでいたカボこと小谷花木は、入学した高校で、一人踊る女子生徒を見る。その姿の美しさに心奪われたカボは、彼女、ワンダこと湾田光莉を追うようにして、ダンス部に入部する。しゃべらなくていい。踊ることで表現ができる。その楽しさに触れたカボは、次第にダンスにのめり込んでいく……
珈琲先生の新連載です。思わず首の後ろでアクセントをとってしまうようなダンスシーンの気持ちよさと、普段から色々考えるカボくんの内心の描写がいいですね。
フィジカルとフィーリングとはたから思われがちなダンスについて、そのコツやノり方を分析的に説明しているのが、たいそう私好みです。吃音ゆえに口数が少なく、だからこそ人の話やその場の音や空気をよく聴いているカボくんだからこそ、音楽のグルーブをよく聴いていて、派手な動きでなくてもアクセントを合わせることで魅せるダンスになっているのが、うまく設定にマッチしています。
吃音とダンスの感覚の共通点については、1巻発売時にがつっと書いてます。
『ワンダンス』吃音とリズムとダンスの話
『ワンダンス』ダンスの自由と動かされる感覚の話
カボとワンダの恋愛模様も、きゅんきゅんきちゃいますね。直截的に言葉にする描写はないけど、たしかにカボを憎からず思ってるワンダかわいい。
これを読んだせいで、今年ダンスの体験教室にでも行ってみようかな、なんて思ってます。
児玉まりあ文学集成 (torch comics)
僕こと笛田くんが通う文学部の主、児玉さん。彼女は詩のように話し、小説のように振る舞い、文学のように息をする。少なくとも、笛田君にはそう思える。生きる文学である彼女から文学を乞うために、今日も笛田君は文学に通うのです……
三島芳治先生のこちらも新連載。べたっと平面的な絵の中で紡がれる、言葉遊びと文学の話。笛田君の目に映っているものは、児玉さんの言葉で、築かれた文学の真実なのか、虚構の世界なのか。他の学生たちが平穏な学校生活を送る中、一人笛田君が、現実と虚構の中を行き来して、児玉さんの言葉に振り回される姿は、滑稽でもあり、道化でもあり、ひょっとしたらとても文学的なのかもしれません。なにしろ、言葉によって世界の見方を変えるのが、文学なのですから。
笛田君は、児玉さんの言葉を素直に受け取ります。そして、そのように世界を見ようとします。なんて理想的な文学の読者なんでしょう。
読者も、彼女の言葉に少しだけでも振り回されると、また世界の見方が変わるのかもしれません。
違国日記(1) (FEEL COMICS swing)
両親を交通事故で亡くした中学三年生の朝は、疎遠だった母方の叔母・槙生に引き取られました。槙生は、自分の姉にして朝の母だった人を好きではなかったと当の朝に公言しますが、そして同時に言います。それでも私はあなたをないがしろにはしない、と。寄る辺を失くした一匹の子犬と、一人で暮らすことを選んだはずの大人の女。二人の共同生活は二人をどう変えるのか……
キャラクターの心理を丁寧にかつビビッドに描写することに定評のあるヤマシタトモコ先生。本作では特に、人の孤独さ、わかりあえなさと、それでも一緒に生きていける人のしたたかさ、やさしさが、二人の女性を軸に描かれています。
タイトルにある違国。違う国。
人はそれぞれ、自分だけの国に住んでいます。自分だけの領土。自分だけの法律。自分だけの空気。領土の広さや法律の峻厳さ、空気の色やにおいは人それぞれですが、国同士が国境を接することはできても、同じ王を戴くことはできません。その国の王は自分だけ。他人を王とすることはできないし、他人の臣下になることもできない。一人で王様、一人で国民。それを必要以上に意識してしまっている槙生という女性と、まだそれを知らない朝という女の子。しかも相手は自分の肉親で自分の嫌いな女性の一人娘。両親を亡くしたばかりの不安定な女の子。衝突が起こらないわけがなく。
タイトルが「異国」じゃなくて「違国」なのは、「異国」にはたとえば「異国情緒」のような、遠い国、文化の異なる国、というようなニュアンスがついているからで、そうではなく、同じように思えてもそれは違う国、隣同士でも違う国、のようなニュアンスを出したかったというのが、理由の一つにある気がします。隣にいるのに違う国。一緒に住んでいるのに違う国。
時にヒヤヒヤし、時にハラハラし、時にスンと寂しくなるような二人の生活が、どのように変わっていくのか、今後も目が離せません。
BLUE GIANT SUPREME(1) (ビッグコミックススペシャル)
この作品に関しては実は、俺マン2016から4年連続で推していたんですよね(当時は無印)。いまさらなにをかいわんや。
巻を重ねても、大を取り巻く音楽の熱さは衰えるところを知らず、メンバーやオーディエンス、共演者はもちろん、イベントの主催者やプロモーター、スタジオエンジニアの心も熱くさせます。そして、その熱の中心で、誰よりも前を、上を向いている大。今年も期待しています。


ということで、2019年の漫画のトップ5でした。
他にも候補作として、
・好きな子がめがねを忘れた
・邦キチ!映子さん
・千年狐
・僕の心のヤバイやつ
異世界おじさん
・シネマこんぷれっくす!
・かげきしょうじょ!!
SPY×FAMILY
鬼滅の刃
がありました。
また今年も面白い漫画が読めることを祈りつつ、よろしくお願いいたしますのご挨拶。



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『鬼滅の刃』あけすけな言葉と物語の推進力の話

今更ながらに手を出した『鬼滅の刃』。
鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)
今月から買いだしたのですが、アニメ化によるフィーバーのあおりを受けて、5巻まで買ったところで品切れ。10月後半の入荷で8巻まで買ったもののまたすぐに品切れ。11月の再々入荷まで待たなければいけません。人気すごい。
ということで、まだ8巻までしか読んでいな状況なのですが、この作品の魅力の一つは、ストーリーの推進力であると感じます。とにかくキャラクターが話を引っ張っていくので、退かない、たゆまない、ゆがまない。そしてその推進力の根底には、どのキャラクターも備えている、まっすぐさがあります。猪突猛進は伊之助のセリフですが、彼に負けず劣らずどのキャラクターも己の理念に忠実で、やるべきことに一直線です。
それは別の言い方をすれば、迷わないということ。惑わないということ。
いえ、正確に言えば迷いもするし惑いもするのですが(炭治郎のセリフやモノローグでも、どう戦おうか迷ったり、逃げるべきか否か惑うシーンは出てきます)、その迷いも惑いもすべてさらけ出し、その裏側に別の思惑が存在しているような様子が一切ないのです。
炭治郎がどう戦おうか迷うのは、どう戦えばいいのかわからないから。逃げるべきか否か惑っているのは、どっちを選ぶほうがいいか判断をつきかねているから。そんな迷いや惑いに、直接的な理由以外の事情が見えないのです。
要するに、彼や彼女の思いがなんらかの言葉をとったとき、それは心情をあけすけにあらわしたものなのです。葛藤がないのではありません。葛藤をすべて言ってしまっているのです。
炭治郎が鬼に対して怒り、憐れみ、悼むときの言葉。
善逸が己の弱さや意気地のなさを吐露する言葉。
伊之助が敵を前にして血沸き肉踊り、あるいは恐れ戦いているときの言葉。
これらはすべて、いっそ説明的といえるほどに彼らの心情を率直に表しており、それゆえに、話の展開に淀みを作らず、真剣のごとくに切れ味鋭く内面を表し、キャラクターの思惑は剣戟のごとくに火花散るものとなっています。
こう書くと、ただの説明臭い作品となりそうなのに、しっかりと展開に起伏のある熱い作品になっているのは、おそらく、その言葉が必要最低限のものにとどめているからでしょう。必要な言葉は漏らさず書くけど、必要以上の言葉は極力書かない。そんな抑制があるから、テンポよく展開していくのだと思います。
また、このキャラクターのあけすけさは、ストーリーの展開以外に、コメディ面でも作用しています。炭治郎・善逸・伊之助の三バカがバカをやっているとき、あまりにもあけすけにバカをさらしているものだから、そのシーンでは本当にそのバカなことしか考えていないように見えるので、コメディ部がストーリーの重苦しさを引きずらないのです。このライトな感じ、ホント好き。

続きが一刻も早く読みたいので、早く品切れ解消して…お願い……



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