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『子供はわかってあげない』交換によって生まれる人と社会のつながりの話

今年度のオレコン漫画ランキング暫定一位に輝いている、田島列島先生の『子供はわかってあげない』。
夏の日に少年は男になり、少女は恋をする『子供はわかってあげない』の話 - ポンコツ山田.com

本作にはあるテーマが一貫して伏流しており、それが様々な形をとって登場しています。
そのテーマとは何か。
それは「交換」です。
これは一般的な意味ではなく人類学的なそれで、モノだけではなく、行為も対象になります。誰かが誰かに何かをあげたら(したら)、された側もなにかをあげる(する)。そのような動的な運動性が、ここでいう交換です。
具体例を見てみましょう。
第一話で、屋上で絵を描いていたもじくんは、ヤンキーにぼこぼこにされて屋上の鍵も奪われてしまいましたが、“岩高の狂犬”こと千田くんがそのヤンキーどもをブッ飛ばし、鍵も取り返してくれました。千田くんがそんなことをしてくれたのは、もじくんが彼のラブレターを代筆してあげたことがあったからで、のびているヤンキーから鍵を取り上げ、もじくんに鍵を手渡しながら千田くんは「これで借りは返したからな」と言うのです。
なにかしてもらったから、お返しに何かしてあげる。
ずいぶん当たり前のような話ではありますがこれは、大上段な話をしてしまえば、人類に普遍的に存在する営為なのです。心理学では返報性などとも呼ばれますが、何かをされたらお返しをしなければ気が済まないという心の動きは、古今を問わず広く見られます。
卑近な例を言えば、試食コーナーでつまんだら買わないとまずいような気持ちがそれですし、アメリカではある大学教授がちょっとした実験で、多くの見ず知らずの人間にクリスマス・カードを送ったら、その教授が何者なのか受け取った人間は一切知らない(そもそも教授かどうかも知らず、当然実験だということも示していない)にも関わらず、驚くほど大量の返事のカードが来た、という話もあります。北米の太平洋西岸のネイティブ・アメリカンの間に存在するポトラッチという儀式は、ホストがゲストを蕩尽的にもてなし、それをされたゲストは今度は自らがホストになり先のホストを、あるいは別のゲストを招いて同様かそれ以上のもてなしをする、というものです。パプア・ニューギニア島嶼部に住む複数の部族にはクラと呼ばれる交易があり、二種類の貝の首飾りを、クラに参加している共同体の中で規則的に交換していきます。
このような「交換」がなぜあるかといえば、様々な意見がありますが、交換をすることで財や関係性に変化が生じ社会が常に動的な状態におかれる、というものが説得力のある仮説だと私は考えます。
生命とは何かという問いについて、福岡伸一氏は「生命とは動的平衡にある流れである」(『生物と無生物のあいだ』p167)と答えていますが、これは生命体たる人間の集まりである社会集団にも適用できるものでしょう。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

社会集団も、変化の起こらない静的な状態ではいつしかその活動を停止させてしまうので、内部に変化を起こしその要素が流動することで、社会が一個の有機体として活動を続けられるのだと思うのです。
戦国妖狐』でも、かたわらによって、外界から保護という名の断絶をなされた村が「循環を失くして澱み」滅んだ、というエピソードがありましたが、まさにこれは社会集団が静的な状態に留め置かれたためにその活動を停止したことに他なりません。
戦国妖狐(3) (BLADE COMICS)

戦国妖狐(3) (BLADE COMICS)

子供はわかってあげない』に戻りましょう。
サクの実父は、他人の心を読むという彼固有の能力を持っていましたが、その固有性ゆえに誰かに教えることがひどく困難であり、教団内でそれを教えようとしてきたのも、教団の人間たちに「乗せられるだけ乗せられてきた」からという外部的な動機に基づいており、結局長続きするものではありませんでした。そして、そんな彼が教団に戻らないことを決め、代わりに見つけた「やるべきこと」が、以前やっていた指圧への復職だというのは実に示唆的です。なぜかというに、指圧は彼が彼の師から受け継いだ技能であり、職だからです。彼は、誰かから受け継ぐ、すなわち交換のサイクルに入ることを選んだのです。すると図ったように弟子をとらないかという話が出て、サクの父が技術を与えられた側から与える側へ移り、さらに交換のサイクルが生まれました。
指圧師への復職を決意した彼は、教団の中にいた自分を自嘲して、「世界中で自分にしかできないことにこだわり続けてたんです」と照れ笑いをしました。自分にしかできないことはどん詰まり。それ自体が交換の運動性におかれることはありません(もちろんそれから発生した効果で交換は生まれますが)。そのこだわりを捨てたことで、彼は動的な関係性の中に入れたのです。


サクの父の話で技能の継承が登場しましたが、受け継ぐということも交換の一類型です。ですから、18話での恋する心ことジョニーの言葉も、交換についてのものとなります。
ジョニーは人類が自分に対してとりうる対抗措置について「フロンティアで見たものを言い伝えや文献にすることだけだ」と述べました。そして対抗措置の中で最良のものは「「好き」という言葉だ」とも。
「「好き」という言葉」は「ただのカード」で、そこにジョニーはとてもじゃないが入りきらないけれど、それを見せればジョニーがすべて伝わることにすると先人達が編み出した方法、というか約束だというのです。困難なことについて、先人達が編み出したものを連綿と受け継ぐ=交換することで対処しようとする、人類の知恵の話です。


また、作中で何度も登場する「人が自信をもって意見を言う時って その意見が「誰かから聞いたもの」である時」や「人は教わったことなら教えられる」などの話も、交換の一類型と言えます。これらは、自分の中だけで考えた、よくまとまっていない考えは誰かに言う気になかなかなれないけれど、誰かから与えられた綺麗にパッケージングされたものならば(=自分が聞いて納得したものならば)、また別の誰かに与えたい。そのような動機でもって、情報は、あるいは教えるという行為は交換されていくのでしょう。


このように、交換は往々にして、二者間のみで行われるのではなく、誰かからされたこと(もらったもの)をまた別の誰かにする(あげる)という形で、広範に展開していきます(先に挙げたポトラッチやクラはその好例です)。それを明確に言葉にしているのが、最終話でのもじくんの兄・明大です。

「お金… 本当にいいんですか?」
「いーのよ 負けてあげるって言ったじゃない」
「でも… タダってわけには…」
「…
…じゃ そしたらね
美波ちゃんが大人になった時 私と同じように自分より若い人にそのお金の分何かしてあげて
そういう借りの返し方もあるの 覚えておいてね」
(下巻 p174)

今受けた借りを、自分ではなく別の誰かに返す。まさに交換の循環です。明大はサクに、交換の環を広げよと告げたのです。
また、その数ページ先にある明大と彼(女)の下宿先の家主・善さんとの会話も、交換を世界に広げたいということを表したものでした。

「善さん 私 美波ちゃんに渡したよ 善さんに渡す分の家賃」
なので今後家賃家賃と騒がないでほしい」
「これからも家賃は発生します」
「無間地獄!?」
「そうだよーん
俺らは子供を残せるわけじゃないから 明ちゃんとのつながりが世界のどっかとつながってたいんだ」
(下巻 p179)

家賃、すなわちお金は、交換を促進するために人類が発明した最大のものです。金貨・銀貨等、お金の素材そのものに価値がある場合はまた別ですが、そうではないお金、たとえば現在の貨幣や紙幣(=不換貨幣・紙幣)は、交換されることでその価値が担保されるものです。1000円札は、「これは1000円分の価値があります」という約束事に同意している人の間で交換されていることで初めて1000円の価値を持ちます。
これは、私が適当な紙に1000円と書いたものを1000円札として使おうとしても誰も相手にしてくれないことを考えればよくわかります。私が勝手にある紙切れを1000円札と言い張っても、他の人がその約束に同意しなければなんの効力もありません。日本国内で流通している1000円札は、皆が1000円分の価値があると思っているから1000円札たり得るのです。
1000円札を外国に持って行って使おうとしてもそれが出来ないのは、海外の一般的なマーケットでは、1000円札は1000円分の価値を持つという約束が同意されていないからです。1000円の価値を持つお金を手に入れるためには、その国で1000円分の価値を持つという約束が成り立っているお金に両替しなければなりません。
こうしてお金はその存在意義からして宿命的に交換されることを義務付けられており、それゆえにお金を使う人は交換の環に入らざるを得ません。明大からお金を受け取る善さんは、必然的にそれを使う(銀行に預けたり投資するのも同様)ことになり、社会の交換の環に加わります。どこかからお金を稼いできた明大はそれを善さんに家賃として渡し、善さんはそのお金を何かに使う。こうして二人の関係性は社会に向けて開かれたものとなるのです。
余談ながら、善さんが17話のラストで読んでいた『うすら悲しき熱帯』は、フランスの文化人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースの著作である『悲しき熱帯』のパロディです。

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

レヴィ=ストロースは、人間が自集団の女性を他集団に送り出し、別の他集団から女性を受け入れる、すなわち女性を交換することで社会は発展していくのであり、インセスト・タブー(近親相姦の禁止)はそれに基づいている、と述べました。それを考えれば、女性ならぬ明大を受け入れた善さんが、社会集団につながる交換を強く希求し明大から家賃を求めたのは、決して偶然ではないでしょう。

世界に必要なのは「自分にしかない力」じゃない
「誰かから渡されたバトンを次の誰かに渡すこと」だけだ
(下巻 p104)

これはサクの実父の言葉です。彼の言葉の意味が満ち溢れているかのような本作は、交換ゆえに個と社会がつながり、個人の小さな事件が他の事象へ次々と波及していく中で個々人の内面が描き出される物語の奥深さがあるのかなと思います。
マジ名作。



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