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『3月のライオン』言葉の呪と祝の話

現役最年長A級棋士と実年齢+10はありそうな胃痛持ちの棋匠戦。華はないけどそんなことは勝負の熱量と何も関係ないぜと言わんばかりの『3月のライオン』8巻でした。
言いたいこと考えたいことはいろいろあるけど、今日はその現役最年長A級棋士であるところの柳原棋匠の独白について。

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

御年66歳である柳原棋匠。最年長であるということは、同期はもういないということ。同期がいないのは、みんなもう辞めていったから(あるいは亡くなったか)。A級棋士で踏ん張る彼に、辞めていく人間達は諦めざるを得なかった希望を託すように言葉をかけていきます。
「朔ちゃんは俺たちの分まで…」「ずっと ずっと応援してるから……」「俺が果たせなかった夢を どうかかわりに果たしてくれ…」
それとは対照的に、年下の棋士たちや周囲のマスコミなどは、彼に恐れと敬意を滲ませた言葉をかけます。
「化けもんだよ もう66だぜ?」「いまだA級ってどういうことよ」「では 柳原棋匠は現役最年長となる訳ですが 降級したら引退を考えられますか?」
それらの言葉を棋匠は「たすき」と表現し、自分の心にまとわり絡みついてくるその重みに苦しみます。

解っている
解っているよ
発する側にはそんな
しゅをかけるような 気持ちは無い事を
ただ 託された
幾百もの たすきに
からめとられそうになる
夜が あるだけで
3月のライオン 8巻 p109,110)

時として、言う側の意図とはまったく別の形で言われた側を縛るもの。それが言葉。それが呪。
印象的なのはこの「呪」という言葉ですが、「呪」といえば夢枕獏先生の『陰陽師』であることが国民の共通理解であることを思い出してパラパラと読み返してみたらこんな記述が。

「銭で縛るも、呪で縛るも、根本は同じということさ。しかも、名と同じで、その呪の本質は、本人――つまり、呪をかけられる側の方にある……」
「うむ」
「同じ銭という呪で縛ろうとしても、縛られる者と、縛られぬ者がいる。銭では縛られぬ者も、恋という呪でたやすく縛られてしまう場合もある」
陰陽師 p128)

この記述は、柳原棋匠にかけられた呪を実に的確に説明しうるもので、彼に向かって希望の言葉や畏怖・敬意の言葉を投げかけた人間達は、彼に呪をかけようとは思っていないし、当然それで彼が縛られるものとも思っていない。ただ、自分の心情を素直に発しただけ。
けれど、それを言われた側、すなわち呪をかけられる側の柳原棋匠にとっては、それらの言葉が呪に当たるのです。いや、柳原棋匠だからこそそれらが呪になってしまった、と言うべきなのでしょう。現役最年長A級棋士という肩書は、肩書であるとともにフィルターで、彼を見る人の視線は多かれ少なかれそれを介してしまうし、また棋匠自身もそのフィルターを通して外界からの言葉を受け取ってしまう。それゆえに言葉が呪になってしまう。呪に縛られてしまう。
さて、「呪」についてのもう一つの国民の共通理解と言えば故・白川静先生の思想でしょうが、その著作の中にはこんな記述が。

祝と呪とは、ともに兄に従う字である。
兄(8下)は『説文』に「長なり」とあり、口を以て群弟を指導するものとするが、
字は口〔サイ〕を戴く人の形で、祝告する人の意である。
ゆえに祭壇の形である示の前にあるを祝という。国語の「祝ふ」はもと「斎〔いは〕ふ」であり、心を清めて祈ることをいう。
(漢字の世界)

この中に「サイ」という耳慣れない言葉がありますが、これは神様への祝詞を入れるための器であるというのが白川先生の説で、それを持つ人が「兄」=祝告する人だというのです(「兄」の上部の「口」がサイで、下部が「人」)。「呪」と「祝」は同じ「兄」という文字から生まれたもの。その方向性は違えど、根は同じだというのですな。
そうすると、人は言葉によって意図せず誰かに呪をかけることもあれば祝を送ることもあるわけで。
そのいい例が7巻での零です。零はずっと自分の居場所を求めていた、それは言い換えれば「頼る/頼られる」の関係性の中に入ることである、とは今まで書いたことがありますが(『3月のライオン』零が欲しがった「逃げなかった記憶」の話『3月のライオン』零に生まれた頼る/頼られる関係性の話)、6巻であかりから頼られた時は昂ぶりからか嬉しさには直結しなかった零ですが、ふとした時に、相手は何気なくかけた言葉で自分が認められた≒祝福されたような気になったのが、7巻のシーンでした。

「――とまあ 現実はシビアだからね たすかるよ桐山君 がんばってくれ!!」
「たす…かる?」
「「頼りにしてる」って事だよ
おい桐山 ? どうした? 何かたまってんだ 顔が赤いぞ 暑いのか? 麦茶飲むか?」
3月のライオン 7巻 p45,46)

<何だろうこれ… 
いったいぼくは
いつのまに出ていたんだ?
――こんな明るいところに………>
「頼りにしてる」ってことだよ
「おめでとう がんばってたもんな」
「れいちゃんありがとう」
<こんな急に 手に入ったものは
やっぱり また 急に消えて行っちゃうのかなあ
――でも 今はただ うれしくて
うれしくて……>
(同書 p50,51)

零に言葉をかけた会長や林田先生、ひなは、彼を思って、素直な気持ちでこのようなことを言ったのでしょう。ですが、それがここまで彼の心を揺さぶるとは思っていなかったはずです。激励であるとか、称賛であるとか、感謝であるとか、零への肯定的な言葉であっても、それがまさか零の涙が止まらないほどのものになるとはよまやまさか。会長なんかえらくさらっと言ってたし、その後の零の紅潮を不審に思ってたし。
零がこれらの言葉に並々ならぬ感動を覚えたのは、それはやっぱり言われたのが零だからです。いままでずっと自分の居場所を求めてきて、誰かに頼られたくて、誰かに認めてほしくて、そういう気持ちをずっと抱え込んできた零だからこそ、そんな思いを叶えてくれたかのような言葉に高揚し、涙がこぼれることを禁じ得なかったのです。
また、同根であるということは、呪は容易に祝に転化しうるわけで、柳原棋匠も一旦はその重みに沈みそうになったたすき=呪を、最終的には自らが背負うべきものとして土壇場での力と変えました。

――駄目だ!!
わからんが これは 俺が絶対に 手離しちゃいけねぇもんだ!! オレが担いで 届けるもんだ!!
精一杯頑張った人間が 最後に辿り着く場所が
焼野ヶ原なんかであってたまるものか!!
3月のライオン 8巻 p135,136)

道を離れた仲間からかけられた言葉は、時として自分を絡め取り、時として自分を奮い立たせる。 
呪と祝と、人は言葉を発した相手に意図しない効果を与えます。それは相手次第であるため、自身で責任を負いきれるものではありません。そこに人間関係の機微があり、綾があり、面白さと辛さがあるのでしょう。主に辛酸の方を味わってきた零君ですが、こうして少しずつ面白さも知っていくのですね。



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