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漫画の話です。

『HUNTER×HUNTER』「それはどっちの?」の問いをめぐる、キルアの価値観と葛藤の話

HUNTER×HUNTER』の蟻編で、初めて読んで以来ずっと意味が解らないでいたシーンがありました。それは26巻No.271「分断」で、ゴンとキルアがピトーのいる左塔に乗り込もうとする直前のものです。

「キルア ピトーは左塔あそこにいる 行こう」
<「行こう」
「それはどっちの?」
――問いたい衝動をかろうじてキルアは抑え込んだ
そんな状況にないことは勿論 それ以上に感じていたのは>
「聞いてしまったら もう止められない……!!
引き返せない」
<いっそぶち撒けてしまえば解決できること 経験を重ねれば誰もが至る少し先の道
大切なものを失ってしまうかも知れない恐怖で キルアはその道に近づくことさえできずにいた>
(26巻 p12,13)

この時キルアが抱いた疑問「それはどっちの?」。この「どっち」が何と何を指しているのかが、ずっとわからないままでした。
でも、それも30巻で解決。ちゃんとそれが明らかになったことにむしろ驚いたのですが、その「どっち」とは、「任務チーム」と「友達」でした。

「行こう」
あれは任務チームとしてだったのか?
それとも 友達としてだったのか?
(30巻 p119)

世界の平和とか蟻の脅威とか、そんな大上段のお題目は関係なく、ゴンはカイトを取り戻すために討伐隊に加わり、ピトーに対峙しようとしていました。
その時ペアを組んでいたキルアはゴンにとって、どのような立場として認識されていたのか。任務チームだから、目的を果たすのに都合がいいから一緒にいたと思われていたのか。それとも、具体的な目的とか任務チームだからとかではなく、ゴンだから、友達だから一緒にいてくれていたと思っていたのか。
キルアはそれを聞きたかった。でも聞けなかった。答え如何では、大切なもの、すなわちゴンを失ってしまうかもしれないとう恐怖に勝てなかったから。
30巻で判明した、このキルアの「任務チーム」と「友達」の間で揺れる気持ち。なんか既視感のあるシチュエーションだと思ったら、昔弊ブログでそんなようなことを書いてました。

「個々の役割を守れ」というのは、格別「暗殺者の理屈」というわけでもなく、チームで行動する場合には必須のルールです。つまり暗殺者の理屈を超克できたはずのキルアならずとも守るべきものなのですが、むしろ彼はそれを超克できたために、イカルゴのヘルプに行ったのだと思うのです。任務(=仕事)のためには仲間(=家族)の命も辞さないはずが、いざそれを目の前にしたら仲間を優先してしまった。なぜなら、彼はもう「暗殺者」ではないから。「暗殺者の理屈」以上に優先すべき理念を手に入れてしまったから。
ハンター試験で出会ったゴンとの関係がキルアにとって何にも替えがたいことは、対ラモット再戦での刹那の葛藤でまざまざと見せ付けられました。その葛藤で以って「暗殺者の理屈」の超克を果たしたキルアにとって、ゴンは、そして「仲間は大事」と言う理念は、本来なすべき理性的な行動、言ってみればチームが任務を果たすための倫理を越えてしまうものになっているのです。

「HUNTER×HUNTER」から考える倫理と社会の話 キルア編

ここで書いたように、かつては暗殺者だったキルアにとって「(仕事の)役割」は至上価値とさえ言えるようなものだったのですが、蟻編を通じて(具体的にはイルミによって刺されていた針を抜き取ることで)彼は、仕事の最中でも「役割」を上回る価値を有するもの、すなわち「仲間」を手に入れました。
それが現れたシーンとして、宮殿に突入した時、他のメンバーから離れて一人パーム救出に向かったイカルゴの先に蟻がいるのをキルアは見つけ、近接戦闘能力のないイカルゴの身を案じた彼は本来の自分の「役割」を忘れ、「仲間」であるイカルゴを助けに行った、というものがありました。「個々の役割を守れと誰よりも厳しく回りに説いた張本人」であるキルアなのにもかかわらず、彼は「役割」よりも「仲間」を優先したのです。
何よりも優先すべき価値として、「仲間」を得てしまったキルア。だからこそ彼は、ピトーのもとへ突入する寸前、敵意を燃やすゴンに対して、問いを投げかけたくて、だからこそ投げかけることができなかった。投げかけたかったのは、「役割」以上の価値である「仲間(=友達)」筆頭であるゴンに、命を賭けた戦いを共にする自分がただの「任務チーム」の一員に過ぎないことを否定してもらいたかったから。自分がゴンをそう思っているように、ゴンも自分のことを命を賭けるに足る友達だと認めてほしかったから。「いっしょに倒そうって言ってほしかった」から。投げかけられなかったのは、もしかしたらその問いに、自分の望まない言葉が来るかもしれないと思ってしまったから。
キルアの予感は、最悪の形で的中します。
左塔に突入すれば、そこは当初の想定とはまるで違う状況が展開する。人間(コムギ)を治療しているピトーは、激昂するゴンの前で無抵抗の意を示し、なんでもするからコムギを助けさせてくれと懇願する。目の前で治療されている一人の人間。こうしている今も苦しんでいるカイト(実際はそうでなかったわけですが)。戦うつもりで乗り込んできたのに、精一杯の恭順を示す敵。混乱に混乱を重ねるゴンですが、その背後でキルアは冷静に状況を分析していました。ゴンが討伐隊に参加した目的はカイトを助けるため。その目的を叶えるために、キルアは現状とこれからなすべきことをゴンに言います。それが激情に駆られるゴンの神経を逆撫でにすることになると知っていようとも、言うのです。それがキルアのいつもの役回りだから。
そして飛び出す、ゴンの言葉。

キルアは…… いいよね
冷静でいられて
関係 ないからっ
(26巻 p97)

このシーンに例のAAをあてはめた鬼才をどうしてくれようと思うことしきりですがそれはともかく、これを投げつけられた直後のキルアの顔の変化。寂しげな表情、悲しみに下がり、そして意識を切り替えて引き締められる口許、吊り上る眦と、この4コマまで言葉を一切使わずに乱高下したキルアの感情を表す表現力には敬服するしかないのですが、このキルアの大きな悲しみには、聞くことのできなかった「どっちの?」の問いに、聞きたくなかった答えを聞かされてしまった失望があるからなのです。
もしかしたら聞きたくない答えを聞かされるかもしれない恐怖に怯え、聞けなった問い。聞かなかったはずなのに、答えられてしまった(最悪の)答え。
勿論それは、100%ゴンの本心というわけではないでしょう。初めて見せる大きな怒りに囚われてしまったがゆえの失言という側面が大きいはずです。でも、本心がどうであれ、一度口にされた言葉は容赦なく他人に刺さる。あれは興奮してしまったせいだと言い聞かせ、言葉の棘を抜いても、一旦刺さればそこに傷は残る。
だから、気を取り直してゴンに冷静になるよう呼びかけたキルアの言葉通り、「ああ もう大丈夫…」とゴンが静かに答えたとしても、キルアの顔には浮かなさが残った。
以前別の記事で、「目のハイライトのないキャラクターは、他のキャクター(もしくは読み手)から内心を読めなくなっている」と書きました(漫画表現の中の、光を反射しない眼についてとか『HUNTER×HUNTER』目のハイライトに見る、ゴンのゆるがぬ意志と他のキャラの迷いの話とか)が、最初に悲しみを見せたキルアの目にはハイライトがなくて

(26巻 p98)
「ああ もう大丈夫…」と言われた後にはそれがあるのは

(同 p99)
前者はゴンの思いがけない言葉によって一瞬呆然自失とし、後者は既にそういうセリフを言うような状況にゴンはあるということを覚悟しながらも、覚悟したところで傷つかないわけではない、ということを現しているのではないでしょうか。
「ああ 大丈夫…」と呟くゴンにもまたハイライトは無く、それはキルアが彼の内心を読めていないということ。果たしてゴンが何を思って大丈夫などと言ったのか、キルアにはわからない。友達だけど、友達のはずだけど、わからない。
ピトーがコムギの治療を終えるまで、彼女を見張ることを決めたゴン。キルアはその間に他のメンバーと合流し、護衛軍討伐に向かいます。キルアはこれ以上「友達」のゴンに付き合う事の無意味さを感じ、「任務チーム」を選んだ。決してゴンを嫌いになったわけではない。ただ、「友達」であるはずの今のゴンを自分でどうにかできるとは思えなかったから。


蟻編が終わり、ゴンが眠る集中治療室の前でキルアはひとりごちます。

結局
お前一人で 片付けちまったな…
(30巻 p117)

キルアは、自分がゴンのために何かできたとは思えず、悔やむ。「友達」として一緒に戦えなかったことを。だから立ち上がる。ゴンに謝らせるために。今度こそ一緒に戦えるようになるために。
そうして繋がっていく31巻以降なのでしょうか、本誌未読なのでネタバレは勘弁な。


とまあこんな感じの、「それはどっちの?」の問いをめぐる、キルアの価値観と葛藤の話でした。

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