気になる相手は一つ屋根の下の26歳OL でも彼女は……『水は海に向かって流れる』の話

熊沢直達は、遠方にある高校への進学を機に実家を出た。下宿先はおじさんの住む家。しかし、春雨の中、降りた先の駅で待っていたのは、おじさんではなく、榊と名乗る妙齢の女性だった。彼女とおじさんの関係を邪推し、自分がおじさんの家に住んでいいのかと不安がる直達だったけど、話を聞いてみれば、どうやらその家とは、シェアハウスだった模様。一安心して新生活を始める直達だけど、実はそのシェアハウスには、彼と榊の家族の過去にまつわる秘密があって……
水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)
ということで、田島列島先生の新刊『水は海に向かって流れる』のレビューです。
前単行本の『子供はわかってあげない』からはや五年。待ちに待った新刊です。うひょー。
前作は高校生同士のひと夏のボーイミーツガールだったわけですが、今作は高校一年生男子と26歳OLが主役二人。ボーイからガール(ガール?)への色恋めいた感情はあるようですが、フレッシュで甘酸っぱい恋愛感情が瑞々しく描かれた前作とは違い、今作は二人のあいだに、当人らの与り知らぬ因縁があり、すっきりした青春ラブストーリーとはいかないようです。
それは、上でも書いた「家族の過去にまつわる秘密」。その中身とは、10年前に直達の父親が、榊の母親とW不倫をしたこと(ネタバレにつき白字反転)。この事件を直達は知りません。それがあったことすら知りません。彼の叔父(母の弟)である茂道は、事件自体は知っていますが、榊がそれの関係者であることを知りません。榊も茂道と同様に、その事件は知っていても、直達や茂道がその関係者であることは知りません。つまり、茂道と榊は、過去の事件についての近しい関係者であったけれど、お互いがそれであることは知らなかったのです。直達が来るまでは。
茂道が榊に直達を迎えに行くよう頼んだ際のやりとりで、榊は直達が事件の関係者であることを知りました。この瞬間、シェアハウスは小さな爆弾を抱え込んだのです。
この事件に関する各人のスタンスや動きを軸に物語は進んでいくのですが、この作品で面白いなと思うのは、登場人物たちの間にある情報格差が、読み手に対して詳らかにされている点です。
直達は事件について何も知らない。茂道は事件があったことを知っている。榊は、直達や茂道が事件の関係者であることを知っている。この三者情報格差は明確に描写されており、その格差があるゆえに、ある出来事について、三者三様の振る舞いをし、それがどういう思惑によるものなのかが、読み手には理解できるようになっているのです。
物語が進み、情報格差にも変化が生まれ、登場人物は、この人はこれを知っていることを知ったり、あの人はあれを知っていることを知らなかったりしだします。さらに言えば、事件に近しい関係者であるこの三人以外の登場人物も、様々な形でその過去の事件について知り、三人についてどう振る舞おうかと色々悩んだり悩まなかったりします。
事件の存在や各人の思惑がここまで明白に描かれていると、読んでてついつい登場人物も自分と同じように、描かれたことはすべて知っていると思ってしまうこともあるので、「あれ、なんでこのキャラクターはこんな悩み方してるんだっけ」と訝しむこともありますが、読み返すことでちゃんと理解できます。その意味で、連載を一話ずつ追うのではなく、単行本という形でまとめて読めるのはありがたいです。
また、キャラクターの造形で好ましいのは、主人公である直達です。彼は榊から何度となく「いい子」と形容されるような人間で、事件の存在や、榊がそれの関係者であることを知っても、自分が事件について騒ぎ立てることで榊や叔父の茂道、ひいてはシェアハウス全体の空気が悪くなってしまうのではないかと心配し、事件の追求について非常に抑制的です。
この態度について、そりゃあそうだよなあ、と私などは思ってしまうのです。ぴちぴちの男子高校生が親元を離れてシェアハウスに放り込まれて、むやみにそこへ波風立てるようなことはできませんよ。
ですが、ミスター自制心ともあだ名される直達も、少しずつ事件について知り、榊がどういう立場だったかを知り、その立場ゆえにどういう行動をとったかを知り、どういう行動をとらなかったかを想像することで、あえて動き出そうともします。この、少しずつ、でも確実に、まさに水が海に向かって流れていくように、一人の人間の心や行動がある方向へと形を成していく様。ここに、直達というキャラクターの立体感が強く現れます。あたかも実在する人間の内面の変化を具に見てとれたような、納得感があるのです。
直達のまわりの人間たちも、事件についてなんらかの形で知り、その特異点になっているシェアハウスの人間関係を少しでも良くしようと、当人なりに考え、動き、働きかける。その様相は決して突飛なものではないですが、突飛でなかろうと平凡であろうと、描写に十分な丁寧さが備わっていれば、それだけでとても上質なドラマになるのです。うん、すごい上質。
丁寧な描写の中にも、前作からおなじみの軽妙な地口やとぼけた台詞回しがするりと入っていて、物語は重苦しくなりません。「26歳OLがフツーにうろうろしている家に住んでるから 何かいろいろにぶくなってきているのかな……」とかすごいいいですよね。俺もいろいろにぶくなりたかった……
あくまで静かに、穏やかに、でも軽妙に、そして非常に丁寧に描かれる、男子高校生と26歳OLの関係性。1巻では直達が主に描かれていたから、次巻では榊の内面や過去によりスポットが当たるのでしょうか。とても楽しみです。2巻は2019年12月発売予定!!
試し読みはこちら。
水は海に向かって流れる - 田島列島 / 【#1】雨と彼女と贈与と憎悪 | マガジンポケット

P.S.
子供はわかってあげない』の記事 を以前書いた時に、キーワードとして出てきた「ポトラッチ」や「レヴィ=ストロース」が、本作の序盤で(本筋とは関係なくですが)登場したので、「オレは間違ってなかったんだ……」という気になりましたね。
『子供はわかってあげない』交換によって生まれる人と社会のつながりの話 - ポンコツ山田.com



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