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漫画の話です。

夜の学校 二人だけの約束 ぬけるような夜空の下で『月曜日の友達』の話

水谷茜は月曜日が嫌いだ。まだ慣れない中学校に行かなければならないから。中学校に上がって塾や部活に行き始めた友人たちと遊べないから。気の合わない姉が帰ってくるから。
一週間が始まる度に気が塞ぐ。学校が終わっても、家に帰っても、落ち着かない。月曜日の夜、家から飛び出した水谷茜は、闇雲に走り中学校まで辿りついた。するとそこにいたのは、変わり者と評判のクラスメート月野透だった。思いががけない出会いに興奮した彼女は、興奮したままたまった鬱憤を吐き出す。
「私ってそんなに変なのか」
彼女の叫びを聞いた彼は言う。
「別に変でもいいじゃないか」
月曜の夜に出会った二人。そんな二人は、また月曜の夜に学校で会おうと約束する……
月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)
ということで、阿部共実先生の新刊『月曜日の友達』のレビューです。
阿部先生と言えば、模造クリスタル先生と並んで、かわいい絵で不穏な物語を描く二大漫画家(俺調べ)であり、本作もその系統かと思いきや、意外や意外、思春期を迎える直前の少女と少年が出会う、暗さと爽やかさが奇妙に同居するガールミーツボーイの物語です。
主人公は水谷茜。小学校の級友らとともに、中学校へ進学する。他の小学校からも進学してきた、中学生たち。小学6年生から中学1年生へと変わった少年少女たち。まるで大人のように振る舞う周囲の変化に戸惑い、水谷茜は変わっていない自分に焦りと不安を覚える。小学生から中学生に変わって、まだ一か月と経っていない。でもみんなは、変わって当然の顔をしている。水谷茜が小学校の時と変わらない振る舞いをすると、子供を見るような目で見てくる。同じ中学生なのに。同じ進学したばかりの人間なのに。変わった周りが変なのか。変わらない自分が変なのか。感情が軋む中で出会った、変わり者と噂される一人の少年・月野透。思いもよらず、彼の口から紡がれた、自分を肯定してくれる言葉。月曜日の夜に学校で会おうという秘密の約束。二人だけの約束。
え、マジで阿部先生の作品?って訝しんでしまうくらいガールミーツボーイです。
けど、この作品をいかにもボーイミーツ的に「甘酸っぱい」とか簡単には言いたくないんです。そう表現するには、作品の空気にあまりにも暗さがあり、あまりにも寂寥があるんです。
この作品の印象を私なりの言葉で端的に表すなら、タイトルでも使った「ぬけるような夜空」です。
それはどういう意味か。
「ぬけるような」とは、雲一つなくいっぱいに広がる透明な空を表す表現ですが、普通は後に「青空」が続きます。でも、この作品の主役の二人、水谷茜と月野透には、青空がもたらす心からの陽気さはそぐいません。いえ、二人とも陽気な部分は見せるのですが、心からの陽気さは二人でいるとき限定で、開放的な、外に開けた陽気さではありません。言うなれば、孤独な陽気さ。そう、二人の関係性は社会、もっと言えば、中学生にとって非常に重要な社会である学校から隔絶しているものなのです。
それゆえ、二人には孤独が付きまとう。寂寞が付きまとう。夜の帳に二人だけが包まれている。閉ざされた幕の中で、二人だけが明るい。底抜けに明るい。解放されたように明るい。他のクラスメートらが中学生になって、大人のふりして、もう子供じゃないよねなんてうそぶいて、表情も感情も態度も糊塗していても、二人で夜の学校にいるときは、違和感があれば違和感を叫べ、素直な気持ちを持てる。しがらみを一時的でも脱ぎ捨てられる。そんな、月明かりに照らされている二人の、二人だけときの心の澄明さ。それは透き通っていて、それでなお暗闇の中。
秘密の約束を交わした二人に似つかわしいと思う、「ぬけるような夜空」なのです。
さて、そんな二人の物語は水谷茜の視点で語られます。
何度も述べているように、彼女は周囲との関係にいまいちしっくりいっていません。クラスメートらとも、仲が悪いわけではないけれど、いつの間にか中学生らしくなってしまった彼や彼女を見ていると、自分がおかしいのか、と悩んでしまいます。皆で遊びに行っても、ファッションの話、流行の音楽の話、美容の話、現実的な将来の話。自分の素直な気持ちを言うと、いつも笑われてしまうのです。
また、三歳離れた姉は出来が良く、彼女と入れ替わりに入学した水谷茜は、学校でも家でも、しばしば姉と比較されるようなことを言われ、それに苛立たされます。彼女自身、姉がいい人間だと頭では理解していても、感情で反発してしまうのです。
「大人」のクラスメートには、自分の素直な感情を表そうとすると子供扱いされ、家族には、姉を見習えと言いたてられる。水谷茜は、自分の言いたいことを言っても手ごたえなく消えていってしまう中で、月野透と喋っている時だけは、自分の言葉がそのまま認められ、肯定されます。それに彼女は救われる。嬉しいという感情に胸を締め付けられる。
水谷茜は、月野透から与えられた言葉に救われます。そしていつしか、彼女も彼に、何か与えたいと思うようになります。彼のことを知りたいと思うようになります。彼を救いたいと思うようになります。
救われた少女が、救ってくれた少年を救う物語。そのために少女がとった手段。それが語られる第3話の終盤は、とても美しいシーンです。
1巻が終わるときには、季節は秋になろうとしています。二人だけの約束は変わらず続いていますが、周囲の人間は少しずつ変わりますし、そして周囲が変われば水谷茜も月野透も、変わらないわけがありません。変わらない約束で繋がれた変わる二人。その変化は、約束すらも変えてしまうのか、それとも。
詩のような台詞は神韻を帯び、世界は読み手の世界から独立し始める。光や水やボールなど、散らばる粒が誇張的に配された絵は、幻想的なポップアートのごとくに仕立て上げられる。これは、読み手の単純な感情移入を絶つ、美しく閉じられた物語。淋しい健やかさに満ちた物語。果たして二人にどんな先が待っているのか、美しいもの見たさに待ち望むような、辛いもの見たくなさに恐れる遠ざけるような、相反する気持ちが湧いてしまいます。
第2話で、眠りから覚めた水谷茜がこんなことを言います。
「なぜ、夢からさめると決まって少し切ないのだろうか。」
きっとそれは、夢からさめたその瞬間、今まで見ていた夢の世界から切り離されて、現実の世界にたった一人で引きずり戻されるから。
この本を閉じた直後の切なさは、きっと現実にたった一人で引きずり戻されるから。そう思わされる言葉です。
月曜日の友達/阿部共実 やわらかスピリッツ
読んで。不穏だけど、明るいから。そして、さびしいから。



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