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漫画の話です。

『正反対の君と僕』身体感覚の言語化による強い共感の話

 先日6巻の発売された『正反対の君と僕』。

 1巻の帯に「真逆な2人の共感ラブコメディ」の惹句があるように、登場人物たちの心理描写、というよりは心理の言語化が巧みで、それが読者を「わっ…分かる~!!」(1巻帯より)という共感の気持ちにさせるのだと思います。
 でも、この作品の言語化のうまさは心理面だけでなく、身体的な感覚でも表れています。
 たとえば6巻の41話、雨に濡れて帰宅した平が独りごちるこのコマ。

(6巻 p24)
 「ほかほか感」ががどうであるとは明言していませんが、濡れた服を着替えた後に、眠たげな顔で「ほかほか」という牧歌的なワードを使っていることから、そこに快の感情があることが読み取れます。
 多くの人が感じたことがあるであろうこの、冷えた身体が暖かい部屋で乾いた服に包まれたときのホッとする感覚。
 こういうのをサラッと描くと、読んだ人もその感覚を思い出し、「わっ…分かる~!!」になるのです。
 
 それ以外にも、3巻では雨の日の家の中の楽しさや

(3巻 p32)
 雨上がりの秋の風の心地よさに言葉を与えています。

(3巻 p48)
 家の中で落ち着ているときに外で強く降る雨が妙に心躍らせたり、空気を変える秋風に季節を感じたりと、あえて言葉にしなくとも心が動いた記憶がある人も多いのではないでしょうか。

 また2巻では、鈴木が雨上がりの匂いのかぐわしさに喜びつつ

(2巻 p12)
 それを谷と共有できたことで恋心をときめかせているという合わせ技も見せています。

(2巻 p29)
 ここでは、コンビニ前で鈴木が「雨上がりのいいにおい」を感じ取ったときは、そこに居合わせた山田がまったく共感しなかったという前振りがあったので、谷が自発的に「雨上がりのにおい」を「好き」と言ったことが鈴木のハートにより火を着けるのです。
 余談ですが、私も鈴木や谷同様「雨上がりのいいにおい」が大好きなのですが、友人に一人はまるでそこに同意がなく、私が鈴木のような状態に陥ったことが少なからずあります。万人が好きなにおいだと思っていたので、友人のそんな反応はとても意外だったし、全然好きじゃない人もいるんだ!と衝撃でもあったのですが、だからこそ初めてこの話を読んだとき、鈴木や谷が雨上がりのにおいを好きだと言ったことに「同志よ!」と握手を求めそうになりました。「わっ…分かる~!!」となりました。山田に「この無粋な人間が!!」と思いました(なもんだから、私の友人なんかはこの話を読んでも、鈴木や谷に共感が薄くなるのかもしれませんが)。

 たしかに感じてもやもやしているけどまだ言葉にできていない感情に、適切な言葉が与えられているのを見ると、「それっ!」と膝を叩いていっぺんに共感しちゃいますが、感情だけでなく、身体的な感覚でも、なんか好きとかなんか嫌いとか、ぼんやりと感じていたものが言葉で適切な輪郭を与えられると、やっぱり共感しちゃって「好きっ!」てなりますよね。
 言語化による共感て、強いですよ。『正反対の君と僕』はそこが強い。

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