つい先日発表された、現在『アリスと蔵六』を連載中である今井哲也先生の新作読み切り『#512【プロジェクト・キノ】 思い出振り返り雑談と、これからのこと【活動休止】』。
neu-world.link
タイトルに「活動休止」をもってきて物語を始めるこの誘引力よ、と思いつつ読み始め、まあたいそう面白かったですね。
この作品は
Neu Worldとは。
脳研究と物語でまだ見ぬ世界をえがくプロジェクト。
漫画家や小説家などクリエイターと研究者が織りなす作品で
新たな体験にいざないます。
近いみらいであるかもしれない生活に思いを巡らせてみませんか。
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という趣旨のものとにつくられたサイトに掲載されており、より具体的には
というものだそうです。
今井先生の描いた 「BMI
*1とかサイバネティックアバターとかの技術が実現した2050年の世界」には、ポストアポカリプスの中で芽吹いている希望があるのですが、具体的な中身は作品を読んでもらうとして、私の心に引っかかったのは、この作品の主たるテーマである登場するコミュニケーションの在り方です。
この作品の主な登場人物は三人。

(p1)
向かって右から、研究者の纏崎レイラ、同じく研究者の號田咲(のリアルアバター(作中で言う「リアラ」))、そしてAI搭載エージェント、要は人工知能ロボットのキノです。
当初は感情の表出が乏しくいかにも人工知能然としたキノが、いかにして今のような人間と見まごう振る舞いを見せるようになったのか、そのきっかけとなった考え方は何なのか、というところに、「コミュニケーションとはどういうものなのか」という考えが登場します。
その中で私が膝を打った要点、それを端的に引用すれば、「コミュニケーションは忙しい」です。
コミュニケーション。
日常的に見聞きする言葉の割にしっくり対応する日本語はなく、「意思疎通」なんていうおかたい漢語に頼らなければいけないし、それでもなんだかしっくりこない言葉なのですが、日々生活する私たちは当たり前のように誰かとコミュニケーションをとって生活しています。目の前の人と、あるいは電話の向こうや画面の向こうの人と、ほとんどの場合は言葉を用いて、互いの意を通じ合っているのです。
その当たり前さゆえに気が付きづらいものですが、この主に言語を解して行われる(ように思っている)コミュニケーションは、単に言葉をキャッチボールのようにやり取りしているのではなく、視線や身振りや声のトーン、表情などの非言語的情報も含めた膨大な情報を、双方向的に、同時的にあるいは連続的に送り合い、受け取り合い、そのやりとりの中身を無意識のうちに修正し続けているのです。


(p37)
私がなにか発言しました。
相手はその内容を受け取り、意味を理解し、それに対する応答をしました。
私はその内容を受け取り、意味を理解し、それに対する応答をしました。
そして相手はまたその内容を受けて……
というような、一個のボールを受けては握りを確かめてまた投げ返す普通のキャッチボールではなく、色や形が異なるボールを同時に使って、投げてはとりとっては投げ、なんならこちらが投げる前に相手が何個も投げつけてくるのでその都度対応しなければいけない、非常に難易度の高いキャッチボールというか球の投げ合い。それこそがコミュニケーションなのであり、それを評してエミが言ったのが、「コミュニケーションは忙しい」だったのです。

(30p)
向けられた言葉に対してその意味を検討し、完全な回答を考え出し、相手に十全な形で伝える。 それをするにはあまりにも「考える時間が足りない」。だって「それより先に…返事をする時間がくるから」。常に足りない時間の中で、それでも相手とやりとりをしなければいけない。
だから「コミュニケーションは忙しい」。
一個のボールでキャッチボールをするキノと、種類ごちゃまぜのボールで球を投げ合うキノのセリフの違いは、具体的に以下の通りです。

(29p)

(39p)
一読瞭然の差です。
端的に、上のセリフ、つまり一個のボールによるキャッチボールは整然としています。主述や修飾被修飾の関係は明確で、読解のノイズになる余計な言葉もありません。生成AIの文章みたいですね。まあキノはAIなんですけど。
それに対して下のセリフ、ごちゃまぜのボールでの投げ合いは、明確な主述関係が登場せず、フィラー(「あー」「ええと」など、会話の間を繋ぐための言葉)が挟まり、一文が完結する前に相手の反応に即した言葉が出てきます。つまりは、整然としていない文です。そしてこの整然としていない文こそ、実際に私たちがしゃべっている文でもあります。
いや、それどころか実際私たちが口にしているのは、もっとずっとはるかに整然としていない文で、文字に起こせば読みづらいことこの上ない代物なのですが、にもかかわらず私たちがコミュニケーションをとれているのは、言葉と同時に「視線や身振りや声のトーン、表情などの非言語的情報」も受け取って情報を補い、「相手にそれが伝わってるか伝わってないか 相手の表情や相槌なんかから同時に判断」しているからです。
なるほど、そんなことをしているのだから、そりゃあ「コミュニケーションは忙しい」。コミュニケーションというものの高度さ、複雑さ、難しさの理由を端的に表したこの言葉に、私は強く膝を打ったものです。
莫大な情報を処理しながら即時的にやりとりを構築していくことは高度なマルチタスクであり、どこかの情報を受け取り損ねると、やりとり全体がガタつき始めます。
たとえば少し極端な例として、LINEのような文字情報のみのやりとりを考えてみましょう。
交通手段を聞きたくて「なんでくるの」と尋ねたら、「なぜおまえが来るのか」と反語表現的に拒否のメッセージと読み取られたり、友情を確かめるために「あなたとは友達じゃない」と言ったら、「お前と私は友達なんかではない」と関係断絶のメッセージと読み取られることがありえます。表情や声音、仕草と言った非言語情報込みで送れる対面コミュニケーションであれば決して誤解しないであろう言葉も、それらのない文字情報のみのコミュニケーションでは、容易に断絶が起きるのです。
作中では、同時性のないやりとりの苦労として、テキストを入力しリアラ経由でレイラと会話するエミのエピソードが語られました。
身体上の理由で自身による直接的な会話ができないエミは、昔は、テキストで一文を入力・作成→リアラに送信→リアラが発声、という一連の流れで発話をしていたのですが、あるとき気づきました。それだとコミュニケーションが全然スムーズじゃないし、相手にまくしたてられるとまったくこっちがしゃべれないと。
それに気づいた彼女は、一文を完成させてから送信するのではなく、文節単位で思いついた端からポンポン入力していくようになりました。そう、それはまさに、私たちが会話するのと同じやり方です。私たちは会話するときに、いちいちすべての文章を考えてからしゃべりだしません。とりあえず何か口にしてから次に何を言うか考えだすし、考えながらしゃべりながら、相手の反応次第でどんどんそれを修正していきます。
エミの「一文を入力してから送信する(発声する)」というやりかたは、「忙しくない」コミュニケーションです。そこには、自分の発声の最中の相手の反応をうかがい、修正するというプロセスがないのですから。
「忙しくない」コミュニケーションのエミは、「忙しい」(つまりは通常の)コミュニケーションであるレイラに口げんかで勝てませんでしたが、文節ごとにポンポン発声させる「忙しい」コミュニケーションに参入することで、彼女との口喧嘩(もしくは議論)がスムーズにいくようになったのです。
ただ、これは「忙しくない」コミュニケーションが劣っているというわけではなく、コミュニケーションの忙しなさは当事者間でそろえた方がいいし、スピードやテンポという点では「忙しい」方が優れているよね、というものです。論理性や精緻さ、第三者による可読性という点などでは、「忙しくない」方が圧倒的に優れています。
つまりは、コミュニケーションの忙しさ、hecticnessという観点で、日常の様々な形での情報のやり取りを見直すと、またちがった発見があるのではないかと思うのです。
というわけで、「コミュニケーションの忙しさ」について、いくつかの観点から見てきました。「忙しい」という形容を筆頭に、コミュニケーションというものの捉え方に対し、新たな知見を得た思いです。
さて、そのコミュニケーション。本作の最後で、キノはこう言います。
キノはね コミュニケーションそのものに強い興味がある
どうやったら…「わかる」ってことが起こるのか
「わからない」同士がなにを交換したら「わかる」になるのか
目や口や身体のうごき 言葉 触感 香り
わかりたい気持ち
これからはキノは もっとそれを考える仕事を始めます
(p74,75)
実はこれ、今井哲也先生の連載作にずっと伏流しているものなんじゃないかって気がします。
『ぼくらのよあけ』では、子供同士のコミュニケーション不全や、オートボットや異種知的生命体との交流が描かれ、現在連載中の『アリスと蔵六』では、研究所で生まれた紗名が、蔵六や他の人間とのコミュニケーションを通じて、社会的人格を形成てしていく過程が描かれています。デビュー作の『ハックス!』では、具体的なコミュニケーションではなく、「忙しいコミュニケーション」を意識したセリフ回しが見られます。
そこらへんの話についても、また改めて考えてみても面白そうですね。手始めに、「忙しいコミュニケーション」のセリフ回しが生む意味や効果とか。
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