ポンコツ山田.com

漫画の話です。

全一お嬢様は世界を熱くする!『ゲーミングお嬢様』の話

全一お嬢様。
国民の九割がご存知のとおりそれは、ゲームの大会で優勝したお嬢様のこと。今その看板を背負うのは、日本屈指のお嬢様が集う超・お嬢様高校、聖閣東芸夢学園に通う祥龍院隆子である。eお嬢様戦国時代にその名を轟かす彼女は今日も、勝てば全力で相手をあおり、負ければお嬢様式罵詈雑言をまき散らしながら台パンをし、eお嬢様としての己を高めていくのである……

ということで、原作・大@nani先生、画・吉緒もこもこ丸まさお先生の作品『ゲーミングお嬢様』のレビューです。
原作者の手による読み切りがジャンプ+に掲載されたときには、その荒ぶる絵柄とセリフ回と格ゲーへの狂熱にネット界隈がざわめきましたが、さすがに荒ぶりすぎた絵柄のせいか、作画を付けた上で晴れて連載となりました。
中身は、格ゲーへの愛を狂気とウソンコお嬢様で煮詰めたギャグ漫画。テキトーな上品言葉で悪口雑言というのはそれだけで楽しいですよね。クソわよ!
石を投げればeお嬢様に当たるくらいにゲームが席捲している日本を舞台に、音ゲー、MOBA、FPSと、多くのeお嬢様が鎬を削るゲームジャンルの中で、格ゲーを最上位カーストに押し上げ、とどめているのが、主役たる全一お嬢様・祥龍院隆子です(持ちキャラは当然リュウ)。
皆の前では、数多のeお嬢様の憧れたる完璧な淑女。だけどその陰では、全一お嬢様たる自分をなおも高みへ登らせようと、練習の日々。それはあたかも、優雅な白鳥が水面下では必死にバタ足をしているがごとし。

f:id:yamada10-07:20210207161530p:plain
ゲーミングお嬢様 1巻 p6

必死にバタ足をしているお嬢様です。
とまあ、バタ足の姿がどんなに醜かろうとも、全一お嬢様にかける彼女の思いは本物。

私は偶然の勝利など求めませんわ
何が起きようと決して動じずに 触らせず 近寄らせず 必ず勝つ そこに紛れが起こる余地はない
立ち回りに完璧を求め続けたことが 私が「全一お嬢様」たる所以ですわ
1巻 p37

勝とうが負けようが回線が落ちて怒り散らそうががゲーム代のためお嬢様らしからぬバイトをしようが、この気概と実力で、彼女は全一お嬢様として君臨しているのです。
もちろん登場するのは彼女だけでなく、心友と書いてライバルと読む雷撃院蹴子お嬢様や、隆子お嬢様の弟子である二回堂転子お嬢様(その他ベガ立ち要員であるモブお嬢様)などがいるのですが、読んでて楽しいのは、彼女らは(果てしなく誇張しているとはいえ)、ゲームの勝敗に全身全霊で一喜一憂しているところです。
勝てばこの世の春とばかりに己の強さを誇り喜び、負ければこの世の終わりとばかりに身悶えし転げまわり地団駄踏みまわる。遊びでやってんじゃねえんだ!と言わんばかり。というよりは、遊びでやってるからこそ、己の楽しみ以外に奉じるものはないわけで、勝てば喜び負ければ悔しがる。それが当然なのです。
また、気心の知れた間柄であれば、戦う前にはお互い相手を全力で煽り合い、勝てば言葉の限りで罵り尽くし、負ければ相手からの罵詈と自分が言った煽りのブーメランで燃えカスになる。そんな煽り合いもまたゲームの華。お排泄物ご令嬢のように無邪気に全力に、彼女らはゲームを遊びつくすのです。
1巻でもゲーセンで格ゲー以外にちょろっと触っていますが、未収録分では温泉地にあるような古っいゲームやボードゲームアナログゲームにも興じています。ゲームを全力で楽しむ姿はこちらでも健在です。
ゲームに賭ける熱くクレイジーな思いと、お嬢様の口から吐かれるクレイジーなお嬢様ワード。大人になると人は、子供のころにはあれだけ熱くなっていた遊びへの気持ちを忘れてしまうものですが、この漫画を読むことで、昔の自分に会えるかもしれませんね。いやそんないいもんじゃないけど。自分が子供のころこんなに煽りはしなかったけど。
shonenjumpplus.com



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

『よふかしのうた』6巻後半の感想の話

  • 第54夜。ドキッ!男だらけの銭湯大会!
    • 吸血鬼のなり方(され方)は知ってるけど、まだなっていないマヒル。つまり、まだ血を吸われていないということ。
      • キクが「優秀な吸血鬼」であると聞かされているので、その状況に疑問を覚えるコウ。
      • 「眷属にしたいわけじゃない」「でも 自分を好きな人間の血は吸う」 この2つは成り立つのか?
        • 前者は部分否定だし、両者が排他的な関係にあるわけではないだろう。なんかいまいちわかりづらい問いの立て方だけど。
    • ヒルの嘆きに適切な答えを出せないコウは、二人の助っ人を呼ぶ。一人はあっくんこと秋山。3巻で登場し、セリの眷属になった男。
      • 頑なにあっくんをメンヘラさんと呼ぶコウ。お前本当に学校で社交の仮面をかぶれていたのか?
    • もう一人は吸血鬼の蘿蔔ハツカ。どう見ても女の子な男。吸血鬼にまつわる男の悩みは吸血鬼の男に聞くというコウの人選コンセプト。
      • 姓名ともに大根に絡めてあるのは、股の間にぶら下がっているもののせいだろうか。
    • 4人で連れ立って銭湯へ。コウ・ハツカペアと、マヒル・あっくんペアに分かれる。
      • 少女だと思っていた人間の股間にパオーンがぶら下がっているところを現実に目の当たりにしたとしたら、自分はどういうリアクションになるかな……。
        • まず、少年を少女だと完全に勘違いするというシチュエーションを想像しがたい。でも、人生で一度くらいは出くわしたいな。
    • ハツカから聞かされる意外な事実。眷属の数はあんまり多くない。基本は数人程度。でも、マヒルの好きなキクは例外的に多く、ざっと50人。
      • そもそも吸血鬼はなんで眷属を作るんだっけ。
        • 眷属は、人間でいうなら子供なのか、それとも配偶者なのか。今のところ、種の保存云々言ってるので、前者ぽいけど。
        • 子供がほしくない人もいればたくさんほしい人もいる、てところか。
          • だとすると、「『そんなつもりはなかった』と涙を流し 自分の眷属とは一切の連絡を断ち 二度と会おうとしない」キクのヤバさよ。
    • 一方ポジティブなメンズトークに花を咲かせるマヒルとメンヘラさんことあっくん。
      • あっくんには「そういうとこだぞ」と言ってやりたい。
    • コウにしろマヒルにしろ、もう眷属になるしかない、というハツカ。眷属 or dieである。
    • そして唐突に現れた、シリアスパートを担う女、鶯餡子。すごい次回への引きだね。
  • 第55夜。吸血鬼の弱点。
    • まず冒頭の、灰になろうとしている死体(?)と少女。誰なんだろうね。
      • 餡子と、吸血鬼になった(そして彼女が殺した)彼女の係累のように思えるけど。
      • ジッポライターが、死体が生前執着してた私物かな。
    • 前話からの引きと冒頭のシリアスな導入からいきなりはずしてくる女、餡子。そりゃあ店員さんもビビるし怒るよ。
    • からの、自分の眼鏡でひるんだあっくんをナイフでめった刺し。おっかねえ。狂気フルスロットル。
    • セリが乱入してきて、形勢逆転したところで、ついに明かされる、吸血鬼の弱点。吸血鬼は、人間だったころの私物、特に思い入れが強ければ強いほど、それが弱点になるという。
      • 弱点というのもふわっとしてる表現。肉体が弱体化するのか、精神が平衡を保てなくなるのか。
    • ハツカ曰く、「僕らはヒトを殺す趣味なんてないよ」。
      • 「僕ら」はどこまでを指すのか。趣味では殺さないけど、必要があれば殺すのか。
        • まだよくわからない、吸血鬼の倫理観。コウは真意が他の吸血鬼に知られるまでは殺される可能性が十分あったし、セリはあっくんをガチで殺す気っぽかったし、人間殺しがタブーでというわけではないのだろうな。
    • 吸血鬼殺しをしている餡子が特に執着しているのが、マヒルの思い人であるキクの様子。はてさて、どんな因縁が。
      • 冒頭の死体を吸血鬼化させたのがキクだったりするのだろうか。
  • 第56夜。人間の記憶。
    • 自分以外の吸血鬼がコウの血を吸ってご機嫌斜めのナズナ
      • この話中ずっと引っ張ってるのがかわいい。
    • さて、吸血鬼は人間だったころのことをだんだん忘れるという。
      • だんだんということは、吸血鬼である期間が長ければ長いほど、人間だったころの記憶は少なくなる、と言えるだろうか。
        • 各キャラの年齢(吸血鬼になってからの期間)はまだ明らかになってないけど、重要そうな情報だよな。誰が一番古株なんだろうか。
      • 作中で、まだ人間のコウや吸血鬼になりたてのあっくんも感じてることだけど、吸血鬼になってしばらくすれば、かつて自分が好きだった人のことも忘れてしまうことになる。
        • でも、吸血鬼になってからの記憶はあるのならば、吸血鬼になってからも自分が好きだった(=自分の血を吸った)吸血鬼と付き合いが続いていれば、その記憶までは消えないはず。吸血鬼になった時点でその恋心が残っているのならば。少なくともあっくんには現時点で残ってるし。
          • それとも、吸血鬼になりたての頃の記憶もぼんやりしていくのだろうか。人間が昔の記憶ほど思い出せなくなっていくように。
        • これを踏まえると、眷属を作っては連絡を断つキクが生み出した吸血鬼は、他の者に生み出された吸血鬼よりも早く、人間だったころの恋心を忘れてしまうことになる。
          • 吸血鬼になったきっかけを覚えていられない吸血鬼を大量に生み出している女、キク。意図的なのか何なのか。
    • ナズナが好きになった人の事を覚えていないという事実にショックを受けるコウ。それは将来の自分に起こりうる姿なわけで。
      • ナズナを好きになってナズナに吸血鬼にしてもらいたいと思ってるのに、今抱いているその気持ちをいつか忘れてしまうかもしれない。
    • 吸血鬼になった後に、恋心そのものを覚えていたとしても、あっくんが言うように、そのきっかけとなっている人間時代にあったことは忘れてしまう。彼女と出会った時のことも。彼女を好きだと初めて自覚した時のことも。
      • それはきっと悲しい話。少なくとも、人間の感覚を多く残している今は。
  • 第57夜。女の人に年齢を聞いちゃダメだぞ。
    • ついに明かされるナズナの年齢。30から40前後。生々しいな。
      • でも、生々しいかわいさがあるな。
        • 40前後であの振る舞いだとするとだいぶ年不相応である。人の精神は見た目に左右されるのか。精神は肉体に宿る。
      • ところで、吸血鬼は老化しなそうだけど、見た目は吸血鬼になった段階で止まるんだろうか。ナズナの「30から40前後」ってのは、吸血鬼になってからの話なのか、それとも人間時代を含めてなのか。どっちてもとれる言い方をしているので、いまいち判然としない。
    • ナズナの人間時代のヒントを見つけ、病院に行く二人。廃病院とかでなく、普通に営業中。
      • 見つかって不法侵入が発覚することを恐れるコウだけど、その割には声量に気を遣わなすぎじゃないですかね。
      • 物音を追って上階に行くけど、なんでそっちにナズナに関する何かがあると思ったんだろう……? むしろ職員に見つかることを恐れて離れるべきでは?
    • で、出会ったのが、なぜかナース服に身を包んでいる吸血鬼のカブラ。ちゃんと働けるのか(法的な意味で)?
      • 同じ吸血鬼のミドリもメイド喫茶で働いてるけど、バイトならなんとでもなりそうだが。看護師となると要資格では?
  • 第58夜。ナース服=えっちなお店という偏見。
    • 基本的に同族に気配りのないナズナだけど、カブラには輪をかけて無礼を働く。強い。
    • 「久… 久しぶりじゃない」という言いなおし。何を言いなおした?
      • 「久(ひさ)」から続くのは「久しぶり」に類する言葉しか思いつかんなあ(辞書の前方一致検索も使った)。
        • 人名等の固有名詞だと文脈変だしな。
          • 全っ然関係ないけど、この検索で「久生十蘭」が「くぜじゅうらん」ではなく「ひさおじゅうらん」であると知った。マジか。
            • むしろなぜ「くぜ」だと思っていたのか。
    • 病院内で調べることの条件に、ナズナにナース服(とコウに患者服)を着るよう申し付けたカブラ。趣味か?
      • 少なくともこの巻では特に重要な意味を持っていない。趣味か?
        • もしくは、カブラの回想に出たように、カブラが(おそらくは)人間だった時代のナズナの姿を思い出したかったのか。
          • やっぱり趣味だな。
    • 寝取り好きの嗜好を垣間見せるカブラさん。赤羽さんはただの患者なのか、眷属候補なのか。
    • ところでナズナちゃん、ずっとコウにおぶさってたね。
  • 第59夜。ナズナの過去とカブラの過去。
    • 一人トイレに入ったところで、カブラに襲撃されるコウ。
      • 物音がしたけど鏡越しに確認したら誰もいなかったから安心したのに、鏡に映らない吸血鬼の特性ゆえに奇襲に成功したカブラ。うまい表現だと思った。
        • 拉致られてる真っ最中も、鏡にはコウしか映っていないというコマで、それが吸血鬼の特性であることを最小限の情報量で示してる。うまい。
    • コウに寝取りを仕掛けるのと同時に、ナズナの心配もするカブラ。
      • なんとなく関係がありそうな性質である気がする。なんとなく。
    • そして、ナズナが見つけた、ナース姿の自分とベッドの上のカブラが写る写真。コウがカブラに尋ねる「ナズナはあなたの眷属か」という問い。次がめっちゃ気になるいい引き。
      • 次巻予告の書きっぷりで、さらに謎を掻き立てる。果たして写真に写っているのは本当にナズナなのか、カブラなのか。



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

『よふかしのうた』6巻(前半)の感想の話

  • 第50夜。吸血鬼になることを決意するマヒル
    • 人当たりがよくて、友達も多い。と思われてるマヒルの内面。キクと出会って楽しさを感じたことで、翻って今までの自分の生活が別に楽しくなかったと気付いた。
      • 48夜でマヒルがコウを尊敬してるって言ってたけど、あれはコウが「他人とあわせないでいられる自分を持ってる」、つまり一人でいられる人間だから。それをリスペクトするマヒルは、他人とあわせないではいられない人間ということで。
        • ヒルにからんだ同級生、AKIRAの鉄雄ぽさがある。『だがしかし』でもAKIRAネタがあったな。
    • 最後にマヒルの言った「きっかけ」はなんのきっかけだろう。
      • 告白するきっかけ?
      • それとも、自分の嫌いな自分を変えるきっかけ?
  • 第51夜。そうだ、東京へ行こう。
    • 5巻のラスト(49夜のラスト)で示唆されたキクのキモさ怖さに改めて光が当たる。
      • コウやナズナは気づているけど、マヒルは気づいていないアンバランスな状況。コウは友人を心配するけど、その思索をナズナに邪魔される。
        • うまく問題を宙ぶらりんにした。
    • で、東京。
      • 「理由もなくなんとなく"東京に憧れる"をやってるやつらがムカつくコウ。(もともとの意味での)中二病でとてもよい。
        • 邪気眼とかじゃないぞ。飲めもしないブラックコーヒーを飲んだり、意味の分からない洋楽を聞いたりする方のやつだぞ。
      • かつて、漠然とした楽しさを求めて一人東京に出たナズナは、その華やかさがむしろ寂しかった。だから、今度は明確にコウと一緒に行きたいと思って東京に行った。
        • 外連味のあるナズナの表情がとても良い。アンバランスなはすっぱさが、彼女の精神をとても華奢に見せる。
          • その直後のコミカルなデフォルメ顔でさらに良い。
    • 「きっと 生まれて初めて 自分以外の誰かを大切だと思った。こんなにいつも一緒にいるのに またすぐに会いたくなる。これが この感情が恋じゃないなら じゃあなんなんだよ」
      • なんなんだろうね。そう思いながら血を吸われても、吸血鬼になれないんだもんね。
        • 獰猛なナズナの口元と、恍惚と照れの混じったコウの表情の対比がいい味出してる。
  • 第52夜。What is this thing called love
    • 道行く人々の恋愛(ナンパ)模様を見ながら、恋とは何かを考える、恋を知らない中学生男子と、恋に奥手な吸血鬼。
      • 純な恋愛。不純な恋愛。純からたどり着く不純。不純から行きつく純。
        • 「いいじゃないか 当人が納得していれば 他人が口出すことじゃない」
          • それができないのが人間。吸血鬼もかな?
      • 今まで恋愛感情を抱いたことのないコウが、自身の異常な体験を思い返し、道行く見知らぬ人々の恋愛する姿を見て、気づく真理。「ドラマなんかなくても人は恋愛ができる。」「恋愛なんて特別なことじゃない。」
        • まるでぴんと来てないナズナ。ははーんこいつ中学生男子以下か。
    • 夜の誰もいない動物園。動物も見えない。
      • 背景がしっかり描かれた大きめのコマに、小さめのキャラクターの絵。拙者そういう構図大好き侍。
      • ナズナに、明確な好意がこもった言葉を吐けるようになったコウ。男の子だぜ。
        • 「帰ろっか」がいい。自分たちがいる地元に帰るんだよ。自分たちが会えた場所に帰るんだよ。
      • 「せっかくならいつかは…」
        • その「いつか」は、来るべきではない時。マジョリティから背を背ける未来を選んだ者たちには来ない時。
  • 第53夜。中学生の恋バナを肴に酒を飲むダメな人(鬼)たち。
    • コウの話でアルコールが捗るダメな人(鬼)たち。
      • 自分もやってみたいか? ……ちょっとやってみたいかも。
        • あと、かわいい女の子とテレビゲームして盛り上がりたい。
          • 男はいくつになってもそんな願望を抱いてしまうかわいそうな生き物。
    • 最後にコウをさらっていったナズナ。かっこよくてかわいい。
      • コウと二人ならテンションガン上げでゲームをするけど、他の人間と一緒ではそういう素を出せない。照れをにじませるでもないスンとした顔のナズナ、いい……



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

俺マン2020の話

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年はコロナ禍で引きこもるしかなく、本好きには絶好の積読崩しイヤーだったかもしれませんが、もともと引きこもり傾向のある私にはあまり関係なく、例年と大差ない読書量でした。今年もぼちぼち読んでいきたいと思います。
さて、なぜか恒例となっている新年早々に去年の総括。俺マンを軸に振り返ってみます。
俺ギュレーションとして、2020年に発表された作品から、もっともグッときた作品5本(順不同)。ただし、殿堂入りを+1本と、次点の作品群も挙げてみます。また、今年は(というか例年そうなのですが)、それ以前の年と被る作品がちらほらあるので、タイトル以外に言及するのは、俺マンに初エントリーの作品のみとします。
では、まずは俺マン2020に輝いた5作品。

・ワンダンス/珈琲

・水は海に向かって流れる/田島列島

・違国日記/ヤマシタトモコ

以上三作品は常連ですね。『水は海に向かって流れる』は完結ましたが、『ワンダンス』と『違国日記』は2021年も作品発表が想定されるので、おそらく次回は殿堂入りになるかと思います。

以下は新規の作品。
・葬送のフリーレン/山田鐘人・アベツカサ

こちらは既にブログで紹介していますが
魔王を倒しても世界は続く 自分と仲間を知りなおす旅『葬送のフリーレン』の話 - ポンコツ山田.com
『葬送のフリーレン』旅でフリーレンが知るもの、気づくものの話 - ポンコツ山田.com
その独特な空気は3巻になっても健在です。魔王を倒したパーティの一人である、主人公の長命なエルフ・フリーレンが、その冒険の中で見過ごしていたことを、かつての仲間の係累や、かつての冒険の足跡をたどりなおすことで、再発見していく、物語の後日談の物語。『このマンガがすごい!2021』オトコ編第2位にランクインしたのもうなずける、非常に完成度の高い作品です。
生物としての性質が異なる知的種族が混在する世界。その性質の違いとは、端的に言えば寿命であり、時の流れは誰にも平等で流れながら、その流れを受け止めるキャパは種族ことに違う。1000年の時すら生きるエルフと、100年で死ねば大往生の人間では、見えるものも感じるものも変わるのです。その性質の差ゆえに、すれ違ったり食い違ったり理解できなかったりする思い。エルフのフリーレンが他の種族の思いを理解するときには、その当人は既に死んでいることがほとんど。でも、フリーレン自身は生きているし、死んだ彼や彼女の係累も生きているかもしれない。気持ちの受け渡しは、必ずしもその当人の間だけで行われるものではなく、人を変えて世界に広がっていくものなのでしょう。
葬送のフリーレン 1. 第1話 冒険の終わり/第2話 僧侶の嘘


・ハコヅメ~交番女子の逆襲~/泰三子

こちらはブログでも未言及の作品。すでに15巻まで出ている作品なのに、恥ずかしながらちゃんと読んだのは今年の秋口という体たらく。これがめっぽう面白くて、なぜ今まで読んでいなかったのかと後悔することしきりでした。タイトルだけ見て、「被害者が折りたたんで箱の中に詰められている猟奇殺人事件を追う交番の女性警官のお話」というミステリーものと思い込んでいたせいで、食指が伸びなかったんですよね……よもや、元警察官の作者が描くコメディだったとは。
で、そのコメディのノリが非常に私好みでした。ボケに対してしれっとした感じのテンションでキャッチーな言い回しのツッコミを当て、さらにツッコミにもツッコミを重ねていくスタイルで、まずその切れ味が抜群。一歩間違えればくどい言い回しになってしまいそうなところを、会話劇を軽妙にさばいていきます。
また、そもそものシチュエーションが警察なので、非警察官である多くの人間にとってそのシチュエーション自体が異次元。まだ警察の常識に染まりきっていない主人公の新人女子警察官が、いわば読み手の目となり、すでにズブズブになっている先輩警察官たちが当たり前のものとしてふるまう常識に対して、(読み手からすると)まっとうな拒否反応を示し、いやその拒否反応こそおかしいのだ何を言っているんだお前はと先輩たちは主人公の常識を塗り替えようとする。そして、その一連の流れを、時に主人公の目を通して、時に物語の外にいる非警察官の目として見せることで、えらい破壊力の高いコメディが出来上がっているのです。
ずるいのは、コメディだけでなく、警察官としての職業倫理がキラリと光るような話もささっと挟んだり、伏線や布石をうまくつなげた長編も作り上げる、ストーリーテラーとしての手腕。コメディで終わる話かと思ったらそのコメディ部分を伏線としていい話のオチにしたり、いい話で落とすと思ったらもうひとひねりコメディで着地したり。いやホント、なんでもっと早く読んでこなかったのか。
ハコヅメ~交番女子の逆襲~ - 泰三子 / その1 アンボックス(ハコから逃げろ) | コミックDAYS


さて、以下は惜しくも次点組。
・よふかしのうた/コトヤマ

異世界おじさん/殆ど死んでる

異世界おじさん 5 (MFC)

異世界おじさん 5 (MFC)

こちらは以前にも登場済みですね。

・味噌汁でカンパイ!/笹乃さい

幼いころに母を亡くした中学二年生の善一郎と、そのお隣に住む幼馴染の八重。ある日、善一郎が毎朝簡単な朝食しかとっていないことを知った八重は、突如彼の家に押しかけ、朝食を作ってあげることに。そこには、善一郎の母が死んだときに八重が彼とした約束があって……という、ハートフルなラブコメディ。中学生の幼馴染というもだもだする甘酸っぱさや、着物の描写にやたらと力を入れている作者や、味噌汁のうんちくなど、要所要所で私の心にフックした作品です。
この作品も、10巻が発売された段階で初めてまともに読んだのですが、そのきっかけは漫画アプリでの試し読みで、実はそれは『ハコヅメ』も同様。1巻か、せめて3話くらいまで読めると、販促に大きく寄与しますね。
味噌汁でカンパイ! 1. 1杯目 君の味噌汁が、食べたい?


・忍者と極道/近藤信輔

世の中の裏側で長年にわたり対立してきた忍者と極道が、異能とクスリでバッキンバキンのメッタメタでド派手な戦いを繰り広げていくバイオレンス漫画。そして、忍者方の主人公である忍者(しのは)と、極道方の主人公である極道(きわみ)は、裏では相手方の組織を壊滅させようと血道をあげているけれど、表の世界では、偶然知り合った同好の士(アニメ「プリンセス」シリーズのガチオタ)として、相手の正体も知らず親交を深めている。
よくあるといえばよくあるシチュエーションではあるのですが、荒唐無稽なバトル(殺戮)シーンと、謎のルビが乱舞するセリフ回しには、「よくある」などとは決して言わせぬ力があります。「そんな…お前が敵だったなんて……」というラストは見せつけられているかのように見通せるのですが、そこまでどういうルートをたどってたどり着くのか、まるで予想がつきません。いや、予想はできるけど想像はできない、という方が正しいかも。地図で道を見てもその道がどんな様子で実際通った時に何がいるかまではわからないのです。
忍者と極道 - 近藤信輔 / 第1話 忍者と極道 | コミックDAYS


鬼滅の刃/吾峠呼世晴

いまさら何を付け加えることがあろうかという超有名作。2020年は間違いなく本作が席捲した年でしたね。
最後まで、一息はいるところはあっても中だるむことはなく、全23巻を最後まで駆け抜けたという印象。最終戦で、キャラクターの生き死ににシビアなのがしびれます。

栄えある殿堂入りは『BLUE GIANT』シリーズです。

『SUPREME』が終わり、『EXPLORER』が始まりましたが、まさに大の言うように、まだまだ上に行きたいから新しいステージに移るための新章突入でした。『SUPREME』で燃え尽きてそこで終わりじゃなくて、また先の世界を切り拓く『EXPLORER』の物語。こんなん殿堂入りにするしかないです。
『BLUE GIANT SUPREME』辿り着いた極点とゼロからの探求の話 - ポンコツ山田.com
ということで、2020年の総括でした。
今年もまた面白い漫画に出会えますように。


お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

『GIANT KILLING』椿が「好きにやる」ことの意味の話

最新巻が発売された『GIANT KILLING』。

天宮杯で緒戦の徳島を破ったチームをよそに、アジアカップの敗戦から椿は塞ぎこみ続けています。
靭帯をやってしまいしばらくサッカーから離れざるを得ない親友の窪田。自らのレッドカードで敗戦の決勝点となったPKを献上してしまったアジアカップ準決勝。ネットやメディアでの心無い批判。もともとメンタルが課題だった椿にとっては、どれをとっても重い負担になっています。
そんな状況で、椿のもとへ届いた窪田からのメッセージ。辛い状況でも明るく振舞っている窪田に申し訳ないとは思いつつも、取り繕う方がむしろ不誠実と、前へ進むことのできない己の弱さを椿は吐露しますが、それに対する窪田の返答は、慰めではなく、肯定。

それでいいよー。
椿くんがしたくないことは
しなくていいと思うよ。
(57巻 p76)

驚く椿なぞ気にせず(スマホ越しなので気づきようもないですが)、窪田は続けます。いわく、日本代表が敗退した責任は窪田自身も感じているし、志村も感じている、いや、代表のメンバー全員が感じているはず。それなのに椿一人に敗戦の責を負わせる形になってしまい、申し訳ない、と。だから、椿は好きにすればいい、と。
これまでの椿のサッカー人生は「誰かとつながるためのサッカー」でした。それは小学校時代にすでに表れており、過疎地にある廃校直前の小学校時代、小1から小6までの生徒に加えて、若い先生から定年間際の先生、老若男女が入り乱れてもちゃんとサッカーらしいサッカーができるよう、椿がシステムめいたものを考えだし、廃校になる最後の時まで皆でサッカーを楽しんでいました。中学生になって、プロになりたいと思った動機も、「プロになって活躍したら 廃校で離れ離れになった人達が自分を見てくれる そうしたらバラバラに生活してても 皆がつながっていられる」というものでした。プロになっても、言葉に出さないで自分のプレイで他の誰かに自分の気持ちを伝えようとする、そんなシーンが散見されます。
このように、誰かとつながるためのサッカーを続けてきた椿ですから、窪田から言われた「好きにしたらいいと思う」という言葉は、一つのメルクマールになると思います。
もちろん今までの椿だって、誰かに言われてつながるためのサッカーをやっていたわけではなく、自分自身の意思でもってそれを選んでいました。ですが、誰かとつながっているということは、そのつながりを通じて様々なことがやり取りされるということでもあり、それは今の椿にとって、明確に悪い要素として働いています。敗戦の責任も、日本中のバッシングも、つながりのせいで全部自分のところまで流れ込んできてしまうからです。
そこに言われた「好きにしたらいいと思う」。これは裏を返すと、皆を信頼しろ、ということだと思うのです。誰かとつながるためでなく、もうつながっていることを信頼して、好きにやれと。
特に代表に選ばれるような人間たちは、どいつもこいつも我が強く、自分にも他人にも厳しいプレーをしますが、それは他のメンバーにはそれができると思っているからです。自分の期待に応えられる人間ばかりのはずだと信じてるからです。他の奴らがいるから、自分も好きにやる。好きにやれる。
今までは、ある意味では周りの顔色を窺ってばかりだった椿に、もっと自分勝手に、selfishに、好きなようにやれ、と。それは椿が一皮むけるきっかけになるのではないでしょうか。
窪田は窪田で、自分が好きなようにやりたいこととして、また代表で椿とプレイすることを挙げていました。それを見て椿が考える、自分のしたいこと。まとまらないまま夜のグラウンドでボールを蹴っているときに、達海監督がかけた言葉は、「自分の中から沸き上がるものが出てくるまで 待つしかない」でした。今が雌伏の時として「待つ」椿。次巻には顔を上げフィールドに出てこられるのか。期待がビンビンです。



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

おかしみを生み出すズレの話 ボケとツッコミ編2

前回に引き続き。
おかしみを生み出すズレの話 ボケとツッコミ編1 - ポンコツ山田.com
前回の記事の引きで、前回取り扱ったボケとツッコミの関係を「逸脱修正型」と名付け、それとは違うものを「逸脱発見型」としました。今回は、そちらについて。

逸脱発見型とは

まず、逸脱発見型を抽象的に表せば
ある文脈内において逸脱のない言動・事象に、別の文脈による解釈を当てはめることで、ズレを強制的に生み出すもの
と言えます。
つまり、ある文脈の中で、表面上は何も問題ないもの、ずれていないものに対して、ツッコミが、文脈とは異なる視点や解釈を導入することで、それがずれているようにも捉えられるようにする、ということです。もともと文脈内にズレは存在せず、ツッコミが「それはこう捉えるとズレになるのでは」と指摘することで、事後的にそこにボケが発見されるのです。
逸脱修正型においては、ツッコむ者は、元の文脈とそこから逸脱したボケの間に解釈の経路をつなぎますが、逸脱発見型においては、文脈に問題なく属していて、一見なんのズレもない言動や事象に、別の文脈に通じる経路を発見・付与することで、その言動・事象をボケと認識できるようにします。
この段階でもうわかるように、ここで言っているボケは、一般的な意味の、すなわち逸脱修正型でいう意味合いがボケとは異なっています。ここで述べているボケでは、ボケた人間は原則的にそれを意図しておらず、事後的にボケとされたもので、おかしみを生み出すことを狙ってはいません。あくまで、「これは別の解釈をできるのでは?」と思ったツッコミによる指摘が成功して初めて、そこにおかしみが生まれるのです。

逸脱発見型のおかしみの具体例

日常的な例でいえば、路上で目にした建物が窓やドアのデザインのせいで偶然キン肉ハウスのように見えたり、雑誌で目にした文章に意図せぬダブルミーニングを発見したり、というところでしょうか。
逸脱修正型に比べこのタイプは、普段の生活の中でツッコむ者がふとした瞬間に気づくものであり、ボケも意図してそれを行っていないので、自分一人で面白がったり、たまたま近くにいた人と面白がる、ということが多いです。ですので、芸人のネタという形で見られるものではありません。直接的な形では、トーク番組などの中で参加者が偶発的にツッコむケースが散見されるくらいでしょう。
ですが、たとえばモノマネは、マネされる対象が普段身を置いている文脈では見過ごされている言動を、別の文脈(モノマネを披露する場)で再現することでおかしみを生じさせているものなので、この逸脱発見型の一種だと言えるでしょう。
また、あるあるネタも同様に、日常の中でよく見かけるけど当たり前のものとして見過ごしている言動をピックアップし、「気づいていないけど皆よくやっていること」として別の場で指摘するものなので、やはりこのタイプの一種と言えそうです。

逸脱を発見できる人

このタイプのおかしみを生じさせられる人間(ツッコめる人間)、よく言えば、思考の瞬発力が高く、思考の回転方向を即座に変化させられるような人です。とても利発そうな人ですね。
これを悪く言うと、目の前のことに集中できず、すぐに思考が横滑りしてしまう人です。ダメそうな人ですね。
同じ物事でも捉え方ひとつでいかようにも表現できることがよくわかります。

逸脱の発見は、本当に発見なのか

ところで、笑いには攻撃性があるとはしばしば言われることですが、この逸脱発見型の関係性は、笑われた人間への攻撃を誘発しやすいものです。
たとえば、なんらかの理由で面白いとされる人、あるいは単純に発言力が大きい人が、ある人やモノやコトの特にズレのない言動に対して、いかにもそれがずれている風に指摘すると(すなわち、逸脱発見的にツッコむと)、問題ないはずの言動なのにずれているとされ、周りの人間から笑われることが起こりえます。簡単に言えば、「いじり」ですね(嫌いな言葉ですが)。
このとき当該言動が、実際に他の解釈によって捉えられる否かはあまり重要でなく、「そういうことを言える人」によって指摘される方が、笑いを起こすことにおいてよほど大事だったりします。
ですから、逸脱が発見されるのではなく、逸脱を押し付けられる、あるいは捏造される、ということもあります。落ち着いて考えれば、べつに何もうまい解釈ができていないのだから(ずれていないものを、別の解釈によればズレとなるとして適切に指摘できていないのだから)、笑う道理はないのですが、空気のようなもので笑うことを強制されてしまう感じ。いやですね。
笑いは、笑われるものを劣位に置く行為ですから、声の大きい人間によって「ずれてる」と指摘されることは、された人の意思とは無関係に、関係性の中で劣位に置かれることになりますので、その状況が常態化することで、いりじは容易にいじめの温床へと転化します。笑い自体は、コミュニケーションを円滑にするためにも有意なものですが、それが特定の人間の犠牲の上でのみ成り立つとしたら、まっとうな関係性とは呼べません。


と、なぜか子供のころの苦い記憶が思い出されたかのような終盤になってしまいましたが、とりあえずこれで、おかしみについて考えていたことをある程度まとめ切りました。
もちろんおかしみについてはまだまだたくさん考えられることはあるのですが(天丼ネタや、ダチョウ倶楽部のように、予期されているのに、予期されているからこそ笑ってしまうものなど)、それは思いついたらまたいずれ。



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

おかしみを生み出すズレの話 ボケとツッコミ編1

前回の記事を承けて今回は、笑いの場でしばしば言及される、ボケとツッコミについて。
おかしみを生み出すズレについての話 - ポンコツ山田.com
ボケにしろツッコミにしろ、明確な定義があるわけではないと思いますが、ふんわりした捉え方としては、
ボケ:笑いを誘う、突飛であったり、奇矯であったりする言動
ツッコミ:ボケをボケだと指摘し、受け手に笑いどころを示す言動
という感じになるでしょうか。
では、この「ボケ」と「ツッコミ」を、おかしみを生み出す「ズレ」の仮説に基づいて考えてみます。
なおボケとツッコミは、漫才やコントなどのように、誰かに見せることが出発点となっている概念ですので、それを前提とした話となります。

「ボケ」と「ツッコミ」の定義

まず、ズレ仮説に基づいて「ボケ」を定義すると
・その場の文脈を逸脱する、あるいは受け手の解釈から外れる言動
となるでしょうか。
漫才にしろコントにしろ(あるいは、ボケとツッコミという言葉が当たり前に使われるようになった日常の場にしろ)、コミュニケーションがやり取りされているその場の当事者で共有している文脈があります。そこからズレる言動がボケです。
それに対して「ツッコミ」は
・文脈から外れた言動をもとの文脈に戻すせるよう、逸脱した当該言動に再解釈のヒントを与えること
と定義できるでしょう。
「さっきいきなり変なことが起こったけど、それは実はこういうことなんだぜ」と、説明やヒントを受け手に与えることで、ボケと文脈の間に、笑える程度の適切な距離を確保するのです。
さて、自分の思い込みからずれた言動や出来事に(例外はありますが)人はおかしみを感じるので、上記の定義によるボケは、まさにおかしみを生み出すものですが、では、なぜそこにツッコミが必要なのでしょう。冒頭であげた、ふんわりしたツッコミの捉え方でいうところの「ボケをボケだと指摘する」のは、ボケがズレであり、ずれていればおかしみを感じられる以上、あえて「笑いどころを示す」ために必要とされるわけではないはずです。

ツッコミの役割 把握と解釈のタイミング調節

一つには、受け手が笑うタイミングを揃えたいという狙いでしょう。
笑うタイミング。すなわち、ズレをズレだと認識するタイミングです。状況を把握したり解釈したりするスピードは受け手個々人で異なりますから、ボケをそれ単独で現前させると、受け手が笑うタイミングに差ができてしまいます。それは全体の流れを事前に想定して行う漫才やコントにとって、進行に不具合を生じさせることになるでしょう。受け手の盛り上がり方にムラがあると、やっている側ものりづらいですからね。
ですので、まずツッコミをすることそれ自体で、「今ボケが文脈からずれましたよ」と受け手にズレの存在を示し、さらにツッコミのセリフで、そのズレがどのようにそれまでの文脈からずれているか、あるいは元の文脈とのつながりを見つけるにはどう解釈すればいいかを、端的に教えます。そうすることで、受け手の笑いのタイミングを揃え、演者にとってもやりやすい状況を作れるのです。
簡潔な例でいえば、タカアンドトシの「○○か!」のようなものでしょうか。

タカアンドトシの傑作漫才 「特殊」
この動画では、タカが次々と繰り出すボケに、トシがテンポよく「〇〇か!」とつっこんでいます。それまでの文脈を無視するボケに対して、「カエルか!」「初夢か!」「特殊か!」と、その一瞬わけのわからんボケが何を言っているのか、直前の文脈からどうねじ曲がってしまったのかを理解できるよう、解釈のための経路を簡潔に作り上げているのです。

ツッコミの役割 ボケと文脈をつなぐ経路

また、そもそもボケがあまりにも突飛で、文脈から大きくはずれすぎてしまうと、受け手はおかしみを感じることができません。なぜなら、あまりに突飛なボケは、受け手が、それまで問題なかったはずの文脈を、実は自分は読み間違えていたのではないか、と疑念を抱いてしまうからです。ここまでボケが突飛に感じられ、意味が分からないのは、それまでの文脈を自分が誤読していたからではないか。正しく読めていれば、このボケもきちんとおかしみを感じられたのではないか。受け手はそう不安になってしまうのです。
おかしみを感じるにはある程度の安定や余裕が必要と前回書きましたが、まさにその安定性を揺るがしてしまうから、突飛すぎるボケは笑えないのです。
ですが、そこにツッコミがあると、そのボケが実はこのような道筋で元の文脈と関連するのですよ、こう解釈することで元の文脈に近づけるのですよ、と受け手は認識を改めることができます。そうすることで、それまでの自身の文脈の読解に自信を持つことができ、安定や余裕が復活し、面白がることができるのです。
ツッコミがあるからこそ、より突飛な、言い方を変えれば、より想像の余地が大きいボケを作れると言えるでしょう。

ツッコミの攻撃動作

ところで、ツッコミではしばしばボケに対する攻撃動作が見られます(上のタカアンドトシの動画もそうです)。これがなぜ存在しているのかも考えてみましょう。
攻撃動作それ自体には、基本的に、ずれたボケに対する解釈を促す要素はありません。ですが、ボケへの攻撃は、当該ボケがあまりにも大きく文脈から外れ、他者からの罰すら必要としていることを示します。
昔ながらの、「アホか」と言いながらボケの頭をひっぱたく行為が象徴的ですが、相手を罵り折檻を加えることは、端的に、悪者である相手を怒り罰する行為です。つまり、ボケは怒られるような悪の側であり、相対的に怒ったツッコミは正しい側となり、ツッコミが笑いどころを受け手に教えるという役割を負っている以上、受け手もツッコミと同じく正しい側となります。ツッコミ=笑う者はマジョリティであり、それは常識や当たり前を保持する側。対して笑われたボケはマイノリティであり、非常識やあり得ないとされる側。当然、マジョリティで常識で当たり前の側には、安定感や余裕があります。
このような理路で、ツッコミの攻撃動作には、おかしみを生じさせる機序が存在するのです。

逸脱修正型のボケ/ツッコミと、また別の型

以上、今回のようなボケとツッコミの関係に名前を付ければ、逸脱修正型、とできるでしょう。文脈から逸脱したボケを、元の文脈に修正できるよう再解釈を促すツッコミ、という関係性からのネーミングです。
この逸脱修正型は、本記事で取り扱ったように、漫才やコントのような、誰かに見せることを目的とし、事前にボケもツッコミも考案・検討・調整しておくタイプの笑いにおいて、主に見受けられるものです。何の打ち合わせもない状況で、適度な外れ方をするボケや、解釈を適切に促すツッコミを即座に考えつくのは、非常に難易度が高いですからね。
ですが、世の中にはこれとは違う、逸脱発見型ともいうべきボケとツッコミの関係も存在します。次回は、それについてまとめてみましょう。



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。