先日発売された1巻を読んで以来、評価うなぎのぼり中の『葬送のフリーレン』。
レビューは前回の記事で書きましたが(魔王を倒しても世界は続く 自分と仲間を知りなおす旅『葬送のフリーレン』の話 - ポンコツ山田.com)、そこで書ききれなかったことについて。後日談の始まり
本物語は、主人公フリーレンの仲間であったヒンメルが寿命で亡くなったことから駆動しだします。彼の死に際して、「自分は彼のことを何も知らなかった」とフリーレンが涙を落としたことで、旅の目的である魔法収集に、人間を知ることも加わったのです。
「私はもっと人間を知ろうと思う。」
さて、そんな新たな目的ですが、具体的にはどういうことなのでしょう。生物的特徴を知るのか。平均寿命を知るのか。心的性向を知るのか。美しい面を知るのか。醜い面を知るのか。
いろいろ言えるでしょうが、私はそれは、人の思いはつながっていくことを知る、ということだと思います。ここでいう人とは、種族としての人間ではなく、コミュニケーションの取れる人型の存在、という意味ですが、本作では至るところにそう思わせる描写があるのです。
フリーレンとはどんな女か
そもそも主人公のフリーレンは、作中で非常な長命とされているエルフであり、比喩や言葉の綾でなく既に1000年以上生きていて、まだまだ生き続けることが示唆されていますが、その長命ゆえに、他の種族と時間感覚が大きく違います。10年にもわたる魔王討伐の旅も、彼女にしてみれば「短い間」。半世紀に一度の流星群での再会も、一週間後の約束とさして変わらない。人間スケールでの時間が及ぼす影響に思いが至らないのです。
10年が「短い間」の彼女にとってみれば、ほとんどすべての人との付き合いは、袖すりあう程度のものと言えるでしょう。普通の人間が、たまたますれ違った人や電車で隣り合った人に影響をまず受けないように、彼女にとって出会う人から受ける影響は意識するのが難しい、というより、彼女自身に限らず誰かが誰かに影響を与えるという事実を実感することが難しいのです。フリーレンの、自他の感情の機微への興味のなさは、そういうところから由来すると考えられます。だから、人が人に影響を与える、誰かの思いが別の誰かにつながっていく、ということは、彼女にとってピンとこないものでした。
でも、ヒンメルの死をきっかけに人を知ることを決意したフリーレン。世界中を旅する中で人と出会い、表面上は、20年経っても変わってないように見えますが、実は変わっていたのか、それともハイターの養女であるフェルンと出会ってから変わったのか、彼女の眼には、人の思いがつながっている景色が確かに映るようになりました。
つながる人の思い 仲間たちの間にあるもの
たとえばそのフェルンですが、彼女がハイターに育てられるきっかけとなったのは、「勇者ヒンメルならそうしたから」。もともとは、フリーレンからも「進んで人助けするような質じゃあるまいし」と言われるようなハイター。でも、そんな彼が、今まさに死のうとしているフェルンを見て、こう声を掛けました。
もうずいぶん前になりますか、古くからの友人を亡くしましてね。
私とは違ってひたすらにまっすぐで、困っている人を決して見捨てないような人でした。
(中略)
ある時、ふと気が付いてしまいまして。
私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意志や友情や、
大切な思い出までこの世から無くなってしまうのではないかと。
(1巻 p61~63)
フリーレンは「ヒンメルじゃあるまいし」とハイターに軽口をたたきましたが、まさに、彼を思ってハイターはフェルンを助けたのです。
そして助けられたフェルンもまた同じ。若くして一流の魔法使いとなった彼女も、身に着けた魔法について、口では「一人で生きていける力さえあればなんでもよかった」と言っていますが、そこには、自分を救ってくれたハイターが教えてくれた、という嬉しい体験が大きく影響しています。「魔法使いでも何でもいい。一人で生きていく術を身に着けることが」「最大の恩返し」なのだとしても、 それが魔法使いであった理由は、ハイターとの思い出なのです。
また、後の旅でアイゼンがフリーレンを彼女の師匠フランメが残したものへと導こうとしたのも、彼が生前のハイターとやり取りをし、フリーレンの手助けをしたいと相談していたからです。
さらに、フランメの残した遺跡で待っていたものは、1000年後のフリーレンが必要とするだろうとフランメが案じ、残していた研究です。
このように、彼女があらためて仲間とかかわる中で、人の思いが時間や場所を越えて通じているところを、彼女は目の当たりにしているのです。
つながる人の思い 土地に残されていたもの
また、直接仲間が見せたもの以外にも、彼女が旅の途中でたまたま立ち寄った場所で、めぐりめぐって仲間の思いに触れることもあります。
たとえば、かつて強敵クヴァールを封印した土地で。そろそろクヴァールの封印が解ける頃と立ち寄った彼女は、80年の封印の間に格段に向上した現代の魔法でもって、かつての強敵を難なく倒しましたが、そこで、生前のヒンメルが老体をおして毎年のように村へ立ち寄っていたことを知りました。そして「封印が解けるころにはやってくる」と、フリーレンを信じる言葉を残していたことも。村人がヒンメルを信じていたように、ヒンメルがフリーレンを信じていたことも。
たとえば、海からの日の出を見る新年祭を執り行う村で。ヒンメルらと旅をしていたときにも新年祭の時期に立ち寄った村ですが、惰眠を愛するフリーレンは当然のように夜明けに起きていられず、ご来光を見ることはしませんでした。自分が行っても楽しめないと言うフリーレンに、ヒンメルは「いいや楽しめるね」「君はそういう奴だからだ」と言いました。それから80年近く。あのときのヒンメルの真意を確かめようと、フェルン頼りで無理やり起き、なんとかかんとかフリーレンは日の出の海岸でご来光を拝みました。そこで目にしたのは、悪い意味で予想通りの「確かに綺麗だけど早起きしてまで見るものじゃない」くらいのもの。肩透かしを食い、二度寝をしようと宿に帰りかけますが、連れのフェルンはご来光に目を奪われています。そして、その顔を見て初めてフリーレンも、笑みを浮かべるのでした。「フェルンが笑っていたから」「少し楽しそう」だったのです。ヒンメルの真意はこれであり、フリーレンは、日の出そのものが楽しくはなくても、連れが楽しんでいるところを見れば楽しくなれる、そういう人間(エルフ)だということだったのです。彼女は80年越しに、それに気づいたのでした。
つながる人の思い もうつながっていたもの
で、そのフリーレン自身に、仲間たちからつながっている思いがあったのか。実はこれが、すでにあったのです。
たとえば、死が目前に迫ったハイターに対し、フェルンのためにも、フェルンにきちんと別れを告げ、たくさんの思い出を作るよう諭しました。これは、ハイターが勇者ヒンメルならそうしたようにとフェルンを救ったように、フリーレンも彼のことを思い出したからです。
たとえば、ヒンメルの銅像の周りに植えようとした蒼月草。これはヒンメルの故郷の花ですが、かつての旅の途中で彼は、この花を「いつか見せてあげたい」とフリーレンに言っていました。それを思い出したから彼女は、彼のかつての願いをかなえてあげたいと、もう絶滅して久しいと言われていた蒼月草を探したのです。
そしてなにより、彼女が趣味として世界中を回っている魔法収集。それが趣味になる前は、「もっと無気力にだらだらと生きていた」のですが、「私の集めた魔法を褒めてくれた馬鹿がいた」、それだけの理由で彼女は、世界中を回るようになりました。その馬鹿とはもちろんヒンメル。彼の言葉が、思いがあったから、フリーレンには趣味という人生の潤いができたのです。
前出の新年祭の件でも、フリーレンは、仲間が楽しんでいるところを見ると楽しくなる質だと述べましたが、この件でも、ヒンメルらが彼女の魔法に楽しそうな様子を見せたから、彼女自身も楽しくなったのでしょう。それこそ、世界中を旅する原動力となるほどに。
このように、フリーレンの旅の目的である「人の思いはつながっていくことを知ること」ですが、それは外にしかないものでなく、幸せの青い鳥よろしく、すでに彼女自身にもつながっているものなのです。ですから、言ってみれば、旅の目的は「知ること」でもあり、同時に「気づくこと」でもあります。ヒンメルのことを何も知らないと涙した彼女ですが、何も知らないわけではありません。何を知っているか気づいていないだけなのです。
1巻の終りで、かつての旅で倒した魔王の本拠地へ行くことになったフリーレンたち。彼女がそこで知ることは、気づくことはいったい何なのでしょう。
すげえ楽しみ。
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