おかしみを生み出すズレの話 ボケとツッコミ編1

前回の記事を承けて今回は、笑いの場でしばしば言及される、ボケとツッコミについて。
おかしみを生み出すズレについての話 - ポンコツ山田.com
ボケにしろツッコミにしろ、明確な定義があるわけではないと思いますが、ふんわりした捉え方としては、
ボケ:笑いを誘う、突飛であったり、奇矯であったりする言動
ツッコミ:ボケをボケだと指摘し、受け手に笑いどころを示す言動
という感じになるでしょうか。
では、この「ボケ」と「ツッコミ」を、おかしみを生み出す「ズレ」の仮説に基づいて考えてみます。
なおボケとツッコミは、漫才やコントなどのように、誰かに見せることが出発点となっている概念ですので、それを前提とした話となります。

「ボケ」と「ツッコミ」の定義

まず、ズレ仮説に基づいて「ボケ」を定義すると
・その場の文脈を逸脱する、あるいは受け手の解釈から外れる言動
となるでしょうか。
漫才にしろコントにしろ(あるいは、ボケとツッコミという言葉が当たり前に使われるようになった日常の場にしろ)、コミュニケーションがやり取りされているその場の当事者で共有している文脈があります。そこからズレる言動がボケです。
それに対して「ツッコミ」は
・文脈から外れた言動をもとの文脈に戻すせるよう、逸脱した当該言動に再解釈のヒントを与えること
と定義できるでしょう。
「さっきいきなり変なことが起こったけど、それは実はこういうことなんだぜ」と、説明やヒントを受け手に与えることで、ボケと文脈の間に、笑える程度の適切な距離を確保するのです。
さて、自分の思い込みからずれた言動や出来事に(例外はありますが)人はおかしみを感じるので、上記の定義によるボケは、まさにおかしみを生み出すものですが、では、なぜそこにツッコミが必要なのでしょう。冒頭であげた、ふんわりしたツッコミの捉え方でいうところの「ボケをボケだと指摘する」のは、ボケがズレであり、ずれていればおかしみを感じられる以上、あえて「笑いどころを示す」ために必要とされるわけではないはずです。

ツッコミの役割 把握と解釈のタイミング調節

一つには、受け手が笑うタイミングを揃えたいという狙いでしょう。
笑うタイミング。すなわち、ズレをズレだと認識するタイミングです。状況を把握したり解釈したりするスピードは受け手個々人で異なりますから、ボケをそれ単独で現前させると、受け手が笑うタイミングに差ができてしまいます。それは全体の流れを事前に想定して行う漫才やコントにとって、進行に不具合を生じさせることになるでしょう。受け手の盛り上がり方にムラがあると、やっている側ものりづらいですからね。
ですので、まずツッコミをすることそれ自体で、「今ボケが文脈からずれましたよ」と受け手にズレの存在を示し、さらにツッコミのセリフで、そのズレがどのようにそれまでの文脈からずれているか、あるいは元の文脈とのつながりを見つけるにはどう解釈すればいいかを、端的に教えます。そうすることで、受け手の笑いのタイミングを揃え、演者にとってもやりやすい状況を作れるのです。
簡潔な例でいえば、タカアンドトシの「○○か!」のようなものでしょうか。

タカアンドトシの傑作漫才 「特殊」
この動画では、タカが次々と繰り出すボケに、トシがテンポよく「〇〇か!」とつっこんでいます。それまでの文脈を無視するボケに対して、「カエルか!」「初夢か!」「特殊か!」と、その一瞬わけのわからんボケが何を言っているのか、直前の文脈からどうねじ曲がってしまったのかを理解できるよう、解釈のための経路を簡潔に作り上げているのです。

ツッコミの役割 ボケと文脈をつなぐ経路

また、そもそもボケがあまりにも突飛で、文脈から大きくはずれすぎてしまうと、受け手はおかしみを感じることができません。なぜなら、あまりに突飛なボケは、受け手が、それまで問題なかったはずの文脈を、実は自分は読み間違えていたのではないか、と疑念を抱いてしまうからです。ここまでボケが突飛に感じられ、意味が分からないのは、それまでの文脈を自分が誤読していたからではないか。正しく読めていれば、このボケもきちんとおかしみを感じられたのではないか。受け手はそう不安になってしまうのです。
おかしみを感じるにはある程度の安定や余裕が必要と前回書きましたが、まさにその安定性を揺るがしてしまうから、突飛すぎるボケは笑えないのです。
ですが、そこにツッコミがあると、そのボケが実はこのような道筋で元の文脈と関連するのですよ、こう解釈することで元の文脈に近づけるのですよ、と受け手は認識を改めることができます。そうすることで、それまでの自身の文脈の読解に自信を持つことができ、安定や余裕が復活し、面白がることができるのです。
ツッコミがあるからこそ、より突飛な、言い方を変えれば、より想像の余地が大きいボケを作れると言えるでしょう。

ツッコミの攻撃動作

ところで、ツッコミではしばしばボケに対する攻撃動作が見られます(上のタカアンドトシの動画もそうです)。これがなぜ存在しているのかも考えてみましょう。
攻撃動作それ自体には、基本的に、ずれたボケに対する解釈を促す要素はありません。ですが、ボケへの攻撃は、当該ボケがあまりにも大きく文脈から外れ、他者からの罰すら必要としていることを示します。
昔ながらの、「アホか」と言いながらボケの頭をひっぱたく行為が象徴的ですが、相手を罵り折檻を加えることは、端的に、悪者である相手を怒り罰する行為です。つまり、ボケは怒られるような悪の側であり、相対的に怒ったツッコミは正しい側となり、ツッコミが笑いどころを受け手に教えるという役割を負っている以上、受け手もツッコミと同じく正しい側となります。ツッコミ=笑う者はマジョリティであり、それは常識や当たり前を保持する側。対して笑われたボケはマイノリティであり、非常識やあり得ないとされる側。当然、マジョリティで常識で当たり前の側には、安定感や余裕があります。
このような理路で、ツッコミの攻撃動作には、おかしみを生じさせる機序が存在するのです。

逸脱修正型のボケ/ツッコミと、また別の型

以上、今回のようなボケとツッコミの関係に名前を付ければ、逸脱修正型、とできるでしょう。文脈から逸脱したボケを、元の文脈に修正できるよう再解釈を促すツッコミ、という関係性からのネーミングです。
この逸脱修正型は、本記事で取り扱ったように、漫才やコントのような、誰かに見せることを目的とし、事前にボケもツッコミも考案・検討・調整しておくタイプの笑いにおいて、主に見受けられるものです。何の打ち合わせもない状況で、適度な外れ方をするボケや、解釈を適切に促すツッコミを即座に考えつくのは、非常に難易度が高いですからね。
ですが、世の中にはこれとは違う、逸脱発見型ともいうべきボケとツッコミの関係も存在します。次回は、それについてまとめてみましょう。



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