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漫画の話です。

彼の絵は彼女の夢を蘇らせ、彼女の熱は彼に絵を描かせる『モノクロのふたり』の話

 母が死んだあの日から、夢を諦め堅実に生きることにした。
 不動花壱は絵が好きだった。上手だった。将来はそれで食べていきたいと思っていた。でも、一人で自分たち兄妹を育ててくれた母が死んだ15歳のあの日、彼は筆を折った。妹を育てるため、勉強し、バイトをし、堅実に就職し、社会の優秀な歯車となる。そう自分に言い聞かせてきた。昼休みに手慰みで絵を描いていたのは、かつての夢と熱の残滓だった。
 しかしふとしたことから、会社の先輩である若葉紗織が一度諦めつつも漫画家を目指しなおしたことを知り、そんな彼女から漫画を手伝ってくれないかと頼まれた。大人になっても夢を見る彼女の熱に触れ、今、彼の熱もまたくすぶりはじめる……
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 ということで、ジャンプ+で連載の始まった、松本陽介先生『モノクロのふたり』のレビューです。夢を諦めて大人になった男と、諦めた夢をもう一度目指す女。誰かの夢に火を点けた者が、またその者から火を点けられて、という大人の漫画家漫画です。

 主人公の花壱と若葉、どちらも夢を諦めた理由にそこそこシリアスな背景がありながらも、そこを重くしすぎ、コミカルなテンポで漫画に向かおうとする二人が描かれています。
 どれくらいコミカルと言えば、開始2pで描かれるヒロインの顔が、バケツに嘔吐した直後の涙鼻汁涎を垂らした苦悶顔。しかもカラー。コミカルなのか、一部の性癖にクリティカルヒットさせるものなのかはともかく、おきれいな方の弱り顔はたまらないものがありますね。弱り顔というには、顔から出てる汁が多すぎますが。

 そんな強烈なファーストインプレッションの若葉ですが、もともと社内では営業成績ナンバーワンで、後輩にも適切なアドバイスができる有能社員として目されている人間。事実、不動もそう思っていました。しかし、ある夜の残業中に見つけた彼女は、コピー機の前でひっくり返って酷い顔で放心中。心配して駆け寄った彼に気づかず漏らした言葉は、「ペ…ペン入れの才能がない…」。そして冒頭のリバース顔につながります。

 漫画を描く趣味を花壱に知られた若葉は、芽が出なかったので就職と同時に漫画家の夢を諦めたこと、でもまた最近になって再び筆を執ったことを告白します。一度筆を擱いたという話に自分を重ねた不動は、なぜまた描き始めたのか問いました。すると若葉は言うのです。「不動くんの絵を見たら… 「どうしても」私も描きたくなって…」と。昼休みに彼が絵を描いているところを見かけ、その絵に創作意欲を触発されたのだと。

 母が死んだその日から夢を諦めはしたものの、日々の隙間に手すさび程度で描いていた自分の絵。妹を守らないといけないからと「やりたいこと」より仕事を選んだ自分の絵。そんな絵が、一度夢を諦めた人にもう一度夢を追わせるほどに心を動かした。それが花壱には、たまらなく嬉しかった。

物作りにおいて一番嬉しい瞬間は
作品が完成した時でも 最高のアイデアを生み出した時でもない
一番嬉しい瞬間は
自分の作品で 誰かの心を動かした瞬間だ
(41、42p)

 以前『モルモットの神絵師』の記事でも触れた、「絵を描くこと」は「”自分のことば”で”誰か”に伝える『コミュニケーション』なんだ」という話を彷彿とさせますが、彼が描いた絵は、伝えることを目的としてはいなくとも、「絵は楽しい」と誰かに伝えることのできるものだったのです。
『モルモットの神絵師』コミュニケーションの本質と、漫画を描くことと漫画の感想を書くことの意味の話 - ポンコツ山田.com
 またそれは同時に、『2.5次元の誘惑』にあった、アートとは「作品と鑑賞者の「間」」「に生まれるもの」で、「作者と鑑賞者が作品を通じ 「感情」や「意味」を生み出す」ものだという話にも通じます。花壱の絵と若葉が出会って、彼女の中に「絵を描きたい」という強い熱が蘇ったのですね。
『2.5次元の誘惑』『モルモットの神絵師』作者と鑑賞者の間にある動的な営みの話 - ポンコツ山田.com
 ちょうど最近書いたばかりの記事に通じるところがあったもので、よりいっそうこの作品にぐっと引き込まれてしまいました。



 こうして若葉の秘密を知った花壱は、若葉から絵の腕を買われて漫画のアシスタントを依頼されたのですが、熟考の末、応諾しました。若葉の熱に触れ、若葉の心を動かした嬉しさを思い出し、母が死んだあの日から9年越しに、「”男”は再び”少年”に還っ」て、筆を執るのです。

 自分の描いたものが誰かに伝わる嬉しさ。誰かを動かす喜び。誰かの熱が自分にも伝わる心地よさ。その熱が自分の中でも膨らんでいく高揚感。
 まだ若い子供の頃よりも、少しは人の心の機微を知り、希望も挫折も諦観も知った大人だからこそ、この作品をより面白く思えるものかもしれません。大人になったから、子供の頃の夢を追う気持ちをもう一度燃え上らせることは難しいと知っているし、燃えて精力的になっている人間の美しさもわかります。

 ものを作る人間の熱さをパッションフルに描きながら、表は有能裏はポンコツ(推定)の魅力的なヒロインとのラブコメも予想されるとなれば、楽しみにしないわけがない。家で学生時代の芋ジャー着てる先輩、いいよね……

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