平成28年2月11日より,群馬は高崎市の高崎美術館にて,「『描く!』マンガ展」が開催されております。
さっそく訪問してきたので,今日はその感想等をば。
『描く!』マンガ展
三階建ての高崎美術館,1階に「1.すべての夢は紙とペンからはじまる」として,赤塚不二夫、石ノ森章太郎、手筭治虫、藤子不二雄A、水野英子ら,現在巨匠と呼ばれる漫画家たちを展示し,彼らが無からポンと生まれたのではなく,それ以前からの作品などから影響を受けて頭角を現してきたという歴史的文脈の説明をしています。
2・3階では,「2.名作の生まれるところ―マイスターたちの画技を読み解く」として,あずまきよひこ、さいとう・たかを、島本和彦、竹宮惠子、平野耕太、PEACH-PIT、陸奥A子、諸星大二郎ら,8名の漫画家を挙げて,それぞれの技法や描線の特徴を,生原稿を例に出しつつ解説をしています。まさに「『描く!』マンガ展」ですね。
展示物は,生原稿やネーム,原稿が掲載された雑誌,作画資料となった小物等(『ゴルゴ13』のアーマライトのモデルガンや,『よつばと!』のジュラルミンの鳴き声のモデルにしたテディベアとか。それは実際に鳴き声をあげさせられます),そして各漫画家・作品の描画の特徴について説明文です。
自分が興味深かったのは,やはり生原稿の展示ですね。特に平野耕太先生や島本和彦先生といった,気合いの入った絵を大ゴマで見せるタイプの先生の生原稿を間近で見られるのは嬉しいものです。
展示されている原稿を普段読むのは当然コミックスや雑誌の中,つまり漫画のストーリーの中にある絵なわけで,もちろん絵自体を見てはいるものの,絵そのものというよりも,ストーリーを伝えるものとして,私はそれを認識しています。有り体に言えば,大まかには見ているものの,細かいところはけっこう見過ごしているのですね。まあ見過ごすと言っても,服のしわの一本一本であるとか,背景の一つ一つであるとか,そういう些末と言えるレベルの話ではあるのですが。
で,それが生原稿の展示という形だと,物語の前後の文脈から切り離された,純粋な絵として見られるので,その絵の細部までまじまじと観察できるのです。それこそ服のしわの一本一本や背景の一つ一つ,生原稿ですから修正の跡などまで見て取れます。
そういう見方をして初めて思ったのが,人が絵を絵として認識する過程の不思議さです。当たり前と言えば至極当たり前なのですが,線の集合でしかないものが人間やその他何らかの意味を持ったものとして認識される,二次元の存在が想像の中で三次元として立ち上がる,そういうプロセスというか,人間の認識の機序にわけもなく感動してしまったのです。
ああ,これが頭の中で動き回っているキャラクターの元なのか,と目の前の線のかたまりを見るのです。線の構成の精緻さに,あるいは意外に粗雑なところに気づくのです。
現実に存在しているものは,目の前にある絵のとおりのはずなのに,脳内で動き回っているものは,自分の認識によって補完されたり省略されたりしています。途切れている線も繋がっているし,細かい背景はなんんとなくぼやけてしまいます。人間は,現に見ているものでもそれと気づかぬ間に,良くも悪くも,いじくり回しているのです。
それを思って,改めて原稿を見て,たとえば平野先生の絵に,細部まで神経の研ぎ澄まされた流麗な曲線と(良い意味で)いびつな鋭角の組み合わせによる,外連味の溢れた一枚絵の迫力を覚えたり,島本先生の絵に,意外と線に隙間が多くとも,むしろだからこそど派手な熱い迫力が生まれるのだと考えたり,あずま先生の絵に,デフォルメされたキャラクターと強く対比的である,すさまじく正確かつ緻密に作られた背景が生む世界のリアリティに驚嘆したりと,新鮮な驚きを感じていました。
その他,原稿横の解説にも色々と考えさせられるものがありましたので,そちらはそちらで,具体的に作品と絡めつつまとめたいと思います。
会期は4/10まで。会期中に,伊藤剛×田中圭一トークイベントや,黒田いずまによる4コマワークショップなどもあります(要予約)。近隣在住のマンガ好きは,一度足を運んでみて損はないと思います。
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