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漫画の話です。

『銀の匙』『G戦場ヘヴンズドア』に見る、夢を追う者と夢を失くした者の話

また『銀の匙』の話で恐縮ですが。

本作は、主人公の八軒が1巻から

…なんだこの…… 「夢持ってなきゃダメ人間」みたいな空気は……
銀の匙 1巻 p34)

とネガティブ全開にスタートしました。周囲は農業畜産業の跡取りや獣医志望、甲子園出場を目指すなど、将来何になりたいかが鮮明になっている者ばかり。そんな中での八軒は、進学校での勉強レースに疲れてしまい、目標を見失って農業高校に進学してきたという立場。そりゃネガにもなります。
でも、巻が進むにつれ、八軒もその状況を受け入れだし、自身の客観視し、その上で今後どうしようかと考えられるようになりました。7巻での、クラスメート相川との会話では

「俺も相川と似たパターンだ。元々勉強好きで、けど現実にヘコまされて……
でも最近、やっぱ自分は勉強好きなんだなって気がついて……
相川と違うのは、その先がどん詰まりで何になればいいのか見つからないって事だな。」
「どん詰まりじゃなくて、「今から何にでもなれる」って思うと楽しくならない?
僕なんか、夢が固まりすぎて融通のきかない一本道だけどさ、
八軒君の夢はここから際限無く広がってるんじゃないかな」
銀の匙 7巻 p103,104)

という言葉が出ています。
これは、以前当ブログでも書いたことに通じるものです。

夢が無いということは、何をしようか決めていないということ。決めていないということは、何でもできる可能性があるということ。このたまご姫の言葉と同じ意味で、校長は「それは良い」と笑ったのだと思います。
『銀の匙』と『極東学園天国』に通じる、夢が無いことはいいことだ、の話

そういえば、その記事で書いた、校長の言葉に対する「フォロー」は、まさにこの相川のセリフなわけですね。
さて、八軒と相川は、上で引用した会話の直前にこんな話をしています。

「なんで血が苦手なのに獣医を目指したんだ?」
「逆、逆。小さい頃から獣医になりたくて、でも小学生の時に血が苦手になった。」
「へぇ…」
「獣医目指すガキんちょが調子こいてひどい牛の手術見学に行ってトラウマになっちゃって。」
「そうか、元が「好き」から始まって現実見ちゃって…」
「そうそう。叩きのめされてヘコんで。しばらく肉食べられなかった。
それでも諦められなかったんだ。
どうしようもないよね、この気持ちはさ。向き不向きとかの理屈じゃないもん。」
「うん……
そういうどうしようも無いのが本当の夢…ってやつなんだろうなぁ…」
銀の匙 7巻 p102,103)

この会話で思い出したのは、『G戦場ヘヴンズドア』の、町田都のセリフです。

…私が言った「人格」って、優れた人柄や品性とかの意味じゃないよ。
どんなに才能があっても色んな事情でそれを続けられない人は大勢いる。でも、運がいいのか悪いのか、町蔵君はマンガをやめなかった。
――いや、やめられなかった。
望んだというよりはそう生きるしかなかった。それこそが「人格」だよ。
町蔵君はこれでしか生きられないんでしょ?
(G戦場ヘヴンズドア 3巻 p184,185)

漫画家になるという夢に向かう二人の少年の二つの道を描いたのが同作ですが、紆余曲折の末に漫画家となった主人公の一人・堺田町蔵に、師匠筋にあたる漫画家・町田都がかけた言葉がこれです。
「望んだというよりはそう生きるしかなかった」
「これでしか生きられない」
これらのセリフは、「そういうどうしようもないのが本当の夢」という八軒の言葉と、私の中で呼応しました。
実は『銀の匙』と『G戦場ヘヴンズドア』の「夢」についての呼応は、それだけではありません。
たとえば駒場の話。実家の倒産で、学校を辞めざるを得なかった駒場。それは同時に、甲子園出場という夢を諦めざる得ないことを意味してもいました。彼の農場が廃業する様子を見に行った八軒と御影。駒場が案外サバサバしているのを見て、彼の幼なじみである御影は安堵しますが、八軒は言います。

…いや、違うと思う。
夢が無くなって空っぽになったから、とりあえず目標みつけて気持ち繋いでるだけだと思う。
俺、試験で高得点取るのが目標になっちゃって、大事なものが色々ごっそり抜け落ちてた時期があったからわかる。
なんつーのかな… とりあえず数字取らなきゃ、親の期待に応えなきゃ…って… 勉強の中身も、良い点取る事によって将来なれる自分像も、何も考えられなくなっちゃって…
空っぽになっていく感覚。
あれは怖いよ。うん、怖い。
銀の匙 8巻 p130,131)

これと何が呼応するかというと、『G戦場』のヒロイン・久美子です。
彼女は元々バレーが得意で、中学もその推薦で進学たのですが、事故で手首の神経を切断してしまい、リハビリすれば治るとは言われていたものの、バレー部顧問から投げつけられた心無い言葉と視線によって、自らその道を断ってしまいました。その時に彼女が感じたもの。それは解放感にも似た虚無感。

残酷だね。
たしかあの日もこんな空だったよ鉄男。
私がバレーを辞めさせられた日。
もうがんばらなくっていいって宣告された日。
何もすることがなくなったのに 空は綺麗で 世界はとても前向きで。
(G戦場ヘヴンズドア 2巻 p189,190)

その後の久美子がどうなったかといえば、「物のように扱われても 見放されても」「何も変わらずそこに」いた鉄男に依存していくことになります。

私が鉄男を守ってきたのは、本当は私が守ってもらいたかったから。
一番、鉄男をわかってるフリして、一番、鉄男を見てなかった。
鉄男の気持ち無視して、私たちは運命だと思い込もうとしてた。
(G戦場ヘヴンズドア 3巻 p102)

「夢が無くなって空っぽになった」久美子は、夢があろうがなかろうが傍にいた鉄男を守ろうとすることで、わかろうとすることで、その空っぽ=恐怖から逃げようとしていたのです。それは、夢を追うことができなくなった駒場が、目の前のことだけに集中することでその空っぽから目を逸らそうとしたことと相似的です。
夢を追うものは多くいますが、それと同じかそれ以上に、夢を諦めた人間も必ずいます。夢について描くということは、その両者について触れないわけにはいかないのでしょう。
なにはともあれ『G戦場ヘヴンズドア』は名作なので、未読の人は読むといいですのよ。



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