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漫画の話です。

『2.5次元の誘惑』『モルモットの神絵師』作者と鑑賞者の間にある動的な営みの話

 新刊にてまゆら復活編に一区切りがついた『2.5次元の誘惑』。

 区切りをつけつつ、新キャラを出しつつ、さらにガチホラー話も入れつつ。ガチでホラーにふっててとてもいいですね。もっと高い頻度で描いてほしい。

 さてそれはそれとして、先月ジャンプ+で公開され、それを読んで自分でもブログを二本書いた中山敦支先生の『モルモットの神絵師』。それで触れられていたある話が、以前『2.5次元の誘惑』でも登場していたなと思い、ちょっと考えてみました。
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 そのある話とはこれ。



創作者クリエイターは大きく二つのグループに分類されます
『人のため』に作る者と
『自分のため』に作る者です
(54,55p)

 このクリエイターの二分法に既視感を覚えたのが、『2.5次元の誘惑』のこれ。


記号とアートは対極にあって エンタメは常にその中間をとる
(17巻 57p)

 記号とアートを両極にとり、記号の極には「大衆的・一義的」、アートの極には「個人的・多義的」とあります。
 「大衆的・一義的」である「記号」とは(広く一般の)「人のため」に作られたもの、「個人的・多義的」な「アート」とは「自分のため」に作られたもの、という相似性が、ここには見られと思うのです。

 『モルモットの神絵師』の主人公・岡太朗は、「『人の好き』を毎日研究」して「いいねを稼」ぎ、「フォロワーを稼」ぎ、「他の絵師に勝つこと」を目標としているのですが、これはより広い層に自分の絵が届くよう、好きと思ってもらえるようにしているわけで、その意味で大衆的な作品を作り、一義的な(=ある流行を元ネタに、見る人に好きと思われる)作品を作っていると言えます。
 そんな彼が、インフルエンサー・チハルに監禁された末に描いた、「内なる衝動に従って描」いた「誰にも見せることのない絵」は、明確な何かを広汎な人々に届けるためのものではなく、彼の「苦しみと怒りと恐怖をあるがままに表現」するために描かれたもので、きわめて個人的な表現であり、見る者によって十人十色の感想を持ちうるものです。チハルはこの絵を見て「生々しいほどの魂を感じ」て感動しましたが、そのグロテスクさに嫌悪や忌避を抱く人もいるでしょう。それだけ多義的な表現になっています。
 彼は、『人のため』に描く絵を「最高の”商品”」、『自分のため』に描く絵を「最高の”自己満足”」と言いました。商品とは貨幣と交換可能なものであり、貨幣とはそれを使う者を交換の環の中に投げ込む概念ですから、「最高の”商品”」とはもっとも広い交換の環の中に投げ入れられるもの、すなわち最高に大衆的なものと言えますし、「最高の”自己満足”」とは、他の誰よりも自分が最も満足できるもの、すなわち最高に個人的なものと言えます。非常に相似的な両作品での発言です。 


 さて、『2.5次元の誘惑』で上記の発言をしたのはで元コスプレイヤー秋葉原の女王」エリカですが、彼女が現在組んでいるコスプレユニット「淡雪エリカ」の相棒ユキは、こんなことを言っています。



私が思う「アート」っていうのは 多分この「作品自体」じゃない
作品と
鑑賞者の
「間」
「ここ」に生まれるものなんだ
作者と鑑賞者が作品を通じ 「感情」や「意味」を生み出す
その営み自体が「アート」 なんとなく私はそう思ってる
(17巻 79~81p)

 これを読むと、やはり『モルモットの神絵師』のある言葉を思い出します。

絵を描くことは 『人の好きなもの』を描くことでも 『自分の好きなもの』を描くことでもない
それは
”自分のことば”で”誰か”に伝える『コミュニケーション』なんだ

(65,66p)

 一見するとあまり似てるようには思えない言葉ですが、アート(絵を描くこと)の目的は作品それ自体ではなく、作者と作品を鑑賞した誰かの間で起こる動的な営みである、ということを言っている点で、同質な主張なのです。
 すなわち、「「感情」や「意味」を生み出す」ことは何かが生起することであり、「『コミュニケーション』」はなんらかの情報を伝達すること。いずれも、生み出されたまま静止する作品で完結するのではなく、それを通じて、作品やそれを作った者と見た者の間で何かが動き出すことこそが本質だというのです。

 「アート」が動的なものである(静的な状態で完結しない)というのは主観的にもうなずけるもので、たとえば、子供の頃に読んで意味の分からかなった漫画を長じてから改めて読むと、その読み取れるものの深さにびっくりする、なんてことは経験ある人もいいと思います。これは、もし漫画(=「アート」)が静的なものであれば、その感想はだれがいつ読んでも同じもの、言ってみれば「大衆的・一義的」なものですが、実際はそんなことはなく、いつだれがいつ読むかで味わうところは大きく変わります(もっともそれも、漫画のスタイルが、エリカの言うところの記号とアートのどちら側に寄るかで、変化の幅は変わりますが)。
 
 という具合の、『2.5次元の誘惑』と『モルモットの神絵師』を読んで思った話でした。
 コスプレと絵、ざっくり創作や芸術という枠で語れる分野である以上、似たような主張がされるるのはあり得ることですが、それが自分の好きな作品同士でリンクすると、ちょっと嬉しいですね。

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