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漫画の話です。

『宇宙兄弟』『人間の土地』限界状況で見せる人間の美しさの話

 45巻の発売と同時に、次巻での完結が発表された『宇宙兄弟』。

 連載開始から早17年。第1話で主人公の六太が会社をクビになったのが2025年5月のことですから、連載開始時点ではだいぶ未来だったはずの出来事が、すでに過去になってしまうほどの連載期間なわけです。

 さて、月軌道上に一人投げ出されるという、人類が今まで体験したことのない危機を六太が迎えている45巻。この圧倒的な恐怖は本誌で読んだときも感じましたが、単行本で改めてまとめて読んで、改めてその状況を想像して、身が震えました。その状況に晒され、広大な虚空の中で死に直面している六太は当然ですが、そんな六太の状況をモニターしている地上のNASAの面々、帰還船オリョールに乗っているミッションクルーたち、既に地球へ帰還したジョーカーズ、なにより六太に助けられた当の日々人。どれだけ手を尽くしても六太を助けられるかわからない、でも手を尽くさずにはいられない彼や彼女が焼かれている焦燥感はいかほどでしょう。

 地上のNASAや日々人は、六太を助けるために一丸となっていますが、一方六太はただ宇宙服の酸素と電力が消費されていくのを待つしかなく、頭の中では、苦しむ前に死んでしまおうかという絶望と、ブライアンのように死ぬ直前まで未来のために何か残そうとする勇気が振り子のように行っては帰って揺れ動いていました。
 そこに飛び込んできたのは、月面基地経由で飛び込んできた、先輩宇宙飛行士である紫からのメッセージ。今NASAが、そして日々人が、六太を助けるために必死で計画を練っている。それを成功させるために、六太の方から日々人の乗るソユーズを見つけてほしい、と。

 これを読んで思い出したのが、サン=テグジュペリの『人間の土地』の一節でした。

 20世紀前半に生きたフランス人のサン=テグジュペリは『星の王子さま』で有名な作家ですが同時に飛行士でもあり、『人間の土地』はそんな彼の自伝的小説です。ライト兄弟が空を飛んでから20年も経たずに大西洋を渡るようになった飛行機ですが、彼が飛行士として活躍していた時代はまだまだ発展途上、飛行機本体も安定しなければ、GPSなどの座標を特定する技術もなく、現代のような「自動車より事故が少ない」などのような安全神話は影も形もない状況です。
 そんな時代に郵便飛行士として業務に就いていた彼は、あるとき、リビアの砂漠に不時着しました。その様子を後に著したのが『人間の土地』の中の「砂漠のまん中で」の章なのですが、砂漠のまん中で不時着した自分らの場所を航空会社は知る術なく、誰かが通りかかる可能性など万分の一以下、食料も水も尽き、もうどうしようもない状況の中、一周回って平穏な気分で眠りに落ちようとしたサン=テグジュペリの脳裏によぎったのは、自分たちを心配しているであろう人々のことでした。

耐えがたいのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、ぼくは火傷のような痛さを感じる。すぐさま起き上がってまっしぐらに前方へ走り出したい衝動に駆られる。彼方で人々が助けてくれと叫んでいるのだ、人々が難破しかけているのだ!
(略)
沈黙の一秒一秒が、ぼくの愛する人々を、すこしずつ、虐殺してゆく。はげしい憤怒が、ぼくの中に動き出す、何だというので、沈みかけている人々を助けに、まにあううちに駆けつける邪魔をするさまざまの鎖が、こうまで多くあるのか? なぜぼくらの焚き火が、ぼくらの叫びを、世界の果てまで伝えてくれないのか? 我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!......ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ!
(人間の土地 162,163p)

 自分を心配しているに違いない人々のためにこそ、今の自分をとりまく絶望的な状況を受け入れてはいられない。そう思って彼と僚友のプレヴォーは、不時着した飛行機の横でじっとしているでもなく、持っていた拳銃で自殺するでもなく、最後まで足掻くのです。

 六太もまた絶望の中にいました。地球上の砂漠どころではない、宇宙服のすぐ外側には絶対の真空。ヘルメットを外せば数秒で死ねるし、何もしなくても酸素不足で死に至る。メッセージを残すことでなんとか正気を保ちながら、も何度目になるのか、また絶望へ心の振り子が揺れたそのとき、月面基地のブギーを経由して、紫からのメッセージを聞くことができました。
 六太の絶望は、宇宙空間に一人放り出されたというものだけではありません。もうNASAは自分の救援を諦め、日々人を地球へ帰還させているのではないか。自分は見捨てられたのではないか。そんな思いを振り切ることができなかったから、絶望の縁に追いやられていたのです。そこへ飛び込んできた、紫からのメッセージ。今、NASAが全力を挙げて救出の準備をしていると。紫は言います。
「日々人からはムッちゃんを見つけ辛い だから――ムッちゃんがソユーズを見つけるんだ」
 誰かが自分を助けようとしてくれている。その事実が六太の気持ちを奮い立たせました。
 自分を助けに来る日々人を、ぼくのほうから見つけてやる! ぼくこそは救援隊だ!
 絶望的な状況の中で、紫のメッセージを機に前を向こうとする(実際はソユーズを見つけるため後ろを向きましたが)六太の姿に、つい『人間の土地』がオーバーラップしたのです。

 ついでに言うと、他にも『人間の土地』を思い起こすシーンはあって、フィリップと共に残った月面でシャロン天文台建設作業をしていたとき、作業の地道さと膨大さ、そして月面で二人きりになった心許なさでつい己の作業に無為を感じてしまったフィリップに、六太はこんなことを言っています。

「基地でやった”チェック”も含めて こういう途方もない作業をず~っとやってると これって意味あんのかなーってちょっと考えちゃったりさ」
(中略)
「俺たちの帰還船を打ち上げてくれた日本の技術責任者の一人に――福田さんっていう友人がいてさ…… 「ソユーズを日本のロケットで打ち上げる」っていう初の試みだったから ”絶対成功”のプレッシャーも相当あったと思うんだけど 振動重解析とか飛行安全解析とかしれこそ途方もないチェック項目を一つずつ 何回も何回もシミュレーションしたと思うんだよ 
おかげで打ち上げ成功して俺たちが助かるんだから 結果 すごい意味があったよね 福田さんの仕事は
俺たちもそれでいんだよ 自分のやっていることの”意味”を探す必要はない
やったことの結果が 誰かの”意味あること”になればいいんだ
宇宙兄弟 35巻 #327)

 この会話で思い浮かんだのは、サン=テグジュペリの僚友ギヨメがアンデス山脈の山中の不時着、遭難し、救出された後に、病床の彼をサン=テグジュペリが見舞ったシーンでの文です。

彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある、自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友たちに対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。彼には、かしこ、生きている人間のあいだに新たに建設されつつあるものに対して責任があった。それに手伝うのが彼の義務だった。彼の職務の範囲内で、彼は多少なりとも人類の運命に責任があった。
(人間の土地 57p)

 彼の職務の範囲内で、彼は多少なりとも人類の運命に責任があった。
 今ここでしていることの意味ではなく、今ここでしていることに生じる責任。すぐに見えるものではなくとも、その結果の先には、人類の運命、とまではいわずとも、シャロン天文台に携わった人々の夢がある。彼らにとっての意味になる。そんなものが、『人間の土地』と『宇宙兄弟』で通じるように思いました。
 飛行機と宇宙ロケット、ともに(当時の)時代の最先端で限界状況を生きる人々を描いている作品ですから、通じるところも多いのでしょう。『人間の土地』は中学校に初めて読んで、未だに当時買った文庫本を持っている、私史上最も長く所有している本です。未読の人は是非読んどけ。これはジョジョにも負けない人間賛歌。

 本誌掲載分を考えると、早ければ今年中、遅くとも春までには完結しそうな『宇宙兄弟』。あれ、意外と先だな。まあ月一連載だし。それはそれとして、感動のクライマックスを超えた先の大団円がどう終着していくのか、今から楽しみです。
 45巻が出たタイミングで、六太が宇宙に行くあたりから20巻分くらい読み返しましたが、『GIANT KILLING』と同様、こちらも読み始めたら途中でやめるのが難しいですね。ジャイキリもそろそろ終わりが見えていますし、モーニングの二大柱(※俺調べ)の後を継いでくれる作品はちゃんと出てくれるでしょうか。

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