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漫画の話です。

『君と宇宙を歩くために』『税金で買った本』宇宙の中で自分を繋ぎとめる、言葉という命綱の話

 2023年8月号のアフタヌーンで掲載された、泥ノ田犬彦先生の『君と宇宙を歩くために』。
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 高校生が宇宙を目指す的な『宇宙兄弟』みたいな作品かなと思ったらあにはからんや、「”普通”ができない正反対な2人の友情物語」という惹句にあるように、真面目になるのがダサいと思ってしまうヤンキー気味な小林と、自閉スペクトラム(とは明言されてませんが)の転校生・宇野が出会う、社会とコミュニケーションの物語です。
 予想を裏切られながらもグイッと引き込まれるストーリーで、話の完成度が非常に高く読み切りかと思ったほどなのですが、どうやら2話以降は&sofaに掲載とのこと。追っていきたいですね。

 第一話で心に残るシーンは多くあるのですが、その一つがこれ。

(p43)
 タイトルにも掛かっているこれ。
 「記憶することが得意なのですが 沢山のことを同時に行ったり臨機応変にすることが苦手」という自身の特性に悩む宇野は、上手く対応できない事態に直面して、焦ったり困ったりするときを「一人で宇宙に浮いているみたい」と表現し、「上手にまっすぐ歩けない」と無力感に襲われるのですが、困ったときにすぐ参照できるようにと日常のルーティンを書き留めてあるメモを、無重力空間での命綱である「テザー」とすることで、「宇宙を歩きたい!」と前を向いて生きることを宣言するのです。

 このメモは、物語を駆動させるキーにもなっているのですが、日常のルーティンを書き留める、すなわち行動などのマニュアル化あるいは言語化は、作中で別の形でも現れてきます。
 それは、小林がバイト先で失敗した後に、他のスタッフからアドバイスを受けたシーンです。

(p62)
 マニュアル化とは、連続的な行動について、適切な言葉で適当な単位に分割することですが、そうすることで、実際に行動した時にやり方を忘れてしまっても思い出せるし、途中で止まっても止まったところからやり直せるし、行動について他人と共有することも容易になります。
 宇野とは違う形で、小林は行動のマニュアル化によって救われたのです。

 上で「マニュアル化あるいは言語化」と書いたように、マニュアルとは言語によって作られるものですが、本作では、他にも言語の特性を表している場面があります。それは、上で引用した小林のシーンの少し前、バイト先で、良かれと思ってやったのにそれを失敗してしまっていたことに気づいたシーンです。


あ~辞めてぇ
浮かれてただけじゃん
一個出来るようになったからって何だよ 何も変わんねーじゃんかよ
バカにしやがって…! クソッ…!
ああ いやちがう そうじゃない
《上手にまっすぐ歩けない それを笑われたり怒られたりすると怖くて恥ずかしい気持ちになります》
それだ
これはイラついてるんじゃねえ 怖くて恥ずかしいんだ
宇野もそうだった? お前も俺と同じだったのかな
(p56,57)

 今まで真面目になることから背を向けていた小林が、宇野との出会いを経て、今やっていることに真面目に向き合ってみようとやる気を出したにもかかわらずうまくいかず、かえって余計な仕事を増やしてしまった。
 自分のミスに陰で悪態をつく他のスタッフの会話を聞いて、小林は「バカにしやがって」と怒りを滲ませるのですが、宇野の言葉を思い出して、自分の今の気持ちを落ち着いて整理し、この感情が「イラついてる」のではなく「怖くて恥ずかしい」という気持ちだと理解したのです。
 すなわち、自分の感情の適切な言語化です。苛立ちの解消方法と、恐怖や羞恥の解消方法は別であるように、行動だけでなく、感情も適切な言語化をすることで、問題の解決を容易にするのです。
 
 さてこのシーン。最近、他の作品でもよく似たシーンを見た覚えがあります。それがなんの作品かと言えば『税金で買った本』の第56話。
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 この前後編の話は主人公である石平少年の過去編なのですが、その中で、現在の友人である山田との出会いが描かれています。山田が湯本という女生徒にひどいことをしたという噂を不審に思った石平が、山田をとっつかまえて詳しい話を聞こうとするのですが、問い詰めてくる石平に対し山田は噛み合わない返答をするばかり。それでも根気強く(そうか?)話を聞いた石平は、山田の考えていることをこう表現するのです。


(税金で買った本 56話 p15)


(同上 p17)

 この石平の喝破と、小林の気づきが、同質のものだと私は思うのです。
 すなわち、山田と小林二人とも、自分の思考や感情に、適切な言葉を与えられていないのだと。

 日本語には非常に多くの単語がありますが、その単語全てを知っているわけでなく、ましてや使えるわけでなく、日常的に見聞きし使用するのは、その中のほんの一握り。ましてや、まだ若かったりするなどしてボキャブラリーが少ない場合には、幅広い意味を持つ言葉でたいていのことを片付けてしまいます。
 「ヤバイ」「スゴイ」「ダサい」「エモい」「むかつく」「ハンパない」などなど。世代ごとに膾炙する単語の違いはあるでしょうが、いい意味悪い意味両者を含意できる単語がどちらの意味を表しているのか理解するには、非常な文脈読解能力が必要とされます。
 しかし、そのような便利すぎる言葉の多用は、えてして、自分や他人の感情や思考を極めて大雑把にまとめることになってしまいます。
 テストで平均点を越えた嬉しさも、恋人ができた嬉しさも、アイスのあたりが当たった嬉しさも、三年間最後の試合で勝った嬉しさも、せいぜい「超」「鬼」「激」など、程度を表す言葉を加えて量的な差異を表すくらいですべて「ヤバイ」で表してしまうことは、湧き上がった感情の中に含まれている、「嬉しい」以外の他の細かい成分をすべて無視し、すべて同じものとまとめてしまうことになります。
 その結果が、小林や山田のような、自分で自分の感情がよくわかっていない状況なのです。
 小林が、自分では苛立ちだと思っていた感情の下には恐怖や羞恥があり、山田が自分では怒りだと思っていた感情の下には羞恥や屈辱ありました。でも、それらの細かい感情になんと名前を付けていいかわからなかったために、「苛立ち」や「怒り」というラベルを貼ってしまい、苛立ちや怒りを晴らすための振る舞いをとってしまっていました。
 しかし、苛立ちの解消が恐怖や羞恥の解消に、怒りの解消が羞恥や屈辱の解消につながるとも限りません。小林や山田は、解消しようと思っても解消できない鬱屈に悩まされ、それを解消できない無力感が精神を苛んでいきます。
 あるいは、問題を解消できない無力感が、感情や状況に適切なラベルを貼る能力の形成を妨げたという方向もあり得るでしょう。
 小林は、小学校の二桁の割り算で躓いて以来、どうやって理解すればいいかわからず、どうやって教えを請えばいいかもわからず、他人からカッコ悪く思われないように、「バカ」って思われないように、「マジメに授業受けるのが怖くなって フケって逃げてた」のですが、勉強がわからなくなってしまい、自身の問題解決能力の自信を無くしてしまったために、小林は努力しない自分を選び、主体的にサボって、知能的・情緒的な能力の向上を放棄したのです。
 これを、彼らの個人的な問題と片付けてしまうのは簡単ですが、そうしてしまっては何も生みません。学校教育や、家庭環境や、地域社会など、一度躓いた人間をフォローできるセーフティーネットはなにかしらある、あるいはあったはずなのです。もしくは、あるべきだ、と言った方がいいのかもしれませんが。

 ともあれ、『税金で買った本』では、石平が山田に指摘をすることで、山田は自分の感情を前より適切に理解することができました。
 『君と宇宙を歩くために』でも、小林は、宇野の頑張りを思い出し、自分の感情をきちんと腑分けしたうえで冷静になり、他のスタッフにミスを謝罪し、それによって彼らからアドバイスを受けられました。
 心も、行動も、自分でもよく理解できていないままに振舞おうとすると、周囲とうまくかみ合っていればいいですが、いったん齟齬が起きると、途端に世界はぎくしゃくし始め不安定になりますが、それらに適切な言葉をつけられると、不安定な世界に放り出されても、自分の居場所をはっきりさせられたり、安定している場所へ自分を引っ張っていくことができるのです。

 言葉が生まれたことで、人間は精神世界をより深められるようになり、また莫大な情報を他者に伝達できるようになりました。言葉はあまりにも日常的ですから見過ごしがちですが、まさにこうして言葉にすることで、その重要性を改めて意識できますな、と。

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