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漫画の話です。

『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 ひばり編

ひばりの朝』の感想その4です。

ひばりの朝 2 (Feelコミックス)

ひばりの朝 2 (Feelコミックス)

その1〜3はこちら。
『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 富子編 - ポンコツ山田.com
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『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 学校編 - ポンコツ山田.com
ついにひばりへスポットを当てて、いままでのまとめとしたいと思います。


ひばりの朝』とタイトルに名前を冠されながら、ひばり自身が主体となることはなかなかなく、しばらくの間彼女は、誰かから見られる存在であり続けました。完から、憲人から、富子から、相川から、美知花から、辻から、ひばりは見られ、彼ら彼女らに様々な感情を惹起させていました。
1巻のtalk.7で初めて、ひばりが物語の主体となりました。その第一声が「あたしがわるいんです」。
「ありゃやっぱおれに惚れちゃってんな」「ありゃ中学生つってもヤってねーわけねー」「あたしとは違ういきもの」「何を知ってたらスキでいていいわけ」「こいつ浅いなー」「手島日波里はクラスメイトらの囁く噂のような子どもではない」
彼女を見た人間から様々なことを思われているひばりですが、内心には負の思考が渦を巻き、中心にある自罰感情へと吸い込まれていっています。男が怖いのも、女が意地悪なのも、みんなあたしが悪いから。
男性から向けられる性的な視線。女性から向けられる軽侮の視線。それらを浴びて、それらに反抗せず、「あたしが悪いから」と溜め込む。感情の掃き溜めの中でひばりが育てたのは、世界に対する漠然とした敵意。無色の破滅願望。

だから なんか ……どうでもいいっていうか よくなくて ……だから
親も 先生も ともだち… も 皆死ねって思っても全員殺してまわれないから 
だからなんか あっ て 思ったんだけど それって たとえば あたしが死んだら全員消しちゃったのとおんなじことになんないかんって 世界中の 全員 しねってゆう
ちがうのかな わかんなくて でも …あたしがわるいから ……わるいんです
(1巻 p184〜186)

けれど、彼女の自罰的な思考、そして破滅的な思考は、いわば彼女の避難場所でした。自分で自分が悪いと考えておけば、もうどうしようもないものとしてしまえる。奇妙な言い方になりますが、それがどうしようもないものであるなら、それにはもう抗うこともできずひたすらやりすごすしかない。抗うこともできないということは、抗う必要がないということ。抗う必要がないということは、何もしてくていいこということ。「これは自分が悪いからしょうがないんだ」と自分で認めることで、致命的なところの一歩手前まで他人の視線の侵入を許すものの、最後のフェイタルな部分にまでは踏み込ませない。私が悪いことは自分でわかってる。悪いのは私でそれが原因なのだから、これ以上悪くなることはない。そう考えることが、ギリギリのところのひばりの命綱。そんな風に思います。
なぜそう思うかといえば、talk.13で勘違いぶっこいてる完がひばりに向かって「謝っちゃえって」と言ったときに、初めてひばりが感情を昂ぶらせて叫んだからです。

……あたしはわるくない
…あたしは わ るくない
あ あたしがわるいんじゃないッ
(2巻 p138,139)

ひばりが自分を悪いと考えているのは、あくまでそれが自分一人だけの逃げ場所になるから。そこにいれば、ほかの人の言葉は本当に危険なところまでは届いてこないから。そう考えていれば、本当は違っても、本当はそんなわけないとわかっていても、最悪な傷は負わなくて済むから。
だから、完に「謝っちゃえって」と言われた時に、ひばりはそれを否定しなくてはいけなかった。他の人間が「謝れ」と言うのは、他の人間が自分が悪いと考えたということだから。自分が悪いわけはないのに、自分の最低限の部分を守るためにそう自分に言い聞かせてきたのに、他の人から「自分が悪いことを認めろ」と言われた上で謝っては、自他ともに、本当に自分が悪いと認めることになってしまう。それは最後の傷。自分を殺す傷。それは許せない。「あたしが死んだら」なんて言っていても、それは「自分が悪い」という殻の中からの声。その殻を壊されて、一番無防備なところを露わにして、そんなときにはもう「あたしが死んだら」なんて言えない。自分が悪いことを否定するしかない。
だから、叫んだ。
完と父親の前から逃げて、ひばりは言いました。
「…どうなったら・・・・ …あたしって ………助かってる・・・・・のかな」
彼女は知ってしまった。「あたしが悪い」と考えているだけでは助からない・・・・・と。自分でそう考えているだけでは、致命的な傷を防げないと。そんな殻ではまだ脆かったのだと。
そしてひばりは決めた。「息を 止めて 目をつむる じっと」。自分が悪いと考えるのではない。もう何も考えない。ただただ息を止める。目をつむる。じっと。
talk.13の最後とfinal talkで、ひばりが実父から何をされたのか、正確にはわかりません。この上なくおぞましい行為なのかもしれないし、ただ見ていただけなのかもしれない。それはわからない。でもひばりにはどうでもよかった。
「息をとめていたので平気でした」
高校の卒業式の朝、息を止めて目をつむる夜を1500回繰り返した後の朝、ひばりは全てをあとに残して家を出ました。ロミオとジュリエットに夜明けを告げたひばりのように。「いかなければ さもなくば しんでしまう」から。
この物語は、完かひばりの母親か、どちらともつかない言葉で幕を閉じました。「え? 今何時………」。もう夜。そこはナイチンゲールが鳴く世界。ひばりはいない。ひばりは朝に鳴く。
final talkで引用された『ロミオとジュリエット』の一節ですが、ここには、恋人同士の逢瀬である夢のような夜と、見つかれば死を免れない現実の朝の二面が存在するようです*1。今までひばりが息を止めて耐えてきた夜は、あくまで夢の世界。どんなに辛くても自分が耐えればすむ閉じた世界。そして、ひばりが大きく息を吸い込んだはずの朝は、現実の世界。現実の傷が待っている世界。でもひばりはその世界に羽ばたいた。「たぶん一生忘れ」ない朝の光の中へと。


ということで、4回にわたってお届けしてきた『ひばりの朝』の感想でした。ここまで細かく読むことになろうとは自分でも思っていませんでした。むふう。ぐるぐると、ひやひやと、もやもやとしたものを自分なりに言葉を与えてみたのですが、きっとまたしばらくして読み返せば新たななにがしかが生まれるんだろうなと、そう思わせる作品です。



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