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漫画の話です。

『君と宇宙を歩くために』違くて同じ人間の、違うけど同じ感情の話

 今回も、『君と宇宙を歩くために』のお話。
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 主人公の一人である宇野は、作中で明言はされていないものの、自閉スペクトラムと思われる、「ちょっと人と違うところ」のある高校生男子。「記憶することが得意」だけど、「沢山のことを同時に行ったり臨機応変にすることが苦手」で「知らない人が沢山いる所は特に苦手」な性質があります。
 後者の性質が彼の社交を困難なものにしていて、見知らぬクラスメートから突然脈絡のない話題で話しかけられると、途端に恐慌に陥ってしまいます。

(1話 p29)
 大事なメモをいたずら半分の同級生に取り上げられ、「臨機応変に対応することが苦手」な宇野はその場から逃げ出してしまい、あとで小林からそのメモを返してもらい、彼と一緒に自分の家へ帰りました。
 失くしたと思ったメモを学校で探しているときや、小林と同道する帰り道では、普段とあまり変わらない姿の宇野でしたが、家に帰るとこそには、様子を一変させた彼がいました。

(1話 p37)
 声を上げて涙を流しているのです。
 この変わり身の理由は、彼の大事なノートに書かれていました。

(1話 p38)
 《悔しくても泣くのは家に帰ってからにする》
 宇野は、自分の性質をそのまま出すと、社会生活でにおいて不利益を被りやすいことを学び、少しでもマシな生活を送るため、そのようなルールを作ったのでした。

 自分にはわからなくても、自分には見えなくても、それを悔しく思い、悲しく思い、泣きたくなるほど辛い人がいる。
 このシーンは私に、そんな当たり前の事実を強く突きつけてきました。

 人は、自分のわかることしかわかりません。わかることはわかっているから、それについて悩むことはなく、当然のものとして受け入れます。
 わからないことについてとりうる態度は三択です。わかったふりをして受け入れるか。わからないまま受け入れるか。あるいは、わかっていないことに気づかずわかった気になるか、です。
 宇野をからかった同級生は、宇野のことを「ヤバい」やつだと「わかって」いました。彼の性質も何も知らず、ただ自分が変だと思うことをやっているやつだから「ヤバい」やつだと理解し、危険性はないけどイジったら面白そうなヤバいやつ、として宇野をからかいました。
 「ヤバい」宇野は、(ヤバくない)自分とは違う人間。そんな意識が、同級生にはあったでしょう。自分とは違う行動様式の人間だから、物事の受け止め方も自分とは違うし、感情表現や感情の種類も自分とは違う。そんな意識が、あったでしょう。
 いえ、彼だけでなく、同級生の行動を横で見ていた小林にも、多かれ少なかれ似ている、そんな意識があったでしょう。
 でも、そうではありません。宇野の性質が一般的な社交を困難にするものだとしても、喜怒哀楽や羞恥、悔しさ、といった人間の当たり前の感情が、彼にも当たり前にあるのです。そのコントロールの仕方が、他の人とは違うだけなのです。
 からかわれれば恥ずかしい。馬鹿にされれば悔しい。そんな当たり前の感情があるのです。

わからないことがある時は一人でも宇宙に浮いてるみたいです
聞いても教えてもらえない時もあります
上手にまっすぐ歩けない
それを笑われたり怒られたりすると 怖くて恥ずかしい気持ちになります
(1話 p42)

 この宇野の言葉を聞いた小林が、「ああ…何かわかるな 俺もバイト先でいつもそんな気分になる」と思ったように、宇野も小林も、違う人間だけど、同じ人間なのです。

 そして、このシーンが私に強く突き付けられたということは、私自身、「そんな意識」があったのでしょう。自分とは行動様式が違う人間は、自分とは違う感情で動いている。感情の湧き方が自分とは違う。そんなことを無意識の裡に思っていたのでしょう。
 でも、そんなことはない。なくはないこともあるだろうけど、そんなことはない方が圧倒的に多いはずです。

 わかったものしかわからない私たちにとって、私たちがわかっているものは、本当にわかっているものなのか、それともわかっている気になっているだけで本当はわかっていないものなのか、その両者を区別することは原理的に困難です。
 そして、優秀な物語は、その困難なことに気づくきっかけを、時に強烈に、時に優しく与えてくれます。今回は、けっこう強烈でした。家に帰ってからの宇野の嗚咽と、彼のメモの中身は、非常なインパクトでもって、わかったつもりになっていた私の全然わかっていなかったところを、蹴っ飛ばしてくれました。

 また、宇野のメモの中身の、《→何が悪かったか考えてみる ①お姉ちゃんに聞いたり相談してみる ②自分で調べてみる ③(判読不能)》の部分もインパクトがあります。
 これを己にルールで課しているということは、宇野は自分が周囲の世界のルールを理解していないことを理解している、ということです。
 自分にはその意味が理解できないけど、何か悔しく辛い気持ちになる理不尽な目に自分は遭った。そこにはなにか、「悪かった」ことがあるはずだ、と宇野は考えています。その「悪かった」ことは、彼自身が周囲のルールを破った「悪」なのか、それとも周囲の人間の悪意などの「悪」なのか、どちらもありえます。ただ、そのどちらであれ、宇野自身にはその場でそれがどういう「悪」だったかがわかりません。ただ、「悪かった」ことによって悔しさを覚えたので、その「悪」がなんだったのかを理解する、そうやって周囲のルールを少しずつ理解していく、そうやって自分の生活を少しずつより良いものにしていく。
 そんな当たり前なこと、当たり前すぎてみんな意識しないようなことを彼はしているわけで、それはとりもなおさず、彼の生活がそれだけ辛いものだという証左です。
 いってみれば、ルールのわからないスポーツをいきなりやらされたようなもの。野球は日本ではメジャーなスポーツで、なんとなく程度でもルールを知っている人は多いですが、全然知らない人から見ると、複雑怪奇極まりないものなようです。
 キャッチャーが捕ったボールがストライクとボールで何が違うのか。ファールグラウンドに飛んだボールがファールなのかフェアなのか。なんでランナーは勧めたり進めなかったりするのか。
野球の概要 - Wikipedia
 これを読んでみると、サッカーやバスケに比べて圧倒的にルールが煩雑なことがわかりますよ。
 宇野は、いきなりバットを忘れてバッターボックスに立たされるようなもの。
 このバットで何をするのか。どうやら投げられたボールを打てばいい。打ったら右側にあるベースに向かって走ればいい。次のバッターが打ったらピッチャーの後方にあるベースに走ればいい……
 そんなことを、少しずつ少しずつ、学んでいきます。
 宇野は本人の特性ゆえにルールを覚えるのが他の人より遅く、周りの人間がおおむね覚えた段階で、彼はようやくルールの存在に気づいたくらいのものです。だから、自分にわからないルールに出くわしたときは、誰かに聞いたり、自分で調べたりしなければいけない。そしてそれを忘れないように、あとで参照できるように、メモに残している。
 それは、彼が「宇宙を歩きたい」と強く願っているから。「わからないことがある時」でも、安心して生きられるようになりたいから。
 
 そんな強さが、彼のメモの文字から浮かび上がってくるようでした。

 さっそく第2話の前半が公開されています。
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 比喩の話だけかと思ったら、天文としての宇宙の話もちょろっとでてきました。これからどんな物語になるんだろう。わくわくしますね。

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