今年のアニメ化も決定している『2.5次元の誘惑』の最新刊。
19巻で一番好きなコマはこれでした。(p26)
ひとり脚が上がりきってないマリ姉ェ……
アリアの脚だけ筋肉質なのもいいですね。
閑話休題。
19巻の後半から、夏コミでまゆらになんとかラスタロッテのコスプレをさせようとする話が始まりますが、その中で、各キャラクターに各々のコスプレをする理由、「なんでコスプレをしたいのか」を聞くシーンがあります。いわば動機の言語化。もともと本作では、意識や感覚の言語化をするシーンが何度となく登場しますが、19巻ではそれが顕著に描かれています。
この148話での動機の言語化もそうですし、そこに至るのはみかりんが「この機会にリリサの『コツを言語化』しておいてもいいんじゃない?」と提案したからです。そして、そのコツの言語化について、非常に端的に描かれています。
「リリサちゃんは衣装作る時何を重要視してるの?」
「愛です!!!」
「ダメだこりゃあ」
「……強いて言えば そもそもの話になりますけど 着る人が「何でコスプレしたいのか」は大事かなって…
今回で言えばまゆら様が…です それが分かれば「どういう衣装なら着たくなるか」も分かるかもです」
(p96)
リリサはまず「愛」という非常に抽象的で、それゆえになんの意味もない(他人と共有しようのない)ものをまず「コツ」として提示し、そこから具体的な(他人と共有しうる)要素を挙げています。
この端的さは「コツの言語化」のコツと言ってもいいほどです。
すなわち、言語化の要諦とは、抽象的な、あいまいな、解釈の幅が大きすぎる概念を、他者と共有できる具体的な言葉にすることなのです。
この話では他にも、「抽象的な、あいまいな、解釈の幅が大きすぎる概念を、他者と共有できる具体的な言葉」に落とし込んでいるものがあります。
わかりやすいところでは、リリサの目指すシルエットを翻訳しているツバキです。
「もっとこう…… ぐっと立つ時にここがワッとなるようにしたいんです」
「言語化の努力どこいったんだよ」
「……なるほど
立体になる際にこの肩のカーブが重要になるので もう少し強めのアールが欲しいと仰ってますわ」
「ダッソレ!!」
(p133)
なんにもわからんリリサの説明を的確に言語化しているツバキが「わたくし感覚型の通訳の才能もありまして!?」と慄き、ののぴは「その才能はガチで貴重なのでは?」と指摘しますが、ガチで貴重です。なにしろ、他人の感覚を適切にトレースし、さらにその感覚を適切に言語化するという、二重の能力が必要とされますから。どっちも持ってる人は少なく、両方持ってる人はさらに少ない。
また、リリサのコスプレ衣装を作る能力についても、ののぴは言語化しています。
リリサちゃんの衣装の「キモ」はいくつかあって 2次元を3次元に実装するための常識に囚われない発想とか——
「着る人の気持ち」になれること
そして何より「キャラクターの気持ち」になれること
そのキャラがどんな世界でどういう風に生きているのか そんな領域まで踏み込む「魔法」
リリサちゃんの衣装は—— 着る人を一瞬でそのキャラにさせてくれる まさに「変身アイテム」なんです
(p134,135)
リリサ自身は自分が作る(目指す)衣装を「まゆら様が思わず着たくなるような…すんげ~衣装」と観念的に表現しますが、それが意味するところの一側面を、ののぴはリリサの作る衣装に袖を通したことがある者として、その実感に基づいた具体的な言葉にしているのです。
その他、究極ROMが完成した後の打ち上げ@ツバキ別荘で、「コスプレやさん」になりたいと夢を語ったときのリリサは、言語化が大の苦手な彼女がそれでも悩んだ末に見つけた言葉を用いていますし、「コスプレやさん」になるためにエリカや斉藤に相談してはと奥村にアドバイスされたときも、「自分の力で実績を作ってから相談したいな~」と将来に対するロードマップをおぼろげなながら描いています。これも、「コスプレやさん」という形のよく見えない夢に向かって近づく道を具体的に示した、言語化の一種と言えます。
さらに視点を変えた話をすれば、ファミレスでエリが「社会でのお金の重み」や「プロとしてお金を受け取る大切さ」の例として挙げた『カイジ』や『ラーメン発見伝』は、実社会でもしばしば口の端に上る(それでいて具体的な説明に困る)「社会でのお金の重み」や「プロとしてお金を受け取る大切さ」を、具体的なエピソードで描いている作品です。
(p86)
「金は命より重い」や「「金を払う」とは仕事に責任を負わせること、「金を貰う」とは仕事に責任を負うことだ」などのセリフは誰しもネットのどこかで見たことはあるかと思いますが、これらの言葉は単体で登場したわけではありません。その背後にある物語や一連のセリフ群の中からフックのあるエッセンスとして人口に膾炙しているのですが、これらの作品もまた、解釈の幅が大きい概念を言語化していると言えます。
ところで、「動機の言語化」といえば『HUNTER×HUNTER』のクロロ=ルシルフルだし、19巻でもユキがパロってますが、彼や彼女はその行為を「好きじゃない」と言います。
上述のように、「動機(を含む意識や思考、感覚等)の言語化」は、他者とそれを共有するのにとても有用なものではありますが、それは同時に、言語化することによって、それまであいまいだった観念を「言葉」という枠に押し込めることもでもあります。
言葉とは常に言い足りないか言いすぎてしまうものであり、ある事象と100%、一対一で対応するものは原理的にあり得ません。
あいまいな言葉で表現するとは、それのより具体的な把握や他人との共有が難しい代わりに、それが何であるかまだ決定していないということでもあります。
具体的な言葉で表現するとは、具体的な把握や他人との共有が容易になる代わりに、それについて誤った(十分に正しくない)枠を与えてしまうということでもあります。
もちろん、いったん言葉を与えた観念に再度別の言葉を与え直すことは可能ですが、最初に与えた言葉の印象は拭いがたく、それに引きずられてしまうのは否めず、大きな変更が難しくなります。
そのため、たとえ暫定的だとしても納得できる言葉が見つからない内は、あいまいなままに、言語化しないままにしておくことも大事だと言えます。大事な観念に納得できない言葉を与えるくらいなら、「好きじゃない」とうそぶいて保留しておくいた方がいいのです。納得はすべてに優先するぜ!
ということで、動機の言語化の話でした。
前回の俺マン2023の記事でも書きましたけど、『正反対な君と僕』や『隣のお姉さんが好き』のように、言語化がうまい作品が好きなんですよね。腑に落す力が強い作品。何回か記事書いてる『アオアシ』なんかもそうですね。
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