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漫画の話です。

『ワンダンス』『ブルーピリオド』『メダリスト』言葉を与えられた感覚とその影響力の強さの話

 『ワンダンス』。『ブルーピリオド』。『メダリスト』。
 ダンス、絵画、フィギュアスケートと、どれも芸術(表現)をテーマにした、私の好きな漫画ですが、これらの作品には共通点があります。それは、感覚の言語化に強く意識的である点です。

 何かを見て、聴いて、どう感じるか。
 ある動きをするときに何をイメージするか。
 動きのイメージを伝えるために、どのような表現をすればいいか。
 目標を明確にするために、どのような言葉にすればいいか。

 私たちは日々言葉をしゃべり、聞き、書き、様々な形で触れていますが、その日常的な意識ではなかなかうまく形にできないのが、このような感覚的な部分に属する事柄です。
 形あるもの、理屈になっているもの、他者と共有できているものは、言葉によって説明することが比較的容易ですが、そうでないもの、すなわち、形のないもの、理屈にしがたいもの、他者との共有ができていないものは、それに言葉を与えて自分だけでなく他者にもわかるようにするのが、とても難しいのです。

 喜怒哀楽では分別しきれない感情。
 「おいしい」や「痛い」や「美しい」などの一般的な言葉では機微を説明しきれない情動。
 ある動作をスムーズにするために自分の中で浮かべているイメージ。

 これらはすべて、極めて主観的なものです。それらが発生するきっかけは外部からでも、生起するのは自身の内部であり、他者には捉えられないままに存在します。
 他者に観測できないものを、他者が理解できるよう言葉を与える。その難しさを身近な例で言えば、食レポなんかがそうですよね。
 
 ある料理を食べて、その味、香り、見た目、食感など、自分の中に生まれた複合的な感覚を言葉にして誰かに伝えるのは、テレビ番組などでもよく見られるものですが、それが真にわかりやすいこと、食べた人間の感覚が伝わってくることは決して多くありません。食べた時のリアクションや編集などの映像の力で番組としては成立させるかもしれませんが、表現された言葉だけをとりだせば、空疎なものばかりであることに気づくでしょう。
 それだけ難しいものですし、自分でやってみようと思えばその難しさも実感できます。「おいしい」以上の言葉をみつけて伝えようとするのって、本当に難しいんです。

 で、上に挙げた三作品は、それらがうまい。少なくとも、自分の心や体の中でしか発生していない感覚をなんとか他の人にも伝えようとしているのが、よくわかります。
 たとえば『ワンダンス』では、主人公のカボがワンダから裏のビートの取り方のコツを聞かれたときに、こう答えています。

…お… …俺
じ 自分の中でだけど… リズムをバスケボールとしてイメージしてて…
相手のドリブルが床につくのを表のビートとして捉えて…
跳ね返る中間でスティールする感覚が
部長の言う「&から入る」って感覚に近いなと思って…
(ワンダンス 1巻 p139,140)

 盆踊りの表拍リズム(「ドドンがドン」のあの太鼓のリズム))がDNAレベルで染みついている農耕民族の日本人は、HIPHOPなどの裏のビートに馴染みづらい、とはよく言われることですが、裏のビートにノるための捉え方として部長のオンちゃんが言ったのは、「ワン・トゥー・スリー・フォー」ではなく「ワン&トゥー&スリー&フォー&」の「&」の感覚を意識しろ、ということ。
 ワンやトゥーが表拍で、&が裏拍。要はビートを細かく分割して感じろってことで、その意味でこのオンちゃんの説明も裏拍の取り方の言語化ではあるんですが、それをさらにカボは、バスケボールという形で自分なりにイメージして、自分の中に浮かんだそのイメージをさらに自分の言葉にしてワンダに伝えているんです。
 バスケボールという明確なイメージがあることで、カボは裏のビートの取り方が向上したわけです。

 また、自分の動きがダサい気がするどうやったらかっこいいダンスになるのか、と他の部員から問われた次期部長の伊折は、こう答えました。

…手足で踊ろうとするからじゃない? バタバタして見えちゃうのは
…手足って体の末端なわけで 力が伝わるのは一番後なわけ
まず動くのは「体幹」 首と胸と腰
たとえば船の上でバランスとかとる時とか 何か避ける時 転びそうな時とか 考えなくても自然に手足動くっしょ
これはまず体幹ありきで ちょっと遅れて手足の位置が動く それの連続がダンスになるって感じ
自然なシルエットがカッコイイ 手足から動かすと不自然な形になる
(ワンダンス 4巻 p118~120)

 どうしたらかっこよくなるのか。めちゃくちゃ難しい質問です。どういうものがかっこいいのかという明確なイメージがないと答えようがありません。
 それを伊折は、「体幹」と末端をキーワードに説明をし、それが質問してきた部員(や近くで聞いていたカボ)にとてもわかりやすく染み入っていました。
 動きがバタバタしてしまうと悩んでいた部員たちには、それまで「体幹」や「手足は末端」という体のイメージがなかったのですが、その考え方をインストールして自分の動きを思い返すと、思い当たる節があったのです。なので彼女らは「なんか普通にタメになったんだけど」と感心していました。
 このように、感覚をうまく説明できている言葉は、それを聞いた他人にも同種の感覚、元々その人間にはなかった感覚を惹起するのです。


 『ブルーピリオド』では、「自分の好き」を知ろうとした八虎が、世田介と橋田と連れ立って美術館に行ったときに、名画の良さがわからない、美術館をどう楽しめばいいのかわからないと悩んでいると、橋田がこう言いました。

僕ねえ 芸術って”食べれへん食べ物”やと思うねん
スキ キライがんのは当たり前や 値段の高い料理が口に合うとは限らんし 逆に最初はそれほどでも産地や製法聞いてオイシイと思うこともある
テーブルマナーは大事やけど縛られすぎるのは変やなあ
興味がなくてもレビューサイトで話題やったら気になるし 世間的に一銭の価値がなくても大事な人が作ったもんなら宝物やろ
(ブルーピリオド 2巻 p72,73)

 この橋田の言葉は、名画や美術館という存在に気後れしていた八虎の肩の荷を下ろしてくれたようで、「買いつけごっこはどうや?」という鑑賞のアドバイスももらった八虎は、「「よくわかんない」で止まってた思考が ちょっと動き出した」と、自身の感受性が開かれたことを実感しました。
 世界をどう認識していいかわからないときも、他人の具体的な認識の仕方を教えられることで、物の見え方考え方が変わるのです。
 
 また、感覚を言語化した言葉は、それ自体が巧みに、適切に表されていても、その意味するところが必ずしもすぐにわかるわけではありません。しばらく時間をおいた後に、なにかの拍子で実感することもあります。
 たとえば、予備校講師の大葉は、絵画の構図について八虎にこう説明します。

すべての名画はね 構図がいいの
いい構図は
①大きな流れがある
②テーマに適している
③主役に目がいく
④四隅まで目がいく
(ブルーピリオド 2巻 p111,112)

 大葉はこの後に各項目の具体的な説明をし、まとめとして「模写しましょ」と八虎へ提案しました。「模写はただ真似するのとは違う 心を動かしながら模写すればいろんなことがわかるよ!」と。
 その後、橋田とも構図について話をした八虎は、実際に構図を意識しながら、絵の作者の意図をつかもうとしながら、すなわち「心を動かしながら」模写をしたことで、大葉が言っていた言葉の意味を実感しました。
 主役とそれ以外で配される反対色。主役以外のものによって四隅まで誘導される視線。たしかに、大葉の説明したとおり、構図には意味があったのです。
 大葉から説明されたときにある程度実感しながらも、自ら「心を動かしながら模写」したことで、時間差でより深く実感したのです。


 この、実感の時間差という点は、『メダリスト』でも見られます。
 スケートクラブに入れるよう、母親の前でいのりにコーチをする司が、コーチを受けながらも転んでしまって気落ちするいのりにこう言いました。

スケーティングは一日やそこらでものにはならない
美しい姿勢のまま一番スピードの出る自分だけの重心の一点を探して
何度も練習を重ねてずっと磨き続けていくものなんだ
(メダリスト 1巻 p49)

 この言葉は当初、いのりには、継続することの大事さ、簡単には上達しない忍耐の必要さとして染み入りました。
 それからしばらく経って、1級の大会の本番中、偶然できたスピードの乗ったスケーティングをもう一度やろうといのりが試行錯誤し、なんとか再現できたとき、今までの経験と、司の言葉がフラッシュバックしてきました。

(立ち止まらずに前に進む為には強い押し出しは必要ない 正しい位置に体重を乗せ続けることがポイントだ)
そうだ… 初めてバックができた時も バッジテストのハーフサークルができた時も…
それだけで氷とブレードが勝手に体を運んでくれる 
(美しい姿勢のまま一番スピードの出る自分だけの重心の一点を探して
何度も練習を重ねてずっと磨き続けていくものなんだ)
一点ってこういうことか…!
司先生がずっと教えてくれたことって こうやって押すとよく進む場所を細かく探すことだったんだ!
今しっかりわかった気がする…
(メダリスト 3巻 p78,79)

 試行錯誤し、スピードのあるスケーティングができたその時、いのりは「美しい姿勢のまま一番スピードの出る自分だけの重心の一点」の意味するところが理解できたのです。


 また、あいまいだった感覚が明確な言葉にされると、当然のことながら、他者だけでなく自分自身にも影響を及ぼします。
 いのりは、司のスケーティングが「指先が目に残って綺麗」なのが「魔法みたいで不思議」と感じていましたが、その理由を自分なりに言葉にできたとき、彼女自身の動きも劇的に変わりました。

最初は魔法みたいで不思議って思っていたけれども よく見たら
一番ゆっくり動いているものが目に残るんだ
だから腕を振るとき… 手の先から動かすんじゃなくて
肩から動かして最後に手を動かすようにすれば…
司先生みたいなキレイな動きになるんだ
(メダリスト 3巻 p86、87)

 奇しくも最初に挙げた『ワンダンス』と同じく、末端ではなく体幹から動かすことで動作がカッコよくなるということですが、本番中にこれに気づいたいのりの動作は、「振り付けの印象が変わった?」「ぐらつきが直ったな」「わあ…あの子綺麗に滑るねえ」と、目に見えて評価があがったのです。
 このように、漠然としていた感覚も明確な言葉にすることで、他人に伝えるのだけではなく自分自身に説明するのでも、強力に浸透するのです。


 以上で挙げてきたのはほんの一例で、3作品にはそれ以外にも多くの個所で、感覚に言葉を与えているシーンがあります。そしてそういうシーンは、作中のキャラクターと同じく、読んでいる私たちにも染み込みやすいのです。感覚的なものをテーマにしたこれら3作品の面白さには、この言語化のうまさも理由にあるのではないでしょうか。
 主観的な感覚を、他者にも(あるいはいのりのように自分自身にも)理解できるように言葉にする。何度も言っているように、これはとても難しいものであり、また言葉の選び方も十人十色になります。それゆえに、試行錯誤して生み出されたそれを耳目にするのは面白いし、それがこちらにも実感できた時はなお面白い。
 そういう作品、大好きです。



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