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漫画の話です。

映画が好きな隣のお姉さんが好きな僕と映画とお姉さん『隣のお姉さんが好き』の話

 毎週水曜日は映画の日。そう決めたのは先週のこと。映画が好きなわけじゃない。好きなのは隣のお姉さん。隣のお姉さんが映画が好きだから、彼女と一緒にいるために、映画を見たい。
 好きって何だろう。本当に好きなのに。全部好きなのに。
 隣のお姉さんはどんな人なんだろう。本当に知りたいのに。全部知りたいのに。
 でも、彼女は、すごく遠い……

 ということで、藤近小梅先生の最新作、『隣のお姉さんが好き』のレビューです。
 中学二年生の少年と、高校二年生の少女。片思いをこじらせる少年と、それを大人の包容力で受け止めようとしてやっぱり受け止めきれない少女の、痛々しくも生々しい、甘酸っぱくも辛辣な、恋の物語です。

 佑(たすく)はまだ恋も知らない中学二年生。自分がモテると根拠なく思い込める、まだまだピュアなお年頃。だらしない実の兄姉をダメな人間だと決めつけられる幼さと、家族一緒にお出かけできる幼さを持つ、まだまだ幼い男の子です。
 そんな彼が、ふとした拍子に見た、お隣に住む高校二年生の女子高生・心愛(しあ)の横顔。その美しさに心奪われた佑は、彼女が興味を持つ映画を口実に、なんとか心愛と会う機会を増やそうと画策するのです。それが、毎週水曜日の映画鑑賞。映画なんか本当は興味ないのに、ただ心愛と一緒にいたいから、心愛の顔を見たいから、無理やり約束を取り付けたのです。
 
 そんな振る舞い、身に覚えのある人も多いんじゃないでしょうか。好きな人に近づくために、好きな人の好きなものに興味があるふりをする。誰しも通る道でしょう。通らなかったようなモテに不自由しなかった人は戻るボタンでいいんじゃないかな。
 全国民の98%に覚えがあるものと仮定して進めますが、そんな不純な動機で始めたものって、なかなか興味を持てないことが多いと思うんですよ。別に自分の好きな人が懇切丁寧に沼に引きずり込もうとしてくれるわけじゃないですから、それ自体に興味がないものに触れても、早々興味はもてません。
 それは佑も同様で、心愛と並んで彼女の部屋で映画を見ても、映画に集中できない彼が見るのは、映画に集中している真剣な心愛の横顔ばかり。その顔は、彼の心を奪った魅力的なものであると同時に、今の彼には理解のできないものとしても映るのです。

 三歳差。
 大人になればほとんど気にも留めないような歳の差ですが、中学生にしてみれば令和と昭和くらいの隔たり。たった三歳差の心愛のことが、佑には全然わからないのです。
 なんでそんなに大人っぽいのか。
 なんでそんなに余裕があるのか。
 なんでそんなに映画が好きなのか。
 なんであなたのことがわからないのか。

 やっぱり大人になれば、わかるんです。相手のことがわからないのなんて当たり前だって。わからないことをスタートにして、それでもわかろうとできるんだって。
 でも、まだ中学生の佑にはわからない。わからない心愛をわかることを求めてしまう。大人っぽくて、ミステリアスで、自分には計り知れない彼女の全部を知りたいと思ってしまう。
 だから、佑には思いもよらない。そんな心愛だって、大人っぽくなんてないし、ミステリアスでもないし、佑自身のことをよくわかっていないってことを。
 心愛だってまだ高校二年生。それも、人付き合いの苦手な、自他ともに認める「めんどくさい」人。自分のことで手いっぱいだし、誰かもっと大人っぽい人に寄りかかって楽したいし、年下だろうが自分を好きなんて言ってくれる男の子が何を考えているかなんてわからない。
 そんな、お互いがお互いをよく見えていない、不均衡な物語。どっちが上とかではなく、どっちもどっちを見誤っている物語。そんなアンバランスでちぐはぐな恋物語なのです。

 このちぐはぐさ、恋愛未満の未(成)熟な関係性をよく象徴しているなと思うシーンが、二人が心愛の部屋で映画を見るシーン。二人は並んで映画を見るのですが、多くは集中できない佑が、たまにはふと気を奪われた心愛が、映画に見入っているもう一人の横顔を眺めます。
 これで思い出すのがサン=テグジュペリの『人間の土地』の一節。いろいろなところで見られますし、このブログでもしばしば引用していると思いますが

愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと。

人間の土地(新潮文庫) p216

 二人並んでいるのに、同じ方向を見ないで、余所見して相手の顔を盗み見てしまう。愛と呼ぶにはまだ幼い、気もそぞろな二人。
 これから二人の思いがどうなっていくのか、それはわかりませんが、もしそれが愛になるのだとしたら、きっと二人並んで映画に見入っている姿がその時なのだと思います。

 年下の佑はもちろん、年上の心愛もまだ大人とは程遠く、制御できない自分の感情に振り回されながら、少しずつ自分の幻想、すなわち自分が見たいと思っている相手の虚像が透けていって、見たくはなかったけど確かにそこにあると認めなければいけない相手の姿を認めていく様。これは恋愛に限らず、人の成長だと思うのです。
 その意味でこの作品は、コメディの衣をつけながらも時折生々しいむき出しの感情が見える、恋愛物語であり少年少女の成長譚だと思うのですよ。
mangacross.jp
  心愛さんめんどくさいよね…でもかわいいよね……いい………



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