容姿端麗、文武両道、品行方正。でありながら、他の生徒と慣れ合わない孤高の高校生活。本名の字面も相まって、氷室冬華は「氷の令嬢」とあだ名されている。
マンションで一人暮らしの火神朝陽は、そんな彼女がお隣さんであることは知っていたけど、人付き合いを顧みない彼女に声をかけたことはなく、ただお隣であるだけだった。
でもある日、熱を出して早退したと噂になっていた氷室が部屋の前で意識を失いかけているのを朝陽は発見する。そのままにしておくこともできず、自分の部屋へ運び込みベッドに寝かせる朝陽。熱に浮かされている氷室の顔は、氷の令嬢とあだ名される普段の姿とは違い、年相応の女の子のものだった……
高校生で一人暮らし。
学校にはあだ名のつけられたマドンナ。
そしてそのマドンナがマンションの隣の部屋。
現実世界にどれだけいるかはわかりませんが、ラブコメ界なら石を投げれば当たりそうな設定ですね。御多分に漏れず、本作もそういう作品ではあるのですが、特徴的であるなと思うのは、やはりとこみち先生の筆致です。
本作には原作小説があり、そちらの方は未読であるため比較はできないのですが、なんというか、過剰さがないのですね。
学園のマドンナが持ち上げられすぎるであるとか、そんな彼女にときめいて常軌を逸する人間が続出するとか、主人公が学校一かわいい同級生と自宅で食事を共にしてもなんら特異な反応を示さないとか、そういうのがないわけではなく、とても静かに描かれている。その静かさ、抑制のきいた筆致、そういうものが、ヒロインのかわいさや、表にあまり出てこない感情の動きを際立たせてくれているのです。
とこみち先生の作品はどれも、いい意味でキャラクターに本気さ、真剣さが感じられない印象があります。それはふざけているとかだらけているとかそういうことではなく、キャラクターの中心に虚無感がある、諦念がある、大事なものをつかむことはできない確信がある。そういう人は、どれだけまじめになっても、どこか本気になっていないよう見えるものです。
いや、実際とこみち先生のキャラクターがそんなのを抱えているかどうかはわかりませんけどね? でも、とこみち先生のキャラクターたちは、世界中が幸福になることなどありえず、自分の思う通りにいくことなど存在せず、それを自覚したうえで、それでも目の前にある人生を精一杯生きて精一杯幸せになろうとしている。そんな印象があります。『ゆーあい』しかり、『君が肉になっても』しかり、『見上げるあなたと星空を』しかり。
なるほど、孤高のヒロインがふとした拍子に素顔を見せて、関係性が近づいていくというのは王道でしょう。ベタでしょう。しかし、それは退屈と同義ではありません。描き手次第でそこに描かれる空気は千差万別。とこみち先生の王道ラブストーリーは意外ではありましたが、先生の特徴のよく出た作品になっていると思います。この作品目当てでがうがうのアプリいれましたからね。よいぞ。
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