先週発売された2024年32号のモーニングに掲載された、泰三子先生の『だんドーン』の番外編、「番外長州編 松の下の若人たち」。長州にて松下村塾を開き、志士たちの師として明治維新に大きな影響を与えた吉田松陰と、その弟子の桂小五郎を主人公に描いた話です。
歴史で幕末を習えば確実に名前が出てくる吉田松陰。上記の通り、松下村塾を開いて志士の精神的指導者となったことや、安政の大獄によって刑死したことくらいまでは学校の授業で習いますが、それ以上を知るにはもっと突っ込んだ本を読んだりせねばならず、恥ずかしながら私は今回の話を読んで、吉田松陰がこんなアナーキーなマネをしていたことを初めて知りました。友人との待ち合わせに遅れるからと脱藩したり、ロシアの船に密航しようとしたり(ロシア船の予定が狂って早くに出港してしまったため乗船できず)、アメリカの船に密航しようとしたり(乗船までしてアメリカに連れて行ってくれるよう船員に直談判するも断られ下ろされる)、言わなくていい間部詮勝の暗殺計画をゲロって死刑になったり。えぇ…何この人……。
教科書的な記述しか知らない歴史上の人物が物語になると、その人がかかわった出来事はどのような理念に基づいてなされたのかや、どのような人とつながりがあったのかなどが知れ、言葉だけの人物ではなく、歴史の中に確かに存在した血肉を持つ人間として見えてきて、フィクションという前提は意識する必要はありますが、面白いですよね。ホットなところで言うと、アニメ化した『逃げ上手の若君』の北条時行なんかもそうですが。
で、そんな血肉も理念もある吉田松陰が、コメディでと残酷さと冷酷さが同居する泰三子先生らしい筆致で描かれていて、たいそう面白うございました。明治維新の原動力の一つとなった長州藩の志士の師として彼がどういう存在であったのか、フィクションゆえの誇張や省略ももちろんあるでしょうが、不安定でそれゆえに魅力的である人物として造形されています。
その中でもっとも印象的だったのは、最終ページでの桂の独白です。刑死直前の吉田が「必ず一人の時に読んでほしい」と自分に宛ててしたためた手紙を読んだ桂は、師との思い出と言葉が心の中で溢れかえり、こう思うのです。
(モーニング 2024年32号電子版 230p)
呪。
師から自身が死んだ後の日本の行く末を託された弟子が抱く思いとしては、いっそ不釣り合いな言葉です。でも、桂にとって吉田の言葉は、まさしく呪いだったのです。
言葉の呪いについては、以前『3月のライオン』を読んでこんなことを書きました。
yamada10-07.hateblo.jp
すなわち、「時として、言う側の意図とはまったく別の形で言われた側を縛るもの。それが言葉。それが呪」です。いわば吉田松陰は、類稀なる才知の言によって若人を縛った、しかも「言う側の意図とはまったく別の形」ではなく、自身の意図どおりに縛った、稀代の呪術師だと言えるでしょう。
吉田は若くして藩主に才を認められ、広く弟子を取りましたが、その講義に初めて出た桂が抱いた感想は「教える方も教わる側も この教室の中にいる人間はみな楽しそうだ」というものでした。
そして、桂の思う吉田の元に弟子が集う理由は以下の通りです。
(同上 197p)
「だから若い門人がぞくぞくと先生のもとに集まる」のだと。
吉田は桂を「さすが…「皆に将来は萩城一のスケコマシ」と評されるだけはある」と褒め(?)ますが、吉田もそれ以上の人誑しです。吉田から褒められ彼の魔力や魅力に触れた門人たちは、次第に吉田に心酔、崇拝し、彼の理念のもと、日本の危機を救おうと奔走するのです。
吉田は安政の大獄に繋がれる直前、門人たちにこう説きました。
一心不乱に行動を起こす狂愚はまことに愛すべきものですが
考えるばかりで行動ができない才良であれば恐れるべきです
百年はほんの一瞬
諸君 狂いたまえ
そして彼の死後、実際に長州藩からは明治維新の立役者となる者が多く出て、維新後の日本でも長く国の中枢で働きました。彼の言葉で言えば、「一心不乱に行動を起こす狂愚」たちが死に物狂いで国を動かしたのです。
門人たちはきっと、吉田が自分たちを縛ったとは思っていません。彼の思想に触れ、まさにそのとおりだと思い、自ら決断して国のために奔走したのだと考えています。でも、そう思わせることこそが吉田が稀代の呪術師たるゆえんです。門人たちは自分が縛られた、呪われたとは思いもせずに、彼ら自身の意思として、吉田の思うとおりに動く。それこそが呪術師の使う、最も効率的で熱狂的な式神です。
吉田は、自身を崇拝する門人の本性を見極めるためあえて理不尽に、不合理に振舞い、彼らをわざと窮地に立たせたりもしましたが、それもまた呪いの一種です。吉田に振り回された門人は、師から見放されそうになったところを謝罪しそれを受け容れてもらったことで、よりいっそう崇拝の度を深めました。
そんな彼がかけた最大の呪いは、自身の死。稀代の呪術師である彼は、どうすれば門人が自分の信念を内面化してくれるのか、すなわち呪われてくれるのか熟知していました。
(同上 228p)
自身の死こそが門人たちを「決死の行動に駆り立てる」と理解していたのです。
では、なぜ吉田は自身の命を賭けてまでそのようなことをしたのか。それは、彼が「公」に殉ずる人間だから。
「人のお役に立」つよう幼少期から教育を受けてきた吉田は、そのためには、脱藩してまで見聞を広めに出たり、密航して海外に出ようとしていました。脱藩はダメ、密航はダメ、というきまりも「公」ではありますが、彼はそれ以上に優先する「公」、より高次にある「公」として、広く「人のお役に立」つことを考えており、それは「日本を他国の奴隷にしない」という言葉で表されています。日本のトップである幕府が作ったきまりを守っているままでは、日本が外国に踏みにじられてしまうのであれば、それを破っても構わない。幕府は日本の政治のトップであって日本そのものではない。守るべきは幕府(の権威)よりも日本。そして、守るべきは自分の命よりも日本。
それが彼の殉じた「公」でした。
上述のように、ほぼすべての門人たちは自分たちが吉田に呪われていることに気づいていませんでした。むしろ、祝福されているのだくらいの気持ちだったでしょう。
でも、桂だけはそれに自覚的でした。いえ、最後の最後に自覚したのでしょうか。
吉田から「僕みたいなつまらない人間をこんなに褒めてくれたのは君が初めてです」、「いつか君は必ずことを成す人になります!」などの言葉をかけられ、陰で密航の手伝いなどもしていた桂は、吉田にとっても他の門人とは一線を画す存在だったのでしょうし、桂自身も、他の門人たちは振り回されるだけだった吉田のことを一歩引いた立場で推しはかろうとしていましたが、それでも最後の手紙を読むまでは、吉田の遺志を継いで日本を救おうと奮い立っていたはずです。
でも、その手紙には、自分の死すら「公」のために役立てようとする、空恐ろしいまでの吉田の意思があった。「窮地に立たされた時に出てくる各人の本性」を踏まえてうまく調整し、日本の窮地を救ってほしいという願いがあった。その時に桂は気づいたのです。今まで吉田がかけてきた言葉は、自分の進むべき道を示してくれた言葉は、自分の心の中で溢れかえっている言葉は、吉田からの祝福なのではなく、呪いなのだと。日本を救う「公」に殉じる師の呪いなのだと。
きっと吉田は信じていたはずです。桂であれば、自分がかけていた言葉が呪いであったと知ってなお、「公」のために動いてくれると。
吉田がは桂に呪いをかけたと告白しながら、悪びれもせずに「向こうで共に桜を見下ろす日がくるまで僕は信じて待っています」と願いながら別れを書いています。吉田は自分がかけた呪いの後継者として桂を恃んだのでしょう。桂なら、きっと自分の遺志を継いで日本を窮地から救ってくれると。
それはたしかに桂へ受け継がれました。桂は幕末から明治初期まで、日本の変革の第一線を駆け抜けました。でも、その遺志もまた呪いです。
信頼する君に呪いを託す。あとは任せた。あの世でまた一緒に肩を並べよう。
死んだ者には何も言えません。何もできません。もう呪い返しはできません。師からの最後の言葉は、今まで桂にかけられた言葉はすべて呪いであると明かし、他の者もそれに縛られていると明かし、呪われたままに国を救えと告げました。
ああ、なんて恐ろしくも強く、そして魅惑的な呪い。
ということで、最後の一文で読後感を一気に複雑なものに叩き落としてくれた、『だんドーン」の「番外長州編 松の下の若人たち」の「呪い」の話でした。
『ハコヅメ』のときから思ってましたけど、泰三子先生はこういう短くまとまる話の切れ味が鋭くて好きですね。
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