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漫画の話です。

『タコピーの原罪』あなたを一人にしない、ハッピーを生む「おはなし」の話

 再び『タコピーの原罪』。今日は「おはなし」についてのお話。

 この物語のトリガーにして傍観者であるところのタコピー。この者が何のために地球に来たのかと言えば「宇宙にハッピーを広めるため」。そのために、ハッピーママから渡されたハッピー道具を携えているのですが、地球で出会ったしずかに、ハッピー道具の威光は届きませんでした。それもそのはず、しずかが何にどう感じているのかもわからないタコピーでは、どうすれば彼女を笑顔に、ハッピーにできるのか、わかりようがありません。
 タコピーが地球人の心を理解できない内にしずかは自殺してしまいますが、それを目の当たりにして、タコピーは言います。

知的生命体”人間” きみたちの言葉で自ら命を絶つことを
”自殺”と いうらしい
なぜそんな行為が存在するのか なぜきみが自殺してしまったのか ぼくにはわからない
でも わからないから聞きたいっピ たくさんおはなしして もっときみを知って
きみが死んじゃわなくて済む未来を いっしょに考えたいっピ
(上巻 p46,47)

 タコピーがここで口にした「おはなし」。これは別のところでも登場します。

仲直りの秘訣は
ちゃんとおはなしすることだっピよ おはなしがハッピーを生むんだっピ
(上巻 p62,63)

 「おはなし」。実はこれ、この物語の中で、けっこうなキーワードであると思うのですが、こう言いながらもこの作品の登場人物たちは、ほとんど「おはなし」をすることがありません。

 たとえばタコピー。
 1話で、しずかを探すまりな達が、いじめの成果を語り合う陰湿な会話を耳にして、タコピーは「楽しそうだっピね」で見当はずれのことを言いますが、それに対してうつろな表情で「そうなんじゃない?」と答えるしずかの顔にも言葉の意味するところにも気付くことなく、新しいハッピー道具を披露します。
 2話で、トイレでまりなから隠れているしずかに、上でも引用した「おはなしがハッピーを生むんだっピ」と無思慮に言い放ちます。
 7話では、殺したまりなに化けて、彼女の家族の輪に交じりますが、そこで繰り広げられているまりな両親の醜い言い争いをまるで理解せず、酔っぱらって心にもないことを口走ったまりな父に、その言葉の意味を取り違えたまま「行きたいっピ パパのところ!!」と返事をして、まりな母の神経を逆撫でます。
 このようにタコピーは、「おはなしがハッピーを生む」と言いながら、その場でどんな話題が出ているのか、相手が何を言っているのか、相手が何を思っているのか、そんなことを一切斟酌せずに、自分の思ったことを反射的に口走っているだけなのです。

 これは他のキャラクターも同様です。
 たとえばしずか。
 日々に絶望している彼女は、助けたタコピーの言葉にもほとんど取り合わず、機械的に返事をしているのがほとんどです。
 また、衝撃的なシチュエーションの直後ということも差っ引かなければいけないのかもしれませんが、タコピーがしずかを殴り殺した直後、タコピーに対し、彼の言い分をほとんど聞かずに、しずかを殴り殺したタコピーを称賛し、その帰り道で東に出会ったときも、彼が理解できているかどうかを気にかけず、淡々と状況を説明し、咎める東の言葉も心に響かず、ただ自分の思うことだけを口にしています。

 たとえばまりな。
 しずかに話しかけている彼女が、しずかと「おはなし」をしようとしているのではないのは明白ですが、2022年、高校一年生の彼女も、話しかけてくるタコピーに対して基本的に邪険に扱い、まともな会話をしていません。母との会話も、彼女と言葉を交わそうとしているのではなく、ただ彼女を激高させずにやり過ごそうと言葉を並べているだけです。

 たとえば東。
 母から認められることを切望する彼は、自らをいい子であろうと強く律し、クラスのいじめられっ子であるしずかへ(母の面影を感じるしずかへの恋心もあって)積極的に話しかけますが、まりなが殺されるまで彼の言葉がしずかに届くことはなく、彼の独り相撲のようなものでした。

 以上のように主要キャラクターたちは、言葉を交わしていても、それが「おはなし」と呼べるような対話ではないことがしばしばです。
 「ハッピーを生む」ような「おはなし」とは、別にそこで大事なことが語られる必要はありません。誰かの心を強く動かす必要もありません。ただ、相手の話を聞き、その話を受けて自分の言葉を返し、そしてまた相手がその言葉を受けて話をする。そのような、自分の言葉に対して相手が反応してくれる、自分の言葉を相手が聞いてくれる、そんな実感を得られる言葉の応酬。それが対話であり、「おはなし」です。
 話の中身ではなく、私はあなたが今そこにいることを認めていますよ、一人の人間として見ていますよ、あなたを一人にはしませんよ、と伝えられるメッセージによって、「おはなしがハッピーを生む」のです。
 なのに、彼らには、そのような「おはなし」がないのでした。
 「ハッピーを広める」ことを目的とした者から始まる物語にもかかわらず、「おはなし」がないためにここにはハッピーがなく、彼女や彼は孤独に苛まれているのでした。

 しかし、これをまだ未成熟な彼女や彼だけの責に帰するのは無体なことでしょう。なにしろ彼女や彼は、一番身近な人間であるところの親から、まともな「おはなし」をされていないからです。

 しずかと共に暮らす母が登場するのは、チャッピーが保健所に連れ去られた直後のほんの数カットですが、そこでの彼女は、おざなりな嘘と、別れた元夫に対する愚痴と、同伴相手(=まりなの父)への体面を鬱陶しそうに口にするだけで、我が娘の顔に浮かぶ絶望にはまるで気づきませんでした。
 まりなの母は、夫がキャバクラ(=しずかの母の職場)に通い詰めるようになったからか、もともとの性質もあったのか、精神の平衡を崩し、自身の感情のはけ口をまりなに求めていました。「ママのおはなし 聞いてくれるよね…?」と言いながら、彼女と「おはなし」をする様子はなく、ただ己の言いたいことを吐き出すだけになっています(それは、2022年の彼女の姿からもわかります)。
 東の母は、兄である潤也と同じくらい東が優秀であれと、彼に懲罰的な教育を施し、テストで満点をとれなければおやつをあげず、彼の罪悪感を煽り、同時に彼の自尊心を削り取るような言葉遣いで、自覚的にか無自覚にか、東を責めていました。

 親の因果が子に報い、ではありませんが、コミュニケーションのロールモデルとしての親がこのような態度であれば、彼女や彼の「おはなし」が不全であることもしょうがないのかもしれません。

 ですが、この作品の中でも、少ないながらも、「おはなし」が成立したと言いえるシーンがあります。
 たとえば1話。地球に来て六日目の夜、ハッピー道具が全然役に立たずいまだ自らの手で彼女を笑顔にできないで困っていたタコピーは(チャッピーと一緒の時は笑顔になっていたしずかを見ていたからなおさら)、それでもなんとかしようと必死に言葉を重ねていました。ハッピー星に招待する、もっといろいろなハッピー道具を見せてあげる、そんな言葉はしずかには響きませんでしたが、「しずかちゃんをものすごい笑顔にしてみせるピ!」という言葉だけは彼女の琴線に触れたようで、タコピーは初めて彼女から柔らかな笑顔を向けられたのでした。
 おそらくこれは、ハッピー星やハッピー道具というものについては「魔法」と表現したようにありえないものと切って捨てていたしずかでしたが、そんな彼女を誘う甘言のようなものよりも、ただ「ものすごい笑顔にする」という強い言葉自体に、彼女に向けられた思いを感じ取ったのではないかと思います。そこのタコピーの言葉に、自分を笑顔にしてくれようとしている、自分を認めてくれている、という感覚を得て、しずかは少し笑顔に、ハッピーになったのではないでしょうか。

 また、まりな殺害から死体発見までの短い蜜月の間、タコピー、しずか、東の三名は、まるで普通の子供のように、普通の友達のように遊び、夏休みの計画を話し、笑顔で過ごしていました。この時の三名の会話は、なんてことのないものです。でも、その会話は、相手の話を聞いて、それに反応して、という「おはなし」として成り立っています。

 そして、本作最大の「おはなし」のシーンは、本作で最も真人間と思しき、東の兄・潤也によるものでしょう。
 9話のラストで、しずかから自分の代わりに自首してくれるよう頼まれた東が呆然自失としたまま家に帰り、翌早朝から家を出ようとしたところで、潤也に見つかりました。続く10話冒頭、東の想像の中の潤也は、東を見下し、罵り、詰り、追い詰めますが、現実の潤也は東と視線を合わせ、「何でも聞くから」と優しく笑いかけるのでした。初めはその言葉を信じられず、自分の妄想に閉じこもろうとした東でしたが、「俺がいるだろ」から続く潤也からまっすぐ自分に向けられた優しくも強い言葉に、心の殻も崩れ、今の状況を告白しました。
 しっかりと弟の目を見て、「何でも聞くから」「俺がいるだろ」と、私はあなたを認識しています、あなたのことを受け容れます、というメッセージを発した潤也。この直後に東によってなされた告白を最後まで聞き取ったことこそ、この物語でもっとも象徴的な「おはなし」だと言えるでしょう。

 潤也との「おはなし」によって対話を知った東は14話で、しずかとまりなに向ける感情で葛藤するタコピーの話を聞いたうえで、タコピーに対して感謝とを述べました。

3人で遊べて楽しかった 生まれて初めてあんなに学校が楽しみに思えた それは
友達だったからだ お前は能天気で馬鹿でゴミだけど優しい
(下巻 p140,141)

 これが最後の対話となるであろうことを予期して、タコピーに対して心からの言葉を伝えた東でした。

 そしてしずか。
 東京で行方をくらまし、一年近くを経て北海道に帰ってきた彼女はタコピーを見つけて、正論を吐く彼を無視し、溜めに溜めた心の澱を、精神的にも物理的にもぶつけました。

一体どうすればよかったって お前言ってんだよ!
(下巻 p159)

 それに対してタコピーの言葉は「わかんないっピ…」。まったく役に立たない回答です。当然しずかはそれを否定しますが、それでもタコピーは必死に言葉を紡ぎます。

ごめんね ごめんねしずかちゃん 何もしてあげられなくてごめんっピ
でもいっつも何かしようとしてごめんっピ しずかちゃんのきもち ぼく全然わかんなかったのに ぼく…
いっつもおはなしきかなくてごめんっぴ 何もわかろうとしなくてごめんっピ しずかちゃん
一人にして ごめんっピ
(下巻 p161,162)

 気持ちをわからなかったこと。話を聞かなかったこと。何もわかろうとしないまま何かをしようとしたこと。そして、しずかを一人にしたこと。
 タコピーは、今まで自分がさんざん「おはなし」をしたいと言っていたのに、その「おはなし」に必要なことを全然していなかったことに気づいて、それを詫びるのでした。それらがあってこその「おはなし」であり、それらこそが「ハッピーを生」むのです。
 それに気づいたタコピーがしずかに謝罪をし、改めて「おはなし」をしようと告げたのでした。

 すべてのハッピー力を費やしてもう一度だけハッピーカメラを使い、時を戻したタコピー。そこはもう彼の姿がない、元のままの2016年でした。
 しかし、そこには変化がありました。
 東は兄と「おはなし」をするようになり、(兄にか母にかはわかりませんが)度の合わなかった眼鏡を買い換えてもらえるようになりました。
 そしてしずかとまりな。しずかがまりなに虐げられる構図は変わりませんが、なぜかノートに描かれていたちゃちなタコピーの落書き。それを目にした二人は、存在しないはずの記憶を二人して思い出し、存在しないはずのものについて言い合います。

「…壊滅的にバカっぽい 何もできなそう ごみくそ… ごみくそってかんじ」
「でも… 何かしそう いっつもなんか… ついてきそう」
「それでさ ずーっと話しかけてくる 絶対帰んないの バカなのに」
「何もしてくれないのに 喋ってばっかで… だって おはなしが ハッピーを生むんだっピ」
(下巻 p187,188)

 しずかはまりなの言葉を聞き、まりなはしずかの言葉を聞き、いもしないはずの何かを共通の話題にして言葉を重ねていく。

「え 何泣いてんのおまえ きも」
「まりなちゃんこそ」
「何 なんだよこれ」
「わかんないよ…」
(下巻 p189)

 わけのわからない喪失感の共有。彼女たちは、お互いしか知らないものをお互いに確かめ合うように、「おはなし」をしたのでした。

 二度目の2022年。そこには、気のおけない友達としてどうでもいい会話をしているしずかとまりながいました。なんてことのない、日常の「おはなし」。それこそが、「もう一人じゃない”きみたち”が きっと大人になれるように」とタコピーが遺したものだったのです。

 ということで、『タコピーの原罪』の「おはなし」についてのお話でした。
 「おはなし」がハッピーを生む。そして、「おはなし」は相手を一人にしないこと。相手をしっかり認めること。とすれば、ハッピーの第一歩とは、誰かから自分を認められることなのでしょう。



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