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漫画の話です。

『タコピーの原罪』タコピーの「原罪」とはなんだったのか、あるいは善悪の意識の萌芽の話

 原罪。それは、祖であるアダムが犯したために、その子孫である人間が生まれながらにして負っている罪。
 
 キリスト教を元とするこの言葉をタイトルに関する問題作が、先ごろ完結巻を刊行しました。

 連載中から更新のたびにネットを沸かせ、ジャンプ+の最多PVも獲得したとかなんとか。
 デフォルメの効いた愛らしい絵柄と裏腹の、いじめや虐待などの苛烈な描写。無知な子供たちが織り成していく破滅への絨毯は、読む者の目を背けさせると同時に次の展開を待ち遠しくさせずにはいられませんでした。

 さて、そんな本作ですが、タイトルにも関されている「原罪」とは何を指すのか、ここには議論の余地があります。作中で「原罪」について直接言及されたことは一度もなく、読者は自身で考えるしかないのです。
 作中でその言葉が登場するのは二度。
 一度目は、第4話の最終ページ。タコピーがまりなをハッピーカメラで撲殺した衝撃でカメラの機能が壊れ、もう時間を戻すことができなくなったとき。
 二度目は、第15話の最終ページ。タコピーが自分の全ハッピー力と引き換えにカメラの機能を一度だけ復活させ、自身の存在を消すとともに、写真を撮ったその時間へ戻ったとき。
 素直に考えれば、この二つのうちいずれか、あるいは両方が示す事柄が、タコピーの「原罪」を指すと言えるでしょう。

 しかし、「原罪」とは冒頭に示したように、人間が生まれながらにして背負っているとされる罪のこと。タコピーが人を殺したこと、あるいは時間を戻せなくなったこと、もしくは自身の消滅と引き換えに時間を戻したこと、という、彼(?)がした行為そのものを指して「生まれながらにして背負っている」と表現するのには違和感が否めません。

 なので、見方を変えてみましょう。「原罪」の主語を、人間でなくアダムで考えてみるのです。
 すなわち、人間が生まれながらにして背負っているものではなく、アダムが楽園を追放される契機となった出来事を考えるのです。
 アダムが楽園を追放されることになったのは、蛇にそそのかされたイブと共に、神から口にすることを禁じられていた知恵の木の実を食べたから。そうして善悪の知識を得たから。
 この、「善悪の知識を得た」という点に着目してみたらどうでしょうか。

 「宇宙にハッピーを広めるために旅をしている」タコピーは、その目的通り、ただひたすら人をハッピーにするためだけに行動していますが、その内面からは暴力的な概念、人を害する意識というものがすっぽり抜け落ちています。いえ、抜け落ちているというより、最初から存在していないのでしょう。

死は等しく平等に定められ 覆す手段は存在しない
いかなる叡智の道具であっても 死者を蘇らせることは適わない
(上巻 p44)

 とあるように、死という生命の不可逆の終りについては知りつつも、

知的生命体”人間”
きみたちの言葉で自ら命を絶つことを
”自殺”というらしい
なぜそんな行為が存在するのか なぜきみが自殺をしてしまったのか ぼくにはわからない
(上巻 p42)

誰かの命を奪うことを
”殺す”というらしい
(上巻 p148)

 とあるように、「自殺」や「殺す」といった概念は、「らしい」という伝聞で表しているように、地球で初めて知るのです。
 この特質はタコピー個人のみならず、ハッピー星人一般に言えることであるようです。第13話で、ハッピー星のハッピーママのセリフ(「殺すってなに…」)や、ハッピーママの手を強く払いのけたタコピーの行為が「強く触る」と非暴力的に表現されていることから、それが推測されます。

 そんなタコピーが、第4話でまりなを殴り殺した時、瞬間的に彼が抱いたのは、まりなを殺したことへの罪悪感というよりも、取り返しのつかないことをしてしまったという焦燥です。まりなを殺したことではなく、ハッピーカメラが壊れたせいでそれがもう不可逆の事象となったことにこそ、恐れを感じているのです。
 この段階では、まだタコピーに善悪の分別はありません。まりなを殺した自身のこと、行為を悪と感じている様子は見られないのです。いえ、しばらく経っても、まだ彼は善悪を理解してはいません。それゆえ、殺したまりなに化けてもぐりこんだまりなの家庭でも、混乱を起こしていました。
 しかし、この出来事、まりな殺しこそ彼の善悪の意識の萌芽でした。

 第7話で、今にも壊れそうなまりなの母から悲しみと絶望をぶつけられて、彼女からまりなを奪ったことを実感したタコピーは初めて罪悪感を覚え、まりなの両親、そして自ら殺めたまりな自身に許しを請いました。
 ここで生まれた罪悪感は、確かにタコピーに負の意識を植え付けました。しかしそれはまだ、自分の中にしかない悪。外に悪を見出してはいません。
 彼がはっきりと自分の外に悪を見つけるのは、消された記憶を思い出してから。1回目(2022年)の地球では、しずかではなくまりなと最初に出会い、彼女の願いを聞き届ける形でしずかを殺そうと、大ハッピー時計を使うためにハッピー星へ戻りました。そこで、掟を破ったことを理由にハッピーママから記憶を消され、ハッピー星から追放されたのですが、その記憶を全て取り戻した時、タコピーは自覚したのです。

久世しずかを殺さなきゃ 完膚なきまでに命を壊さなきゃ すべて思い出した
久世しずかのせいで まりなちゃんはパパを 東くんを 大事なママを失った
殺さなきゃ 殺さなきゃ 久世しずかは悪だ
(下巻 p130)

 ここでタコピーは明確に、しずかを悪と断じています。

 時系列を整理すれば、1回目の地球行でまりなと生活していたタコピーがその記憶を失い(第13話)、2回目の地球行で記憶を失ったまままりなを殺し(第4話)、まりなの母とのやり取りで罪悪感を得て(第7話)、一緒に東京に行ったしずかから殺意を向けられたことで記憶を取り戻し(第11話)、しずかこそ殺すべき悪だという意識を持ったのです(第14話)。
 2022年にまりなと別れるときにタコピーが口にした「殺せばいいんだっピね!」には、殺すことに対する罪の意識も悪の意識もかけらも感じられません。そもそも「殺す」の意味を理解していません。「”小4のとき”に”久世しずか”を”殺す”?ってすれば」の「?」を見れば一目瞭然です。
 それが、現に「殺す」ことをし(その対象は、皮肉にも小4のまりなでしたが)、それが引き起こす状況や感情を体感し、それを2022年のまりなに引き起こさせたしずかを「悪」だと断じることとなったのです。

 まりなを殺すことさえなければ、タコピーが悪を心から実感することはなかったでしょう。
 その意味で、まりな殺しこそタコピーが善悪を知った契機。タコピーにとっての原罪なのです。

 そして、悪を、知恵を知ったタコピーの思考はそこに留まりません。

あの時ひどいことをしていたまりなちゃんは あれは悪くなかった? それに
ぼくは? まりなちゃんを殺したぼくは―…
あのとき
ぼくにパンをくれた”しずかちゃん”は――
(下巻 p131、132)

 単に誰かを何かを悪として決めつけるだけではなく、そこに連関する他の事象にまで考えを及ぼし、芽生えたばかりの悪の絶対性に疑問を持ちます。
 悪とは何だ。悪をなされた人間は悪ではありえないのか。悪を罰そうとする自身は悪でありえないのか。悪をなす人間は悪でしかありえないのか。
 相対的な視点。客観的な視点。メタ的な視点。
 それこそ善悪を判断するのに必要なものです。タコピーは悪を知り、その対極としての善を意識し、されにそれらが独立してそれ単体で存在しているわけではないと気づくのです。そのような葛藤こそ、善悪の意識であり倫理の誕生だと言えるでしょう。

 改めて、冒頭の問いに戻りましょう。タコピーの「原罪」とは何か。
 それは、彼が生まれながらにして背負っているものではなく、彼が善悪を知るきっかけとなった出来事。すなわち、まりな殺し。
 その意味で、第4話のラスト、まりなを殺した直後に「タコピーの原罪」とタイトルが大書されていたのは、最初は一旦否定したものの、実はきわめて正しいものだったと言えるのでしょう。
 そして、第15話のラスト、タコピーが全ハッピー力を使ってハッピーカメラを使い時間を巻き戻した直後に書かれた「タコピーの原罪」は、第4話でのそれと比べて、文字がしずかに隠れてよく読めないようになっています。これは、タコピーが善悪を知ることになった契機であるまりなの死をなかったことにし、善悪を知ったタコピーそのものが消滅したことで、彼の原罪もまた世界の裏側へフェードアウトしていったもの、と考えるのはうがちすぎでしょうか。

 以上、『タコピーの原罪』の中のタコピーの「原罪」。それについての試論でした。



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