ポンコツ山田.com

漫画の話です。

『チ。―地球の運動についてー』理論の「美しさ」の意味と価値の話

新刊の発売された、魚豊先生の『チ。ー地球の運動についてー』。先ごろにはマンガ大賞2021の第2位も受賞している、今ノリにノっている漫画の一つだと言えるでしょう。

『チ。』は、15から16世紀にかけてのE州はP王国で、地動説の証明に命を懸けた人々の物語。この作品のポイントの一つは、主要な登場人物たちの重視する価値観が「美しさ」であるという点です。
ルネサンス華やかりしこの時代は、腐敗の進むC教といえど、いまだその力は強大で、その教えに背くことをおいそれと口にはできません。口にするどころか、研究なんてしてしまった日には、破門か拷問か、あるいは処刑か。いずれにせよ、ろくでもない目に遭うことは確定です。しかし、それでも一部の人間たちは、教えに反するようなことをしないではいられません。
だって、世界があまりにも美しいから。
なのに、聖書で言われている世界が美しくないから。
聖書の教えによれば、神が創った二つの世界の内、人間が暮らす、月より下の世界すなわち地上は不完全ですが、月より上の世界すなわち天界は、永久不滅で、終わりも始まりもない完璧な円環運動を永久に行うとされています。なのに、現実に夜空を観測すれば、天体なかんずく惑星の動きは円運動からかけ離れ、逆行さえする。それをなんとか修正しようとすれば、星の動きはどんどん複雑になり、時間の経過と観測技術の向上で積み重なっていく記録は、さらなる複雑化を要求する。なんとかできあがった運行図は複雑怪奇に絡み合っているのに、まだ説明できないことがあり、そしてなによりそこには、美しさがない。

この宇宙像ではそれぞれの惑星が個別に計算される。
共通の”秩序”を持たないバラバラで混沌とした動きは…合理的に見えない。
そういう観点から言えば――
あまり美しくはない。
(1巻 p41)
【地球を中心とした天体運行図】
f:id:yamada10-07:20210507205449j:plain
(1巻 p39)

この作品に登場する背教者たちは、美しさにこそ神の御業を見出します。地球を中心に置いて考えだされた運行図はあまりにも複雑ですが、悪魔のささやき、すなわち、太陽ではなく地球が動いているのだという言葉を与えられると、そこには奇跡のように調和した天体の動きが降臨するのです。円しか存在しないそれは、誰の目にも誤解はなく、合理的で、そしてなにより美しい。

(1巻 p63)

全ては連鎖して調和してる? 全宇宙が一つの秩序に則って動く?
全部ウソだ。 惑星はバラバラなんだ。
そうだ。 そうじゃなきゃ。
あんな巨大な天が、 一つの発想で、
こんなに合理的に、 動いてしまったら、
この説を、
美しいと、思ってしまうッ!!
f:id:yamada10-07:20210507205752j:plain
(1巻 p60~63)

どちらがより単純か、わかるだろう?
(中略)
この石箱は、 人類に説いている。
あの天界は崇高で広大で荘厳で医大で、 そして、
地球と、 調和してる――と。
(2巻 p151,152)

こうして、天体の運行に関する悪魔的転回を得た彼らは、社会と板挟みになりながらも、この説を完成させようとするのですが、実は、美しさ、単純さ、合理性に価値を見出すのは、なにも天に魅入られた彼らだけではありません。
最近読んだ本に、こんな記述がありました。

ところで、その理論が興味深いものかどうかを、どうやって見分けたらいいんだろう? 数学の歴史を振り返ってみると、数学者たちが研究の判断基準にしてきたことが二つある。「役に立つか」っていう基準と、「美しいか」って基準。

(p188)

数学者たちも、理論の価値に美しさの基準を置いていたというのです。もちろん、疑問反論は出てきます。「そもそも美しさってなんだよ」と。
著者もそれには自覚的です。

でも、「美しいか」っていうのは、もっとぼんやりしていて客観性に欠ける基準だ。そもそも、数学の理論が美しいってどういうこと?
(p188)

そして、著者は「美しさ」について、こう答えます。

「~を除いて」という言葉は美しくない。何ごとも「例外つき」はしっくりこない。表現が単純で、その対象となる範囲が広ければ広いほど、奥深い何かに指先でそっと触れられるような感覚を与えてくれるもの。数学の美しさはいろいろな形をとるけれど、どんな形も、研究対象の複雑さと式の単純さとの魅力的な関係の表れだ。美しい定理はつつましく、捨てるところがなく、勝手に例外がつくられることもなく、無益な差別もしない。簡潔だけれどたくさんのことを語り、いくつかの単語で核心を表し、完璧に向かってまっしぐら。
(略)
昔より複雑だと考えられる新しい理論が、実際には現実にぴったり合っていて、しかも現実と調和しているとわかれば、いっそう心が揺れ動くのではないだろうか。
(p191 強調は引用者による)

表現が単純。勝手に例外がつくられない。簡潔。現実との調和。
まさに、『チ。』の中で彼らが、地動説に美しさを認めざるを得なかった点です。
1巻で登場した、地動説に命を懸けた少年ラファウの言葉を借りれば

f:id:yamada10-07:20210507233657j:plain
(1巻 p17)

なのです。
そんな彼だからこそ、既存の天動説について納得がいかず、天文を諦め神学を学ぼうとしていたのですが、地動説という「美しい」考えに出会ってしまったために、それまでの「合理的」な生き方を捨ててでも地動説の証明のために生きようとしたのです。

余談ではありますが、このような、単純さに価値を見出す考え方は、他にも「オッカムの剃刀」(オッカムの剃刀 - Wikipedia)や、サン=テグジュペリの『人間の土地』の中の一節、「完成は付加すべき何ものもなくなったときではなく、除去すべき何ものもなくなったときに達せられる」が思い出されます。いずれも、不要なものをそぎ落としていったものの方が価値が高いということを言っています。数学や天文にとどまらず、論理学や工学などの分野においてもあてはまることなのでしょう。

しかし、単純さとは誤解を許さない強固さを持つだけに、相容れないものにとっては許せないものになってしまうのでしょう。それが起こす悲劇と、それでもなお美しさのために命を賭ける物語。それが『チ。』なのです。



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。