初学者に優しい自然科学の本を読むのが好きなんですが、先日読んだこの本。
早稲田大学の文系学生相手に長年、自然科学概論の教鞭をとっていた著者が、近代から現代、16世紀から20世紀までのヨーロッパ科学者らの著書を取り上げています。一冊当たりに割いているページはそれほど多くはありませんが、科学による世界の捉え方がどう変わっていったのか、そして科学者自身は世界をどう見ていたのかなどを通史的に見ることができ、なかなか面白かったのですが、その中で、私がこのブログで何度となく書いている『チ。』について通じるものが書かれていました。それがすなわち、タイトルでも書いたように、世界が美と調和のもとにあるという、科学的というよりもむしろ審美的な、科学者らの姿です。
以下、その点をまとめてみました。
コペルニクスによる知の革命
ヨーロッパ近代科学の幕開けとしてこの本の劈頭を飾るテーマは、古代アリストテレス以来連綿と受け継がれてきた世界の見方の大転換、すなわち宇宙論です。
万学の祖として君臨してきたアリストテレスの知の体系は、1000年にもわたり、ヨーロッパにおけるものの考え方をあらゆる面で支えていました。彼の主張していた天動説はその最たるもので、地球を中心にこの世の中は構成されており、それゆえの人間中心主義、そしてそこから派生する、地にいる人間のはるか頭上に天界が存在しそこに神がおわすという宗教観も生まれていきました。
しかし、コペルニクスの『天球の回転について』からニュートンの『自然哲学の数学的原理』(いわゆる『プリンキピア』)にいたる、16世紀半ばから17世紀後半にかけての宇宙観の、まさにコペルニクス的大転回により、人々の常識は覆されていったのです。
それについて、本書に第一に紹介されている『近代科学の誕生』(バターフィールド 1949年)ではこう述べられています(なお、特に断りのない限り、以下の引用はすべて上記作品からのものです)。
この革命は、科学における中世の権威のみならず古代のそれをも覆したのである。つまり、スコラ哲学を葬り去ったばかりか、アリストテレスの自然学をも壊滅させたのである。したがって、それはキリスト教の出現以来他に例を見ない目覚ましい出来事なのであって、これに比べれば、あのルネサンスや宗教改革も、中世キリスト教世界における挿話的な事件、内輪の交代劇に過ぎなくなってしまう。
(p3 『近代科学の誕生』よりの引用文)
美と調和と神と
そのコペルニクスの宇宙論、すなわち地動説は、必ずしも「科学的」な根拠によって主張されていったわけではないようなのです。
周転円に代表されるいくつかの幾何学的技法は巧みかもしれないが、それらを組み合わせて描いていた宇宙は醜悪な”怪物”のようだと嘆いたわけである。そこから、コペルニクスは、そもそも神がそうした美と調和を描いた世界をおつくりになったはずがないと法王に語りかけたわけである。
そこで、宇宙の中心に太陽を据え、その周りを地球を含め、月を除くすべての天体が回っているとすれば、簡潔な図式が再現でき、惑星のふらつきをも見かけ上の相対運動として説明できるとコペルニクスは考えた。地球は不動のものという固定観念の放棄は人間の素朴な実感からは著しく乖離するものであるが、それを犠牲にしてでもコペルニクスは美と調和の復元を唯一絶対の真理として優先したことになる。
(p8)
どこかで聞いたような話ですよね。
そう、もちろん『チ。』です。
全ては連鎖して調和してる? 全宇宙が一つの秩序に則って動く?
全部ウソだ。 惑星はバラバラなんだ。
そうだ。 そうじゃなきゃ。
あんな巨大な天が、 一つの発想で、
こんなに合理的に、 動いてしまったら、
この説を、
美しいと、思ってしまうッ!!
(『チ。 地球の運動について』1巻 p60~63)
この感覚は決して『チ。』の中だけの空想のものではなく、現実にそう感じて天動説を覆そうとした人がいたのです。
もちろんコペルニクスだけではありません。
「ケプラーの法則」や「ケプラー式望遠鏡」で名をはせた、『宇宙の神秘』の著者ケプラーも、同様の感覚を抱いていたようです。
ケプラーは教室で学生に幾何の説明を行っているとき、突然、各惑星の軌道の間に、目には見えないが正多角形(対称性の高い図形)が骨組みとして組み込まれているのではないかという着想を得た。
(中略)
球と正多面体はもっとも対称性の高い、美しい立体図形である。だからこそ、神はこうした美と調和の具現化として太陽の周りに六個の惑星を配置したと解釈したケプラーの思いは、当時の思想に照らし合わせれば自然で説得力のあるものであったろう。
(p11,12)
このように、科学者たちは「美と調和」こそが世界のあるべき姿だと考え、そこに神を見出していたのです。
科学と神の同居
さて、ケプラーの『宇宙の神秘』は1596年、16世紀末期に出版されたものですが、上記のように、この段階でまだ神と科学は平然と同居しています。神がつくりたもうたものが美しくないわけがない。その思いは、むしろ世界の見方を変えるための原動力だったのです。
『チ。』でも、(5巻の時点で)地動説を証明しようとしている者達も神の存在は疑っていませんしね。
では、この神と科学の同居がいつまで続くかという、思った以上に長く続くのです。
たとえば、『方法序説』を著した、17世紀に活躍した哲学者デカルトは、倫理学と同時に自然哲学の分野でも活躍し、『哲学原理』という著書で、慣性の概念を発表しています。
アリストテレス以来、静止している状態が物体の本来の状態であり、物体が運動をし続けているのはその間中ずっと力が働いているからだという運動論が長きにわたり常識となっていましたが、それを真っ向から否定したのがデカルトです。
自然の第一法則 いかなるものもそれ自らに関しては常に同じ状態を保つ。かようにして、一度動かされたものは常に運動し続ける。
(p27 『哲学原理』よりの引用文)
今でこそ慣性は自然科学の常識となり、一度動いたものが放っておけばそのうち止まるのは、重力や摩擦などでそのエネルギーが失われるからであるとわかっていますが、それをデカルトは、17世紀に喝破していたのです。
しかしそんな彼も、この世界がそもそも動いている大元の、普遍的な原因は紙以外にないと断言しており、神による宇宙の創造は、当たり前の前提としてありました。
そして、近代科学論の劈頭がコペルニクスなら、その掉尾はニュートンです。前述の『プリンキピア』にて、慣性の法則、運動の法則、作用反作用の法則を発表し、人間サイズの科学観としては現代まで通用する根本的な法則を見つけた彼ですが、その彼をして、神は万物の中心であったのです。
太陽、惑星および彗星という、このまことに壮麗な体系は、叡智と力にみちた神の神慮と支配とから生まれたものでなくてはありえようはずがない。〔中略〕また諸恒星の諸体系がそれらの引力によって相互に落下しあうことのないように、神はそれらの体系を相互に茫漠として果てしない隔たりに置かれたのである。この(全智全能の)神は、世の霊としてではなく万物の主としてすべてを統治する。
(p36,37 『プリンキピア』よりの引用文 中略は著者による)
神は仮想的にだけ遍在するのではなく、実体的にも遍在するのである。なぜならば、実体なしでは効能は保てないからである。
(p37 『プリンキピア』よりの引用文)
ニュートンにとって神は、現に世界中に力を及ぼす力の持ち主だというだけでなく、現に実体をもって遍在する存在だというのです。現代の多くの日本人にとってみれば、現代科学の大いなる礎を作ったニュートンの発言としては非常に意外なものに映るでしょう。というか、実際私は意外でした。非常に重要な三法則を述べた著書の中で、ここまで堂々と神の存在を謳っているのにだいぶ驚いたものです。
近代以後の科学と神
時代がぐっと下って19世紀。ダーウィンが著した『種の起源』は、宗教家から矢のような批判を浴びましたが、その矢を浴びせかけたのは宗教家にとどまらず、ケルヴィン温度で有名な科学者ケルヴィンらも含む科学者も加勢していたというのです。
20世紀の、というより人類史上通じての大科学者アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と、量子力学の批判に神を登場させたのは有名ですが、ここでの神様はあくまで比喩的な存在であり、彼が真に神によってすべての物質(量子)の場所が決定づけられていると主張していたわけではありません。ことここにいたってようやく、神が自然科学の根本にいるという軛からは解き放たれたようです。
むろん、現代でも敬虔なキリスト教徒の科学者は当然いますし、神が存在していないことの証明がされているわけでもありませんが、まあそれはおいといて。
このように、世界の美しさの根底に神の存在を見出すのが『チ。』でしたが、それは現実の多くの科学者たちも同様で、しかもかなり長い間その態度は変わらなかったのです。
もちろん私達だって、日常のふとした瞬間に、まるで神様が用意したとしか思えないような美しさに出くわすことがありますが、そこに感じる神は、万物を統べる唯一絶対なるものというより、自分のちっぽけな感覚から超越したところにある大きなもの、非人格的な何かだと思うのではないでしょうか。
科学という、ある意味で、そのような観念的なものを排除して理論を構築していく世界においても、それを考える人間には、神を感じる心根があるというのは、なんというか、人って感じですね。
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