前編からの後編です。
後編では、前編で述べた漫画におけるサッカー描写の難しさを踏まえて、『GIANT KILLING』ではどんな特徴が見られるかを書いていきたいと思います。
- 作者: ツジトモ,綱本将也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/04/23
- メディア: コミック
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漫画におけるサッカー描写の難しさは、おおまかに二点。コートの広さと選手の多さ。そして、フィールド上で360度どの方向へも動くボールと選手です。この二点を有するために、サッカーというスポーツの描写には、他のスポーツに比べ試合展開が不明瞭になりやすいという問題が生じるのです。
では、『GIANT KILLING』はいったいいかなる描写でもって、それらを防いでいるのでしょう。
1,フィールドの目標物
前編で私は、サッカーのフィールドは広いために、選手やボールがどこにいるのかわわかりづらくなると書きました。ならば単純に、今どこにいるのかわかりやすくすればいい。つまり、フィールド上、またはスタジアム内で位置を変えないラインやゴール、あるいは監督やコーチ、特定の観客などの、不動の目標物をコマ内に描くことで、相対的に選手やボールの位置がはっきりさせることができるのです。
(33巻 p16)
(33巻 p25)
一枚目には広告の看板と、見えづらいですがタッチラインが、二枚目には交わるタッチラインとゴールライン、そしてコーナーフラッグが描かれています。たったこれだけで、フィールド上での選手やボールの相対的な位置が見えてきます。
一枚目がフィールド中央でなく右サイドであること、二枚目が相手陣地の右サイド深めの位置であることが、目標物のおかげでわかるのです。
ためしに、それが一切ない画像を見てみましょう。
(夕空のクライフイズム 5巻 p53)
フィールド上でのポジショニングが不安になるくらいわかりません。
もちろんあらゆるコマは、前後のコマとの関係性の中にありますので、一つのコマに目標物となるものが描かれていなくても文脈で判断できる場合は多々ありますが、コマ内にある方がわかりやすいことは明らかです。
2,効果線
『GIANT KILLING』では、ボールや選手の動きに沿った効果線を入れることで、試合全体がいまどちらの方向へ進んでいるのかを表しています。
(35巻 p176)
これがあることで、ボールがどう動き、それに対してハウアーがどういうポジショニングをしているかがよくわかります(背後にあるゴールも、ハウアーのフィールド上での相対的な位置を表しています)。
(35巻 p177)
さらに、先に引用したコマの効果線の方向と併せて考えると、このコマでボールの動いた方向が効果線の向きと異なっていることで、ハウアーが左を向いてパスを後ろにはたいたこと、ボールが志村からのパスとは違う(ハウアー-ゴールの軸から傾いている)方向へ動いたのが非常に明確になっているのです。
試合(動き)の流れの基準となるような効果線を描くことで、それに沿う流れ/横切る流れが見えてくると言えます。
(34巻 p182)
(34巻 p183)
この2pの流れなどは、1と2の両方が実によく活きたシーンです。石神がボールを奪ったコマは、コマ右奥にコーナーフラッグが見えることで彼の位置が自陣半ばほどの右サイドだということがわかりますし、次の画像では、前線のガブに送られたボールが、一旦椿へマイナスに折り返され、そして前へ走るガブにワンツーで再びパスが出たことが、効果線のおかげで明瞭に見えてきます。
3,俯瞰とアップの連携
前線へのロングパスや大胆なサイドチェンジなど、フィールドを大きく使うプレイはサッカーにおいてしばしば見られるものですが、その際にボールがどのように動いたかを一望的に描くためには、俯瞰的あるいは鳥瞰的な構図にならざるを得ません。また、相手のボールを奪ってカウンターを仕掛ける時など、フィールド上のどこに各選手がいるかというのが重要な情報になってきますが、それらもやはり、先の構図の絵によって表現しやすいものです。
しかし、そのような構図の弱点は、全体を描くことに秀でるために、逆に個々の細かい動きの描写が犠牲になってしまうことです。長所と短所は表裏一体というやつですね。
(32巻 p99)
少々極端ですが、こんな感じの構図ですね。誰がどこにいるのか、何をしたいのか、これではわからない。
では、この構図のメリットを生かしつつ、デメリットを補うにはどうすればいいか。
まあ簡単な話ではあるのですが、俯瞰構図で細かいところが見づらいなら、そのすぐ後に細かいところ、つまり重要な選手のアップを描けばいいということになります。
(35巻 p151)
大阪の片山から畑へ、逆サイドへ大きく振ったパスが、その軌跡や選手の位置がわかるように俯瞰で描かれていますが、その次のコマの流れで、ボールを受けた畑とプレスに行った赤崎が描かれています。また、この画像の直前にも、パスを出す片山と彼へプレスに行った世良が描かれています。こうして、俯瞰構図を補うように、あるいはアップの構図(=狭い範囲しか描けない構図)に包括的な連続性を与えるために、俯瞰構図とアップの構図が続けて描かれているのです。
(34巻 p156)
この画像もそうですね。俯瞰で描かれた構図の前後に、パスの出し手の村越と、受け手のガブのいるコマを配置し、誰が、どんなパスを、どのような体勢で出したかというのを明確にしています。
4,選手の心理描写
純粋に画面構成の面以外にも、『GIANT KILLING』では、試合中に選手が何を考えているかということを細かく描いています。
パスを出すときの気持ち。受けるときの気持ち。ドリブルを待ち構えるときの気持ち。ドリブルで攻め込むときの気持ち。先制点を叩きこんだときの興奮。相手の猛攻を凌ぎ切ったときの安堵。退場者が出て10人で戦わざるを得なくなったときの切迫。終盤になっても逆転の糸口を掴めないときの焦り。
選手の感情は、彼らがどのような動きをしたからそう感じたのか、次にどのようなことをしたがっているのかを教えてくれます。それらは、試合の展開について具体的な描写をするわけではありませんが、選手の行動により詳細な意図を与え、結果的に試合状況の意味もはっきりしてくるのです。
(35巻 p149)
相手の起点を潰したいという夏樹の意図が見えるために、司令塔である志村へ積極的にプレスへ行った夏樹の動きがより具体的になります。ただ漫然とした動きではなく、目的のある、意思のある動きなのです。一つ一つは細かいことかもしれませんが、それらが積み重なっていくことで、試合がただの場当たり的なボール蹴っ飛ばしでなく、22人(+α)の意図が複雑に交錯する知的なゲームとなるのです。
以上、思いついた4点を、試合展開をわかりやすくしている特徴として挙げてきましました。無論のこと、これ以外にも様々な面でわかりやすさを生み出す特徴があるでしょうし、他の作品との比較によって見えてくるものもあるでしょう。また思いついたら何か書きたいと思いますが、今日のところはこの辺で。
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