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漫画の話です。

『子供はわかってあげない』あまりにも自然だったLGBT+明大の話

本年8月20日公開予定の、映画『子供はわかってあげない』。
agenai-movie.jp

本日は、主人公の一人であるもじくんのお兄さん(?)である、明大の登場する場面が公開されました。
明大と言えばご存知のとおり、兄ではあるけど女性として生きているキャラクター。作中で明言はされていませんが、手術を受けて性転換もしたと思われます。そんなキャラクターを誰が演じるのかなとは、映画化を知った時から少し気になっていたんですが、千葉雄大氏、すなわち男性俳優が演じるようです。
漫画から実写化するにあたって、どのような味付けにするかは映画側の手腕だと思いますので、容貌はあまり女性に寄せず、服装は女性もの(日傘をさしながら叫んでいるシーンのシャツが右前であったり、そのインナーがフリルのついているフェミニンなものであることが見受けられます)という塩梅自体になんら思うことはありませんし、マイノリティの役はマイノリティが演じなければならないとも思いません。ただ、そういう演出なんだなと思うだけです。

それより今回、私が上記引用記事に接して愕然としたこと。それは、原作において、明大がLGBT+であることに、私があまりにも気に留めていなかったことです。もう7年も前(!)の作品ではあるものの、大好きな作品なので折に触れて読み返したりブログに書いたりもしていましたが、明大がLGBT+であることに、特段の意味を認めていなかったのです。
誤解のないように言いますが、ここでいう「特段の意味を認めていない」とは、明大がLGBT+であることがストーリーに対して何ら寄与していないということです。もじくんが黒髪であったり、サクタさんがショートヘアであったり、水泳部の顧問のあだ名が「な」であったり、二人の好きなアニメが「魔法左官少女バッファローKOTEKO」であったりすることと同程度に、明大の性にまつわる事情はストーリーに影響を与えていません。顧問のあだ名が「の」だろうが、好きなアニメが「魔法大工少女ローズマリーKUGIKO」だろうがストーリーの転がり方に大差ないように、明大がシスジェンダーであっても、ストーリーは大同小異で進んでいたはずです*1。田島先生がどのくらい意図して明大のキャラクターを作り上げたかはわかりませんが、明大がLGBT+である意味は、その程度なのです。
ただ、今あらためて思うのは、そのような特徴を「その程度」レベルで描くことの難しさです。

今から7年前、LGBT+にまつわる社会的な空気感がどのようなものだったか、正直私は覚えていませんが、物語の中で「性転換をした兄」を登場させるというのは、物語の中で登場した銃はいつか撃たれなければならないのと同様に、それが物語の中で何らかのキーになる必要があるくらいには、インパクト大の特徴であるはずです。にもかかわらず、明大はその特徴を前面に押し出すことなく振舞っています。自分が男性から性転換をした女性であり、男性と恋人関係にあることについて、とても自然。殊更大仰にせず、荒立てず、ただそういうものとしてあるのです*2
その自然さは、弟であるもじくんや、初対面であるサクタさんもそう。
明大をサクタさんに紹介するもじくんは、「どんな…って お兄さんなんだけどあまりお兄さんぽくない人というか… なんというか その…」と、説明に困ってはいますが、困っているのはそれだけ。明大がLGBT+であることに照れや恥ずかしさを覚えてはいません。サクタさんも、お兄さんと聞いていたのに女性が出てきたことに驚いてはいましたが、驚いたのはそれだけ。以降はごく普通のやり取りをしています。
たしか『性転換から知る保健体育』に、「性別や性自認性的志向などが、血液型や星座と同じくらいどうでもいい世界になることを望む」という言葉(手元に本がないため大意)がありました。

血液型や星座がちょっとした話のタネにはなっても、O型だから職業が制限されるとか、てんびん座だと東京に住めないみたいな差別を受けないように、性にまつわるものが何であれ、それによって社会的な差別を受けないという世界になればいいという主張であり、私もそれに賛同するものですが、まるでその世界が少し顔を見せたかのような、『子供はわかってあげない』です。明大のあり方が、まるで特異でないのです。
そういえば同じ田島列島先生の『水は海に向かって流れる』にも、異性装をしているキャラクターが登場します。そのキャラクターの場合は、占い師として活動するときだけ女性の格好をする、というもので、特にそれをする理由等も説明されませんの、性自認等にまつわる何かなのかはわからないのですが、同作でもそれはそういうものと当たり前のものとして受け入れられています。
その自然さ。いい意味でのどうでもよさ。
なんというか田島先生の描く物語には、「私にとって大事なものは私が決める」という素直な、でもなかなか持つことのできない強さがあるよう感じられます。お兄さんがお姉さんになってようが、実父が宗教団体のトップから逃げ出した人間だろうが、超能力を使えようが、そんなことより、描かれるべき大事なものは他にある。それをさも「当然でしょ?」と言わんばかりに、というよりそういうそぶりすら見せずに、なんでもなく、いっそ不自然なまでに自然に描いている。そんな、研ぎ澄まされた天真爛漫とでもいうような、物語の筆致。すげえ。
一刻も早く、田島先生の次の作品が見たいなあと願う所存でございます。


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*1:もちろん、物語の厚みという意味では、明大がLGBT+であったことは大きく影響を与えています。詳しくは、過去記事 『子供はわかってあげない』交換によって生まれる人と社会のつながりの話 - ポンコツ山田.com参照。

*2:恋人に対して、子供を残せないことを申し訳なく思っている場面がわずかにありますが。