アニメ化が決定した『その着せ替え人形は恋をする』。やんややんや。
将来頭師*1になることを夢見るインドア系ボッチ・五条新菜(ごじょうわかな)が、オタク趣味全開なアッパー系ギャル・喜多川海夢(きたがわまりん)とひょんなことから出会い、海夢のコスプレ作成を手伝うことになった、というのが物語の始まり。雛人形製作・雛人形鑑賞・雛人形との会話を趣味とする新菜は、周囲とまるで話が合わないことを自覚してその趣味をひた隠し、高校に入学して以降一人も友人ができないのですが、ひるがえって夢海は、アニメや漫画、ゲームやエロゲといったオタク趣味を、ひけらかしはしないまでも特に隠しもせず、それで周囲の友人には受け入れられている。そんな彼女のことを新菜は、「自分とは真逆の世界で生きている人」と表現するように、非常に対照的な二人なのです。
そんな二人を中心とする物語ですが、この作品にしばしば登場するテーマがあります。それは「自分の思い込み」です。
あの人はこうに違いない。自分がこうしたらああに決まってる。
一人で抱えるネガティブな思い込みも、それはあくまで思い込みに過ぎず、実際に確かめてみないと本当のところはわからない。そんなシーンが何度も登場します。
当然というべきか、その代表的なものは主人公の新菜です。
新菜が他人に自分の趣味を隠すようになったのには、幼少期のショッキングな体験が強く影響していました。「のんちゃん」という少女に、「男の子のくせに女の子のお人形が好き」なことを「気持ち悪い!」と強く罵倒されたことがあったのです。
(1巻 p1)
以来彼は、自分の趣味、好きなものを、外に漏らさずに生きてきました。男の自分がこんな趣味をもっていることを知られたら、気持ち悪がられるに違いない。みな、のんちゃんのように自分を嫌うにきまってる。そう思っていました。
ところが6巻で、海夢に連れられクラスメートらとカラオケに行った際、海夢によってさらっと、新菜が彼女に化粧をしていること、新菜の家が雛人形製作をしていることをばらされてしまい、彼はひどく狼狽しました。自分がそんな人間だと知られたら、気持ち悪がられるにきまってる、と。
しかし意外なことに、その場にいた誰も新菜のことを気持ち悪がったりせず、普通のこととして受け入れ、それどころか、彼の家業である雛人形製作に畏敬の念すら表明しました。
これに新菜はひどく驚くのです。
……あれ?
なんで誰も気持ち悪いって言わないんだろう…
だって…
だって俺は…
俺は
……——俺
のんちゃんにしか気持ち悪いって言われてない…
ような…
(6巻 p175~178)
新菜は、自分の好きなものをひた隠しにしていた根源が、実は幼少期のたった一度の経験でしかないことに思い当たったのです。
もちろん、幼少期だから、一度しかないからとるに足らないということにはなりませんが、すべての人が幼児ののんちゃんと同じように振舞うということにもなりません。ですが、のんちゃんから受けた傷が、子供だった新菜にはあまりにも大きかったために、彼はその傷を癒すことも出来ぬまま、人形趣味と一緒に隠し続けていたのです。
なのに、高校のクラスメートは、あまりにも軽く、あまりにも当たり前に、新菜の趣味と技能を受け入れました。そのとき彼は初めて、十年近くもわたって自分を縛り続けてきた思い込みを自覚したのです。
思い込みが怖いのは、自分自身では、それが思い込みであると気づけないことです。当人にとっては、自分の主観的な思い込みでなく、客観的に当然の事実としか捉えられません。それは思考の前提であり、疑うという発想さえ起こらないものなのです。
だから、自分の思考にはそれがどっしと横たわり、自分の行動の方向を規定します。自分では、自分の意思で前を見て方向を決めているつもりでも、視線を向けることのない足元には思い込みが根を張って、視線の方向を限定してしまっているのです。
新菜にとって、「男の子が人形好きなのは気持ち悪い」という命題は当為のものとされ、長らく彼の行動様式を縛り続けてきたのでした。
6巻では、この新菜最大の思い込みの自覚の前に、その前振りとなるようなシーンもありました。彼が海夢のバニーコスプレを作っていたとき、どうしてもうまくいかない箇所があったのですが、それについてコスプレ衣装店の店員にアドバイスをもらったら、たちどころに問題は解消されました。アドバイスとあわせて店員さんは言いました。
決めつけたり思い込むと
どうしても視野が狭くなって 気付けることにも気付けなくなるからね
仕方ないよ
(6巻 p129)
これは、コスプレ製作に悪い意味で慣れてしまった新菜が、それゆえに袋小路に入り込んでしまっていたことを指摘するものですが、半可通による思い込みが方法論を狭めてしまうことを端的に表しています。
また同じく6巻に登場した女装コスプレイヤー・姫野あまねは、かつて恋人ができたときに女装趣味を(新菜がのんちゃんにされたように)全力で否定されて以来、その趣味を他人に言うのが怖くなった時期があったのですが、今回コスイべに初めて参加したところ、新菜や海夢をはじめ、声をかけてくらた人がみな、否定的なことを言わなかったことに、拍子抜けと、安堵と、なにより啓蒙を感じました。
一度言われただけで皆が同じことを言うなんて限らないのに
決めつけて… よくないよね…
(6巻 p85)
新菜はあまねのこの独白を聞き、その発言に感じ入りつつも、自分自身に思い込みがあることには気づけませんでした。上記のカラオケのシーンでは、このあまねの言葉を思い出しはするのですがね。やはり、それだけ自分の思い込みには目が向きづらいのです。思い込みそのものが思い込みであると指摘されないことには、まず思い当たれません。
さて、そんな新菜周り以外にも、登場人物が自分の思い込みに気づくシーンが出てきます。
謎のコスプレイヤージュジュ編で登場した、ジュジュこと乾紗寿叶(いぬいさじゅな)は、イ●スタに投稿された海夢のコス写真を見て、当初は「本気でコスしてない」と「決めつけていた」ものの、海夢のコスプレのスタンスを聞いたら、彼女が自分の一番好きなタイプのレイヤーであるとわかり、それまでの自分の(嫉妬まじりの)思い込みを悔いました。
(3巻 p42)
また、彼女の妹の心寿(しんじゅ)は、姉のように自分もコスプレをしたいとずっと思っていましたが、自分がしたいコスプレは自分には似合わないし、そんなコスプレをしたら姉に嫌な思いをさせてしまうと思い込み、だったらしない方がいいと自分の気持ちを押し殺していました。
ですが、話を聞いた新菜は心寿を説得して、彼女のために衣装作成や化粧をし、彼女が満足いくコスプレを作り上げました。そして、後で姉とコスプレ写真を見返しながら会話をしていた心寿は、自分を説得する中で新菜が言ったように、自分の姉が自分の好きを否定するような人間ではなかったとわかりました。
胸の内は目に見えないので
分からないだけで
誰にでも色々あるんですよ
(4巻 p101)
これがその新菜の言葉です。思い込みの危険性を指摘し、心寿に思い込みの檻から一歩抜け出すよう背中を押せる彼なのですが、一方で、岡目八目というか、頭の上のハエというか、やはり自分の思い込みについてはなかなか見えるもんじゃないんだなというのがここでもわかります。
以上、見てきたように、思い込みや決めつけというのは自分一人で気づくこと、ましてや直すことは非常に難しく、他人からその存在を(意識的にであれ無意識にであれ)摘示されることで初めて自覚できるものです。である以上、思い込みや決めつけから抜け出るためには、他者との交わりが不可欠だと言えるでしょう。まさにその思い込みを原因として、ずっと孤独な日々を過ごしてきて新菜ですが、偶然海夢と交流が始まったことで、人とのつながりが生まれ、ついには自分の思い込みに気づくに至りました。
新菜の言うように、「自分の好きなものややりたい事を人に言うのって怖い」もので「勇気が必要」ですが、それを有り余るほどに持っている海夢が、新菜を孤独の世界から引っ張り出したのには、やはり「好き」という力は強いのだなと思わされます。
最新刊では、具体的なコスプレよりも、新菜の明るくなった学生生活が描かれてすごくいいなと思いました。オタクにやさしい陽キャとか、オタクの夢かよ。
ところで、新菜にはまだのこっている思い込みがあって、それは、海夢が自分と付き合うなんてあるはずがない、というもの。
付き合ってるなんて
絶対ない
俺なんかがそんな
おこがましい
(7巻 p9)
クラスメートから見ればあからさまな海夢の好意ですが、当の新菜はそんなことはあり得ないと頭から否定しています。これもまた彼の思い込みなんですが、果たしていったいどんな形で彼の蒙は啓かれるんですかねぇ(ニチャア
続刊が楽しみです。
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