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漫画の話です。

『その着せ替え人形は恋をする』連写ポートレートと五条への同一化の話

 アニメも評判のまま幕を閉じ、新刊も出た『その着せ替え人形は恋をする』。

 9巻では、太った海夢、一眼レフを買った海夢、そのカメラでレイヤーとしてではなくカメコとしてコスイベに行く海夢と、相も変わらず楽しそうです。
 で、その9巻で私が一番ぐっと来たのは、海夢が買ったカメラで五条が彼女を撮るシーン。カメラのあまりの性能の良さにテンションブチアゲた五条が、そのテンションのままに海夢のポートレートを撮りまくるのですが、6ページ、13コマにわたって、会話を続けながら海夢のポートレートをコマ送りのように描く手法が、とても印象的でした。

 ポートレートはカメラのファインダー、すなわちそれを覗いている五条の視界と重なっていて、コロコロと変わっていく海夢の奔放で開放的で魅力的な姿を、シャッターを押して切り取っています。五条の目にはシームレスに変転していく海夢の姿が映っていますが、彼がシャッターを切った瞬間、そこにはある一瞬の海夢だけが写っています。
 もとより漫画は、任意のシーンの任意の瞬間を任意の角度で切り取り、それを並べていくものですが、カメラという、まさに「任意のシーンの任意の瞬間を任意の角度で切り取」る道具を構えたキャラクターによって、任意に切り取られた一瞬を13コマ連続で並べることは、読み手をそのキャラクターに強く同一化させます。海夢の表情にときめき、動きに翻弄され、仕草に心揺さぶられる五条に、です。五条が海夢が不意に向けたキス顔に心臓を跳ねさせたのと同様、読み手もまた彼女にキュンときてしまうのです。
 
 また、このシーンでの会話の表現も秀逸で、ここでは会話と言っても読み手から見えるのは海夢のセリフのみであり、五条からのセリフは紙上に一切書かれていません。海夢と五条はたしかに会話をしているはずですが、五条がなんと言ったのか、正確にはわからないのです。
 いわば、ドラクエの主人公状態でしょうか。相手からの言葉に対しレディメイドの返事を当てるのではなく、自らその返答を想像することで、よりキャラクターとの一体感を持たせる手法です。
 一般的に漫画は、読み手は三人称的に物語を読むよう構成されているものですし、常に一人称として読むことを強制されては重層的な物語を作ることが極めて難しくなりますが、たまにピンポイントでこういう手法を、しかも上述の連写ポートレートと併せて使うことで、読み手を一気にキャラクターへの同一化へと引き込むことができるのです。
 他の人の感想でも、このシーンが印象的だったという話はよく目にしましたが、こういう仕掛けがあることが理由の一つではないかと思います。

 9巻のラストでは、まさかのジュジュの再登場。初期に登場した非常にいいキャラでしたので、あれでもお役御免では悲しいな再登場しないかなと思っていたところですので、とても嬉しい。海夢との恋の鞘当ての布石も(妹の心寿も含めて)おかれていましたからね。その方面でも動きがあるかもしれません。
 また、意味ありげに描かれていた、海夢に対する旭の振る舞いも気になるところ。果たしてあれは、いい意味のものなのか、それとも悪い意味のものなのか。
 早くも10巻が待ち遠しいです。



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