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漫画の話です。

三原和人が描く人と世界のつながり方の話 『はじめアルゴリズム』編

 現在『宙飛ぶバイオリン』を連載中のところ、前作『ワールド イズ ダンシング』のアニメ化が発表された三原和人先生。
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 このタイミングでアニメ化するくらいなら連載を全うさせてほしかった……などと詮無いことを考えたのはともかく、三原先生は『はじめアルゴリズム』、『ワールド イズ ダンシング』、『宙飛ぶバイオリン』と講談社で三本の連載作品がありますが、この連載三作には共通するテーマが伏流していると、常々感じていたところでした。

 数学、能(舞)、バイオリン(音楽)と、毛色の違うテーマを取り扱っているように思える三作ですが、伏流してるテーマとは何か。
 それは、「人は世界といかにつながるか」です。

 一つずつ見ていきましょう。
 まずは『はじめアルゴリズム』。

 数学というお堅いモチーフはそんな哲学的、思索的なテーマとは縁遠そうではありますがところがどっこい、三作品の中で最も多く、人と世界のつながりについて言及されているのが本作です。なにしろ第一話、冒頭の語りから触れているのですから。

我々の仕事は 宇宙の法 その「語り」に耳を傾けることにあります
その声は非常に小さいので 静かに耳を澄まさなければならない 自分自身が法そのもの・・・・となるほど静かに
そこから聴こえた声を 「数」という体系で表現する
その表現を人々は——
数学と呼ぶ
(はじめアルゴリズム 1巻 p1、2)

 これは作中に登場する数学者・内田の言葉ですが、物語の最初の最初において、数学のありようを宣言しているのです。いわく、宇宙の法の「語り」を「数」という体系で表現したもの、それが数学である、と。
 もっと直接的に言えば、宇宙の姿を数の体系で表すこと、それが数学です。
 数の体系とは、数の概念であり、数の操作方法。自然数から整数、少数や分数、実数、さらには虚数と、物と一対一対応する数から、抽象的にしか把握できない数にまで概念を拡張し、四則演算を基準に関数、累乗、微積分等々と操作を複雑にしていく。それらを元にして、世界の姿、世界の在りようを数式で表していくのです。

 主人公のハジメの初登場シーンは、雲の運動や木の枝の分かれ方、水の波紋の伝わり方、トンボの翅脈といった自然の表れを、木の枝で地面に書いたオリジナルの数式で表現している、というものでした。その姿を内田に見られ、「君は数学で何をしたいのだ」と問われると、ハジメはこう答えます。

世界を全部知りたい
(はじめアルゴリズム 1巻  p44)

 世界のすべてを知るための数学なのです。
 
 しかし、人は、世界のありのままに知ることはできません。
 世界の中に切れ目を入れて、あれはヒト、これはイヌ、それは木、あっちは山、こっちは海と、区別する(名づける)ことで、はじめて世界を認識できるのですが、その切れ目の入れ方は恣意的で、絶対的な根拠があるものではなく、いわば人間ごとに、あるいは社会ごとに、文化ごとに決められた勝手なルールです。
 たとえば近代日本で「たぬき・むじな事件」とよばれる裁判がありますが、日本の一地域では区別していた「たぬき」と「むじな」という動物も、動物学という社会では同じものとして扱っている、という形で、世界の切れ目の入れ方の恣意性が如実に表れています(たぬき・むじな事件 - Wikipedia)。
 同様に、数(学)も誰かが勝手に決めたルールです。
 誰かがはじめて「1」を思いつくことで、個別具体的な物事を超えた、抽象的な存在として「数」が生まれました。「1」を端緒とし、自然数が生まれ、足し算引き算が生まれ、掛け算割り算が生まれ、少数が生まれ分数が生まれ、より複雑な概念や計算がすでに生み出された概念と整合性をとるように新たに生み出されていく。
 このルールはとても便利で、複雑になっても十分な整合性をいまだに保ち続けているので、統一的なルールとして世界的に共有されていますが、これはあくまでも恣意的なルールなのです。もはやまったく異なるルールを新たに考えだすことはおそらく今の人類には不可能ですが、それでも原理的には。
 作中ではその点について、「0=1がなぜおかしいのか」という疑問を軸に話を展開しています(92話)。すなわち、「0≠1はこの世界(「体」という四則演算ができる、我々が当たり前と思っている世界)の条件・・なのだ」と。これを語るのは内田の息子ですが、この考えに至った瞬間、「当たり前だと思っていた世界の扉が開いてその外側を見た気がした」と言うのです。

 数学は恣意的なルール。世界のすべてを表す唯一の方法ではありません。それでも、世界を表す形式として最も純粋で、ありのままに近く表せるものの一つであることは間違いないでしょう。テレビの解像度が上がる、すなわち画面の中をより細かく分割することで画像が鮮明になるように、高度に複雑精緻になった数学が表す分節線まみれの世界は、かえってありのままの世界に近似的に近づていくのです。
 複雑になった数学のルールは、複雑ゆえに精緻で、多くの社会で共有されているがゆえに世界の見方を統一的に表すことができます。

「数学って何ていうか 僕が世界をどう見てるのかってことなんだと思うんだよね」
「人間が世界をどう認識してどう表すのか 一番純粋な表現として数学がある」
(はじめアルゴリズム 9巻 p106)

 これは数学が現代社会の発展に深く関与する例として、AI開発の話がされているときの、ハジメとそのライバルである手嶋の発言です。数学とは何かを端的に表す言葉だと言えるでしょう。
 余談ですが、『がらくたストリート』(山田穣)の中にも「数式は現象を記述する言語だろうが」(3巻 p138)というセリフが出てきます。初めてそのセリフに触れた私は妙に衝撃を受け、こうして引用する程度には脳裏に深く刻み込まれたのですが、「現象」を「自然」すなわち「世界」と言い換えれば、ほぼ同じ内容だと言えます。

 改めて、人はいかにして世界とつながるのか、という話に戻りましょう。
 人は直接世界を知ることはできません。ありのままの世界を知ることはできません。未分化の世界に恣意的な分節線を入れて、はじめて理解できるようになります。その分節線の入れ方の一つが、数学。有史以来概念を拡張し、複雑化してきた数学は、その定義の細かさと厳密さ、そして抽象性ゆえに、世界中でもっとも広く受け入れられ、対象をもっとも近似的に表せる言語となりました。
 もう一度言いましょう。
 宇宙の姿を数の体系で表すこと、それが数学なのです。

 と、『はじめアルゴリズム』の話でだいぶ紙幅を割いてしまったので、『ワールド イズ ダンシング』と『宙飛ぶバイオリン』に見る「人と世界のつながり方」はまた別論で。

3/19追記
『ワールド イズ ダンシング』編はこちら。
yamada10-07.hateblo.jp
3/24追記
『宙飛ぶバイオリン』編はこちら。
yamada10-07.hateblo.jp

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