モーニングに掲載された商業デビュー作に衝撃を受けて以来、その単行本化を心待ちにしていた横谷加奈子先生の短編集がついに発売されました。
商業ベースで発表されたデビュー作と2作目はすでに感想を書いていますが、単行本化にあたり、同人誌で発表されていた作品も収録されましたので、あらためて感想を書きたいと思います。 既に読んでいた商業作3作に、初めて読んだ同人作3作、一挙6作品をまとめて読んだわけですが、読んでいる最中いろいろな言葉が頭をよぎりました。
たとえば「後ろめたさ」。
たとえば「疚しさ」。
たとえば「申し訳なさ」。
たとえば「含羞」。
たとえば「空虚感」。
たとえば「疎外感」。
どれもこれもネガティブなワードばかりです。
率直に言って、どの作品にも明るさや前向きさを強く感じることはなく、終始暗さの漂う作品ばかりです。ただ、物語においてそれが悪いだけのものであるはずがなく、だからこそ魅力がある、そういえる作品ばかりでした。
さて、上で列挙した、作品を読んでいるときに脳裏をよぎった単語群。これらに共通するものはなんでしょう。
思うにそれは、自分は他の人とは(悪い意味で)違うという感覚。社会との噛み合わなさ。自分と他人がずれているという意識。登場人物達の振る舞いを見ていると、そういうところを源泉とする印象がふつふつと湧いて出てくるのです。
現在がひどく空虚で、楽しかった過去に縋りつきたくなり、つい当時の自分に似ている(気がした)子供の写真を買うところから物語が始まる「遠い日の陽」。
貧乏暮らしの余命一週間から大逆転で裕福な人生を送る羽目になり、すべてに満たされたがゆえに何も満たされない毎日を送る主人公が、バイト先で苦学生に出会う「富めるひと」。
病的に痩せている女性が好きな主人公が、そのことを秘密にしたまま、病的に痩せている転校生の今の姿を残そうと、できもしない映画製作をでっちあげる「麻子の恋人」。
小学校の聖劇発表会で星の役をしたことから本当に星になってしまい、自分よりもっと星が似つかわしいはずの友人と一緒に生きられなくなってしまった「あなたも星になれる」。
死にまつわる漫画ばかり描いてきた友人の、死後の整理を手伝う「友達の葬式」。
家族で信仰する新興宗教の教祖が言う人類滅亡の日を前にして、一つだけ心残りを抱えている「毎日好きと言えたら」。
周囲の人間とうまくやれないさびしさ。親しいものが離れてしまう悲しさ。自分の好きなものを表にさらけ出せないうとましさ。誰しも一度は抱いたことがあろうそんな気持ちが、物語の中からにじみ出てきます。読んでいるうち、その感情がじわじわと自分の心に浸みこんできて、いつの間にか世界がカケアミの陰影に包まれたような気さえしてくるのです。
そして、登場人物達には出会いがあります。相手は写真の売主だったり、バイト先の友人だったり、病的に痩せた転校生だったりですが、その出会いは、別に主人公の人生を一変させません。周囲との歯車がいまいち噛み合わない中で、少しだけ善いものを示してくれたり、代償的な人助けになったり、ささやかに願いを叶えてくれるくらいで、これで人生がいい方に転がり出す、というものではないのです。
でも、薄暗い世界をほのかに暖かくするこの出会いが、なんと愛おしいことか。人生の道程をふと振り返ったとき、かすかに光るこの出会いが、マイルストーンのように今までの道のりを浮かび上がらせてくれるでしょう。それはきっと、この漫画が残した記憶のように。
とまあ私はこんなことを考えたのですが、人によって何を思うのか、何が炙り出されてくるのか、いろいろと違いそうでもあるので、親しい人間に勧めて、感想を聞いてみたくなる作品ですね。
過去の感想はこちら。
『富めるひと』『遠い日の陽』ひとの抱えるやましさとそれを薄れさせる別の価値の話 - ポンコツ山田.com
男児の写真から始まる「夢のような」読後感の物語 『遠い日の陽』の話 - ポンコツ山田.com
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