中学2年の津乃峰アリスは、同じクラスになった隣の席の少年・星野宇宙が進級早々学校に来なくなったため、なにかと世話を焼くこととなり、宇宙の双子の弟・真理とともに話をするようになりました。宇宙も学校へ来るようになったある日、クラスメートの祖谷が突然意味の分からないことを叫びだし、教室を飛び出しました。後を追った宇宙は、あろうことか、屋上から飛び降りた祖谷を助けようと宇宙自身も宙へ身を躍らせたのです。一緒に後を追っていたアリスらは惨劇を予想したのですが、なぜか彼らの飛び降りた先には、さっきまでは確かに存在していなかったはずの樹木があり、その枝に助けられ二人は無事でした。不可思議な事態に目を丸くしていたアリスに、宇宙は告げます。
「この世界はマンガなんだ」
自分がマンガの主人公だという宇宙。急展開に混乱するアリス。自分たちがマンガの登場人物だと気づいた彼らは……
- 作者: 野田彩子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/08/30
- メディア: コミック
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自分たちが漫画の世界の存在であると知った登場人物たち。キャラクターたちがメタ的に振る舞うネタを挟む作品はいくらでもありますが、それを主テーマに据えて作られた作品というのは、今まであったのでしょうか。
主人公の星野宇宙は、始業式の日に突然気がつきました。この世界がマンガであると。そしてその秘密を、まずは双子の弟の真理に、そしてたまたま隣の席となった津乃峰アリスに、祖谷のダイブをきっかけにして教えます。
彼は彼女に言います。
(1巻 p42)
彼がさす何もないはずの虚空。けれどそこには、気づいてしまえば見えざるを得ないものがあります。
フキダシ。
それは、マンガの世界において、主にセリフ(文字)を他の絵から区別するために描かれる領域。
言われて初めてそれが見えたアリスは驚き、宇宙の言葉を信じつつも、だからと言ってどうすれば、と諦めにも近い形で受け入れます。そしてそれ以降、確かにマンガだと考えないような事態がじわじわと起こっていくのです。
世界がマンガだということは、声や音は聞くものではなく見る(読む)もので、立体に見えているものも線の集合に過ぎない平面で、自分たちの身の回りさえもコマ枠に区切られていて、そしてなにより、描いている存在がいて、読んでいる存在がいるということ。
それに気づいた登場人物は、ある者は開き直り、ある者は絶望し、そしてまたある者は、すべてを知っているかのように振る舞う。
宇宙は自分がマンガの主人公であると知っています。それは、マンガのタイトルが『わたしの宇宙』だから。自分がこの世界はマンガだと気付き、タイトルに自分の名前が入っているのだから、それりゃあ自分がマンガの主人公だろう、と推論するのです。
けれど、彼が主人公だということは、物語は彼を中心に回っているということ。彼の近しい人間ほど、読み手の目に晒されるということ。宇宙はそれに悩むのです。自殺しようとした祖谷も、たまたま自分の近くにいたからこの世界がマンガだと気づき、絶望した。主人公の自分がいるから、周りの人間は平凡に過ごせないのではないか、と。そして彼がとった行動は。その行動が世界にもたらしたものは……。
このような設定の作品が今までどれくらいあったのかは知りませんが、決して多くはないでしょう。前例の少ない中でこのような設定の物語をどのように進めていくのか、私の興味は何よりそこにあります。
自分たちの住む世界がマンガであると知っている、ということを本気でストーリーの中心に据えると、どの程度のメタメタしさをだしてもいいものなのか、そこに正解はありません。漫画として面白い程度、というもう漠然としすぎて嫌になるほどの匙加減です。ギャグに振れても真面目に振れても、どちらもあり。それがそういうものとして、トータルでまとまれば。まとめ方次第で傑作にも駄作にも、どちらにも転びます。
作中での発言からも、そうそう長期連載にはならない節がうかがえますが、次巻かあるいはその次か、いったいどんな結末になるのでしょう。続きが、というより結末が、かなり楽しみな作品です。
イキパラ/わたしの宇宙
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