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漫画の話です。

『その着せ替え人形は恋をする』一目惚れへの五条の挑戦と、今更気付いたものの話

 13巻でコミケでのコスプレデビューを果たした海夢と五条。
 いつもどおり、五条の作ってくれた最高の衣装を着て最高の気分をまとい、囲み撮影の終わらせ時もわからなくなるほどの驚異的な盛り上がりを見せた海夢とは裏腹に、その衣装を作り、第三者からも大好評を得ていた五条は、にもかかわらず、沈痛な面持ちでイベントを終えていました。
 コスプレカメコだけでなく、偏屈と名高い原作者すら心震わせた海夢の立ち居振る舞いと五条の衣装という盛り上がりの裏側にある、現時点で理由の明かされていない五条の落ち込み。この強烈な二面性が、13巻をとても印象深いものにしました。
 その二面性両方に関わるのが今回のコスプレですが、それを作るに至った五条の内心を整理してみたいと思います。

 今回五条が作った衣装は、累計6000万部を超える超人気漫画作品『天命』の、13巻のみに登場する天使ハニエルでした。その存在を海夢に教えられ、単行本裏表紙に描かれた彼を画像検索で見た五条は、一目惚れし、あるいは虜にされ、あるいは支配されてしまいました。

…初めてハニエルを見た時
「この衣装を作りたい」「見たい」と思いました
内容も知らないのに 一目で
同時に 初めて雛人形を見た時の
あの時とは違って
心が 完膚なきまでに叩き潰されたような
「作った物で人の心を動かすとはこういう事だ」と 圧倒的な力を見せつけられたように感じたんだと思います
(13巻 p8,9)

 そして、そんな思いに一瞬で囚われた五条が思ったことは

挑みたかったんです
(同 p10)

 でした。
 幼少期に雛人形の「奇麗」さに「心を掴まれた様な感じ」がして以来、頭師を目指してきた五条は、自分で「奇麗」を生み出すことを目指せど、何かに挑戦するような振る舞いはしてきませんでしたが、ハニエルを目にしたときは、明確に「挑みた」くなったのです。「作った物で人の心を動かす」「圧倒的な力」に。

 それに挑むということは、五条もまた「作った物で人の心を動かす」「圧倒的な力」を見せたいということに他なりません。そしてそれは、これまでとは違う、「自分勝手で乱暴な動機」でした。
 今まで五条は、人形にしろコスプレ衣装にしろ、人さまと競うように作ってはいません。人形は自分のためあるいは将来のため、コスプレ衣装は頼んできた人のために作ってきました。でも、今回は違う。「ハニエルの衣装は自分の為に作」ったのです。
 彼がなぜハニエルにそこまで入れ込んだのかはわかりませんが(一目惚れに理由を問うのも無粋ですが)、とにかく五条は挑みたかった。でも、従前から自分には足りないものだらけだと苦悩しているように、今の自分には「何十年も鍛錬を重ねてきた」司波刻央に敵うはずもなく、「ハニエルを表現しきれ」ない。だから、自分の作るハニエルには海夢が必要だと告げました。

ですが 俺が表現したいハニエルは 
喜多川さんがいれば必ず完成します
今まで撮影してきて表情を見てきたからこそ確信しています
俺はハニエルが見たいです
お願いします 力を貸して下さい 俺の我儘に付き合って下さい
(13巻 p11~13)

 ここまで見てきたように、五条がハニエルのコスプレ衣装を作ったのは、ハニエルという存在を生み出した司波刻央に挑む為であり、それは自分勝手で乱暴な動機だと言い切ります。
 誰かの為でなく、自分の為に作った衣装。そして、その衣装ともにハニエルを完成させるために必要なのが海夢。彼の「自分勝手で乱暴な」思いの成就には、海夢が不可欠なものでした。
 そんな海夢に要求した表情は、非常に困難なもの。

悪魔以外には…カメラには無感情に微笑んで下さい
自分がハニエルに愛されていないと分かるほどにです
でも「それでも構わない」と
虜にさせるように振る舞って下さい
(13巻 p16)

 自分にそんなことができるだろうかと怖気づく海夢に五条は、真正面から目をしっかりと見て、単純でいて力強い言葉で勇気づけました。

 そしてその結果。
 彼の思ったとおり、いえ、おそらくはそれを遥かに超えた形で、海夢は五条の要求に応えました。
 初めこそ、数少ないハニエルのコスプレに目を付けたカメコが十人前後でしたが、まずは現地の人が集まり、そして写真がSNSにあげられてからは爆発的に評判が広まって、あっという間に最大級の囲み撮影となりました。
 五条の衣装に身を包む海夢は、今までは本の向こうからしか笑いかけてくれなかったハニエルが本当に世界に降り立って自分に笑いかけてくれたかのようで、カメコたちは魔法のように魅了されていきます。
「異常だ」
「目が離せない 一瞬も見逃したくない」
「あの子と俺達との間に逆らえない上下関係があるような——…」
「どうして 俺はこんなに あの子の 目線が欲しい」
「生きててよかった」
 魔法というよりは、むしろ呪いでしょうか。

僕はきっとこれから毎年コミケに来る
体中に響く自分の心臓の音とこの高揚感が忘れられなくて ずっと今日を追いかけ続ける
けど
あの子を超える子には出会えない気がする
あの子にとって僕は明日には忘れられるような ここにいるその他大勢の一人なんだろうな でも
それでもいいとさえ思う
(13巻 p110,111)

 呪縛、ですね。

 このように、海夢は五条の指示どおり、見る者を「虜にさせるように振る舞」いました。つまり、五条は見せることができました。「作った物で人の心を動かす」「圧倒的な力」を。
 しかし、にも関わらず五条が、不満、悔恨、沈痛、哀切、後悔、絶望、孤独、あるいはまだ名付けようのない暗い感情を抱いたのは、99話に描かれたとおりです。
 向こうにいる海夢が見えないくらいのカメコの囲みを外から眺める五条は、昔見た海夢の姿を思い返しながら、コスプレ前に自分が彼女に掛けた言葉を思い返します。
「虜にさせるように振る舞って下さい」
 でもその言葉を、海夢が実現させた今になって自ら否定しだし、言葉を隠してしまおうとする影の下には、「なんて言わなければよかった」と続きが生まれているのが見て取れます。
 そして、黒い気持ちの中で微かな思いが泡のように浮かび上がってきました。
「今更気付くなんて」
 と。

 五条の言葉を否定したもの。そして五条が気づいたもの。
 それを、嫉妬や恋心などというのは簡単です。ですが、それだけと捉えるにはあまりにも五条の表情は重く、イベントが終わり二人きりになった後も沈痛なままでいる理由にもなりません。
 じゃあそれは一体何なのか。
 その推論を書くにはこのスペースは狭すぎるので、続きはまた後日。今日のところは、その前提となる、ハニエルに対する五条君の思いのまとめでした。どっとはらい

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