ポンコツ山田.com

漫画の話です。

『その着せ替え人形は恋をする』(哀れにも)本当の意味でハニエルとなった海夢の話

 まだしつこく『着せ恋』の話。五条君の後悔については前回こってり与太話をしましたが、今回はそのときの海夢サイドの話。あのときの海夢て、美しくも悲しい存在だったんじゃねという話。

 海夢を依り代に顕れた「ハニエル」を見て五条は後悔と絶望に打ちひしがれた、と前回書きましたが、五条の心がダークサイドに堕ちようとしているまさにその時、海夢は五条の言葉を支えにハニエルとなっていました。

(13巻 p103~105)
 この流れからシームレスに、後悔と絶望が湧き上がる五条の視点へと変わります。
 ここで、海夢の信頼と五条の後悔がパラレルになっているのがとても面白いんですよね。なぜって、これがパラレルで描かれていることで、ある構図がやはりパラレルに浮かび上がってくるからです。
 その構図とは、「愛する悪魔に手が届かなかった哀れな天使」という、溝上が評したハニエル像。このハニエル像が、『天命』の中に描かれている(とされる)ハニエルと同時に、その衣装に身を包んだ海夢にもなぞらえることができるのです。

 『天命』と『その着せ替え人形は恋をする』、両方の13巻冒頭にあるモノローグは、

彼が連れてくるのは
【死】のみだ
愛を求めたところで
返ってくる訳がないだろう
(13巻 p1)

 というもので、これを溝上は「ハニエルを見る俺達有象無象と…ハニエルに対しても言っている」と解釈していました。
 天使であるハニエルは神に仕える者ですが、天界に侵入した悪魔を目にして以来、それに心を奪われ神への服従心を失い、天界を追放されました。人間界に堕ちたハニエルは、愛と美を司るという言葉どおり、会うものすべてを虜にしますが、それらの心など欠片も斟酌せず骸に変えていきます。

 人間はハニエルを愛しても、ハニエルから愛は返ってこない。
 これが『天命』で断片的に描かれるハニエルと人間の関係性であり、五条が海夢に指示したとおりのものです。「自分がハニエルに愛されていないと分かるほどに」「無感情に微笑んで」、「「それでも構わない」と虜にさせるように振る舞って下さい」というやつですね。

 そして同様に、ハニエルは悪魔を愛しても、悪魔から愛は返ってこない。
 これについて、溝上の言葉以上の説明は作中にありませんが、少なくともそういうことになっている。人間とハニエルの間にある非対称性が、ハニエルと悪魔の間にもあるというのです。

 そしてさらに同様に、海夢は五条を愛しても、五条から愛は返ってこない。
 少なくとも、海夢がハニエルになっているこの瞬間は。

 上で引用した画像のように、海夢は自分が愛するキャラクターの衣装に身を包んでいるその時に、それを作った人、すなわち五条の望むとおりに振舞えているかと不安になりますが、まさにその五条から掛けられた言葉を支えに己奮い立たせています。普段彼女がまき散らせている激熱ながらも浮ついた感情と違い、冷静ながらも深く深く思うその気持ちは、愛と呼んで差し支えないでしょう。
 でも、海夢が五条を愛を向けているその時に、五条から海夢へ愛は向けられていない。彼が抱いていたのは、「ハニエル」の実在を目の当たりにして実感した、本当に彼(女)から愛を向けられることはないのだという絶望でした(私の前回の記事を踏まえれば、ですが)。ここでの二人の間にも、残酷なほどの非対称性が立ちはだかっています。
 それゆえにこのとき海夢は、「愛する悪魔に手が届かなかった哀れな天使」であると同時に、「愛する五条に手が届かなかった哀れな海夢」だと言えるでしょう。

 だから溝上は、そんなハニエル=海夢を「可哀そうに」と言った。
 海夢が自身を「哀れな女」を思っていたかと言えばそんなことはないし、溝上が海夢と五条の関係を知る由もないのですが、「でもそう・・じゃなきゃこのハニエルは完成しなかったし ここまで人の心打たなかった」とまで口にした彼には、「そう」である何かを感じ取れていたのでしょう。
 『着せ恋』はキメ絵の説得力が強い作品ですが、このエピソードでのハニエルは出色の出来栄えです。読者も無意識にであれ、人間/ハニエルハニエル/悪魔=海夢/五条の関係性を読み取っていたからこそ、作中に描かれる海夢=ハニエルの無感情な微笑みに、作者の純粋な画力以上の凄みを感じ取っているのだと思うのです。
 そりゃあ何周もしちゃいますよね、このエピソード。たぶん13巻だけで6、7回は読み返してる。

お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。