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漫画の話です。

『その着せ替え人形は恋をする』五条の二つの後悔と、現実になってしまった「手の届かないもの」の話

 13巻での初コミケ、海夢のハニエルコスプレが大いに会場を沸かせた中、その衣装の制作者である五条は、一人浮かない顔をしていました。

 その表情は「浮かない」どころではなく、沈痛や悔恨や、いっそ絶望と言ってもいいほどのもの。
 ハニエル=海夢とそれを囲むカメラマンたちを見ながら、目から光を失くして、彼は一人昏い思いに沈みます。

(13巻 p108,109)
 観衆を文字どおり虜にしたハニエル=海夢の振る舞いや表情はこの巻の盛り上がりの最高潮ですが、それと同時に、海溝のように深く落ち込んだ五条の内心の描写は、物語に強い二面性を生み出し、印象をより強烈なものにしました。

 となると、ここで誰もが疑問に思うであろうことは、この五条の後悔の中身です。

 彼はなぜ「虜にさせるように振る舞って下さいなんて言わなければ良かった」などと思ったのか。
 彼は何に今更気づいたのだろうか。

 この答えを、自分が(無自覚であれ)恋する海夢が遠い存在、手の届かない存在だと気づいたから、と言うのは簡単です。実際、p106での回想2コマ(7巻での読モ撮影シーンと、8巻での麗様コスで壇上に上がっているシーン)は、両方とも五条が海夢が自分とは別次元にいることを思い知らされる(と感じる)シーンですから、その手の感情がないことはないでしょう。

(13巻 p106)
 でも、それだけだというにはその感情を描く布石がなく、何より、自分が全力を尽くして作ったハニエルについて何も触れないのはあまりにも不自然です。海夢を遠い存在だと思うにしても、それを思ったのが彼女がハニエルとなっているこの瞬間である意味が存在するはずです。
 これまでの五条や海夢の描写、そしてハニエルがいかなるものとして描かれているのかを踏まえて、単行本未掲載の雑誌最新話を読まないまま、五条のこの内心を深掘り、あるいは与太話をしてみたいと思います。

ハニエルのコスプレが生まれるまで

 そもそも冬コミハニエルの衣装を作ることになったのは、造形物のあるキャラクターでしたいコスプレはあるかと海夢に問うたところ、彼女がハニエルと答えたからで、きっかけは海夢でしたが、それまで知らなかったハニエルをネットの画像検索で見た五条は、一目でハニエルに心を奪われました。そして、ハニエルから感じた「作った物で人の心を動かす」「圧倒的な力」に挑みたいと思ったのです。それをして五条自身は、「自分勝手で乱暴な動機」と表現しました。
 でも、自分だけではハニエルを表現しきれない、表現するには喜多川が必要だと、「お願いします 力を貸して下さい 俺の我儘に付き合って下さい」と頭を下げたのでした。
 なんとか完成したハニエルの衣装を着た海夢によるコスプレは、想像を絶する結果を生みました。幾重にも広がる巨大な囲みの中心で、カメラを向けられるハニエルは、「自分がハニエルに愛されていないと分かるほどに」「無感情に微笑み」、でも「「それでも構わない」と虜にさせ」たのです。

(13巻 p115)

手の届かない天使ハニエル

 五条はその様子を、囲みの外側から見ていました。彼の指示を完璧にこなした海夢に、彼は「ハニエル」を見たことでしょう。
 ここで「ハニエル」とカギカッコをつけたのは、ただハニエルの格好をした海夢、ということではなく、五条が挑むべき、いわば理想像としての「ハニエル」である、ということを含意させるためです。彼が己自身を賭すようにして作った衣装と、それを着た海夢。その結果降臨した、彼の追い求めた理想像。その意味での「ハニエル」です。

 そもハニエルがどういう存在かと言えば、悪魔に心を奪われ天界から追放された、愛を司る天使です。絶世の美貌で人間の心にたやすく踏み込みながら、その背中に白い羽はなく、かわりの黒い羽織は悪魔の羽に憧れてまとったものだけれどまるでそうは見えない、「どんなに望んでも自分ではどうする事も出来ない なりたい姿になれない」「惨めで 哀れで いじらしい」存在。この表現は旭によるものですが、『天命』の作者・司波刻央の友人の漫画家・溝上将護も「愛する悪魔に手が届かなかった哀れな天使」と表現しており、ある程度的を射たものであるようです。
 ただし、この表現は第三者的な、『天命』作品世界を俯瞰した読み手が言えるもので、『天命』作中でハニエルに直接接した人間たちは(あるいは作品を俯瞰できず没入しすぎてしまった読者も)、ハニエルに群がり、周りの人間が彼女に殺され自分もすぐに殺されるであることが分かっていながら、逃げずに笑いを浮かべて、目の前に天使様がおわす奇跡に感謝するほど彼女に魅了され、支配されます。
 ハニエルが登場する『天命』13巻の冒頭には、以下のようなモノローグがあるとされます。

彼が連れてくるのは
【死】のみだ
愛を求めたところで
返ってくる訳がないだろう
(13巻 p1)

 これが作中(単行本中)に描かれるのは96話の冒頭、すなわち、まさにハニエル(となった海夢)が登場する本巻(=13巻)の冒頭であるわけで、二つをリンクさせるようストーリーの展開をけっこう長めのスパンで練っていたんだろうなと唸らされますがそれはともかく。
 このモノローグを溝上は、「ハニエルを見る有象無象」に対して言っている、と考えています。心を奪われ、支配され、虜になった人間たちは、ハニエルにいくら愛を求めようとも決して返ってくることはなく、ハニエルはひたすら一方通行の、手の届かない、次元の違う存在であるとしているのです。
 ハニエルとはそういう存在。
 そして五条も「ハニエル」をそういうものと捉えていたはずです。なにしろ、以下のような指示を海夢にしていたのですから。

悪魔以外には…カメラには無感情に微笑んで下さい
自分がハニエルに愛されていないと分かるほどにです
でも「それでも構わない」と
虜にさせるように振る舞って下さい
(13巻 p16)

五条にとっての海夢

 ここで、五条から見た海夢について改めて考えましょう。
 前述のとおり、そしてこれまでのストーリーで描かれてきたとおり、五条は海夢を、自分からは遠い存在だと考えています。
 そもそも第1話で「住む世界が違う人」(1巻 p16)、「自分とは真逆の世界で生きている人」(同 p20)と彼女を評しており、関係が進む中で、彼女にも自分と同じところがあるのだとわかりもするのですが*1、コスプレやモデルをしている海夢の姿を目の当たりにするたびに、自分との差を強く感じています。
「皆が憧れるような いい意味で近寄りがたくて 手が届かない」(7巻 p54)とは、海夢が読モをするファッション雑誌の編集者の言ですが、五条もこの言葉に納得しています。おそらく、彼女の内面ではなく外面、精神ではなく能力に触れる場面で、そのような感情を喚起されるのでしょう。
 憧れ。手が届かない。そんなハニエルとの共通点を持つ海夢だからこそ、五条は自分の作ったハニエルの衣装を着てくれるよう懇願し、「ハニエル」が冬コミに降臨しえたのです。

実在してしまった「ハニエル」に何を見るか

 さて、海夢の助力を得て「ハニエル」は顕現しました。彼が一目見て惚れこみ、支配された二次元の中のハニエルが、自身と海夢の手によって、理想である「ハニエル」として現れたのです。
 五条は何度も『天命』を読み込み、「ハニエル」を追い求めました。五条が形にしたそれは、偏屈で有名な原作者の司波刻央の心すら打っており、彼と比肩しうるか、そこまでいかずとも、彼の友人で同じくハニエルのファンである溝上(もちろん海夢のハニエルコスプレに驚嘆している)と同レベル程度には理解が深まっていたと考えていいでしょう。
 そうすると、五条もまた思っていたはずです。「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」と。
 そして、そう思ったまま顕現した海夢の「ハニエル」を見て、心から実感してしまったと思うのです。「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」と。

理想の実現と希望の消滅

 手が届かないものを作りたいと思って生み出しそうとしたハニエルは、実際に生み出されて目の前に「ハニエル」として現れたら、本当に手が届かないものなんだと心の底から思い知ってしまった。それは、他ならぬ、手が届かない存在であるところの海夢を依り代に現れてしまったから。
 理想は思い求めるべきものではありますが、それが現実には叶えられない限り、理想ではないもの/状況が現実として存在しているということでもあります。「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」ような存在が理想だとしても、その理想的存在が叶えられない限りは、「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」こともないかもしれない、という希望を持ちうるということです。理想と現実の自家撞着のような折り合いとでも言いましょうか。
 でも、その理想的存在は叶えられてしまった。こうして彼は、「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」存在は、本当にその通りの存在なのだと痛感してしまったのです。
 五条自身も、海夢が手が届かない人間だと心の底から思っていたわけではないでしょう。でも、理想の「ハニエル」が生まれてしまったことで、手が届かないハニエルの依り代となった海夢もまた手が届かない人間なのだと、両者が補い合うようにして彼の絶望的な感情を強めてしまった。そう思えるのです。

そして答えへ

 これが、二つの疑問の内の二つ目の答え。
 彼は何に今更気づいたのだろうか。
 それは、「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」存在は、本当にその通りの存在なのだということ。

 この答えが、一つ目の疑問の答えにもつながります。
 彼はなぜ「虜にさせるように振る舞って下さいなんて言わなければ良かった」などと思ったのか。
 それは、そんなことを言った、すなわち、そんな指示を海夢にして、理想の「ハニエル」が現れたために、「「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」存在は、本当にその通りの存在なのだということ」に気づいてしまったから。

 これが、二つの疑問に対する、13巻まで読んだ時点での私の仮説です。
 話が進めばまったくの見当違いで終わる可能性もありますが、今までずっと裏表紙を飾っていた五条が、初めて背中を向けて何も表情(感情)を見せていないというのは、今回の件が今までにない決定的な出来事であることを象徴するようで、とても印象に残っています。
 13巻が思った以上に深刻な後味を残す話になって、正直驚いています。今後どういう方向に行くにせよ、見逃さないわけにはいくまいて。

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*1:「その人にもやりたくても出来ない事や 上手くいかない事 失敗する事もあって 俺と同じ気持ちだったり」(4巻 p100)