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漫画の話です。

『銀の匙』内面を見てほしい八軒と御影の共通点の話

またぞろ『銀の匙』のお話。

最新刊の10巻で、豚肉ファンドで作ったウィンナーを学内の即売会で販売した八軒たち。商品として初めて出品したウィンナーの価格設定に四苦八苦したものの、なんとか完売にまでこぎつけました。
ですが、その際に購入者らが何気なくもらした言葉が、八軒の心に思いもよらず影をさしました。

「おいしいかな?」
「ベーコンがおいしいからこれもきっとおいしいと思うよ。」
「エゾノーだから大丈夫でしょ。」
(10巻 p135)

「エゾノーだから大丈夫」
これ自体は、自分が通う学校を信頼している証の言葉ですから、言われて喜びこそすれ、落ち込むようなものではありません。けれど八軒は「そっか… 俺たちが作ったから売れたんじゃなくてエゾノーブランドだから売れる……のか?」と、自分らの努力に水を差されたような気持ちになりました。もちろん直後に、「先輩方の築き上げてきたものってでけーんだな…」と、先人らへの畏敬の念を抱いてはいるのですが、いくらか気持ちが落ちたことは確かです。
エゾノーという名のブランド。それは、先人らによって築かれた、自分らを高め守ってくれる城でもあり、そして同時に自分らを隠してしまう壁でもあるのです。
即売会で気づいたブランドの力と、東大出身(ただし中退)の兄が活用している学歴の力。それらの有用性を知ってなお、八軒はこう言います。

……そりゃあ学歴あれば色々有利なのはわかるよ。
けど俺は… 俺自身の事はブランドやラベル無しで見てほしいかな…
(10巻 p160)

さて、八軒の想い人であるところの御影さんですが、実は彼女も似たようなことを言っています。

物件とか条件とかそういう選び方はさぁ… 
純粋にその人の内面見てないみたいで なんか失礼な気がする! 私は!
(6巻 p157)

「ブランドやラベル」と「物件や条件」という違いはあれど、八軒も彼女も共に、外形的な根拠に基づく人間への評価を否んでいます。ここには、なにか共通の根があるのでしょうか。
八軒と御影の共通点。それは、二人とも親からのプレッシャーがあったことです。
八軒の父親は、彼に対し、学業(学歴)についてのプレッシャーをかけ続けていました。
根本としては

おまえは小さい頃から机の上の勉強が好きだったから、
その好きな事がたっぷりやれる学校に行かせるのがベストだと思ったのだが。
(7巻 p16)

という思いがあるのでしょうが、成績が芳しくなく悩んでいるわが子に、

勇吾、学歴が無ければ誰も相手にしてくれんぞ。
世の中はそういうものだ。
(4巻 p61)

と背を向けたまま言い放っては、その真意が十全に伝わろうとは思えません。そのような態度は八軒に

中学のころ、頑張っても頑張っても思うように成績が上がらなくて…
親にはもっとできるはずだって言われて… 兄と比べられて…
(4巻 p160)

と、気鬱を生じさせ、

実際、期待に応えなきゃ、って親の言う事全部受け入れて、心病んだみたいだしね〜
(9巻 p132)

という状況を生み出してしまったのです。そりゃあ「たぶん俺に興味無いんだと思います」(1巻 p123)というセリフも出ますよ。
翻って御影ですが、彼女は「御影家の大事な一人娘」、御影牧場の跡継ぎとして、両親どころか親戚中から強烈なプレッシャーを受けていました。
倒産した駒場牧場の保証人となっていた御影牧場にのしかかってきた借金をどうするか、という家族会議での様子がそれを如実に表していますが、それを垣間見た八軒が

うおお… 周りの無意識な「後継げ」プレッシャー…
これを16年間くらい続けてきたのか……
(8巻 p135)

という感想を抱くほどです。
物心つく前からそれを存分に浴びてきた御影は

私本当はね、馬関係の仕事に就きたいんだ。
あ、でもね、酪農が嫌いって訳じゃないのよ。牛もかわいいし!
それにうちはひとりっ子だから跡継がないと家を潰すことになるし!
期待してる家族をがっかりさせたくないしね。
(3巻 p18,19)

と、自分の希望を押し殺して周囲の期待を優先していました。その葛藤から生まれた振る舞いは、幼なじみや先輩から、「周りに気を遣って感情を殺してる感じ」、「笑ってても感情抑えてるって言うか、遠慮してる感じ」と評価されるものとなってしまっていたのです。
と、このように、八軒と御影には「周囲からのプレッシャー」という共通点があるわけですが、それがどのようにして、ありのままの自分(人間)を評価してほしい、という考えに繋がるのでしょう。
周囲のプレッシャー。二人の場合、引用部を見ればわかるようにこれは「期待」と言い換えられるもので、それはいみじくも御影が言った「家族の期待に応えなきゃっていう所は八軒君と一緒かな。」ということなのですが、その「期待」こそが曲者だったのです。
「期待」とはすなわち、誰かが誰かに対して「こうあってほしい」と望む像。「病気が治ってほしい」「テストで100点とってほしい」「求婚にイエスと言ってほしい」。誰かへの期待はいろいろありますが、そこには必ず、今現在の実際の姿とは異なる像が想定されています。
今闘病中なので、健康になったあなたの像。今学業が芳しくないので、成績が上がったあなたの像。今婚姻関係ではないので、結婚を承諾してくれるあなたの像。
それらは、今現在と地続きであれそうでないのであれ、あるいは自分や他者の働きかけでどうにかなるのであれそうでないのであれ、今現在の姿とは違っています。
つまり、あまりに強い期待をかけることは、今現在のその人の姿を見ず、そうではない、「こうなってほしい」というフィルター越しの姿しか見えなくなってしまうということになります。
周囲の期待をひしひしと感じ取っていた二人は、今現在の自分を見てくれていないという不満を知らず知らずの内に醸成していったはずです。誰か(含む自分)を「ブランドやラベル」や「物件や条件」という視線で見ることは、その不満をもたらしたものを自分自身も採用してしまうということ。自分自身が嫌がった目で誰かを見てしまうということ。それに対する反発から二人は、人間のありのままの姿や内面に重きを置いているのだと思うのです。
御影の方にもう少し踏み込めば、彼女が他人、特に男性を「物件や条件」というフィルターで見たとすると、そのとき彼女は相手を自分の牧場の跡継ぎと考えることになってしまうわけで、それは必然的に自分が牧場の跡を継ぐこと=押し殺している自分の夢を完全に諦めることに繋がってしまいます。それもあって、彼女は八軒(に限らず男性)を「物件や条件」で見ることに強い嫌悪を覚えたのでしょう。
また八軒が、ブランドやラベルをはがした自分自身を見てほしいと強く思っているのは、9巻でのp97、馬術部の同級生・栄の言った「頑張りを見てる人はいるんだよ、ちゃんと。」に激しく同意しているシーンに明瞭に表れています。
八軒・御影以外の登場人物はおおむね、自分のやりたいことと周囲からの期待の間に齟齬を来たしていないようで、それゆえ、ブランドやラベル、学歴、物件や条件という見方を当たり前のものとして受け入れています。だからこそ、八軒と御影がここで浮き彫りになるのです。
親からの期待に夢の見方を忘れてしまった八軒。周囲からの期待に夢を抑え込んでいた御影。まさに『銀の匙』という物語における主役とそのヒロイン、といったところでしょうか。
まあなんですか、お似合いのカップルですな。リア充(仮)爆発しろ。



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