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漫画の話です。

愛を何度も書き直せ! 心情を読解した先にあるもの『超客観的基礎ラブロマンス概論』の話

 ラブレターの書き方教えて。
 高校で現代文を教える教師・通称タナセンのもとに、教え子の女子高生・海堀がやってきて、そう頼み込んだ。突飛な頼みごとに面食らい、面倒ごとはゴメンと即座に断るタナセンだが、若さゆえの粘り腰ですがる彼女に根負けして添削してやることを了承した。
 かつて、ある生徒の内面に踏み込みすぎたあまり、その子を深く傷つけてしまった過去を持つタナセンは、以降生徒への深入りを避け、今回の海堀についてもテキトーにあしらうつもりだった。でも、あまりにもド下手くそな彼女のラブレターはタナセンの国語科教師心に火を着け、何度も書き直しながら惑う彼女の姿はタナセンの教師としての心に火を着けた……
tonarinoyj.jp
 ということで、ココカコ先生原作、犬童燦先生作画の読み切り『超客観的基礎ラブロマンス概論』の感想です。
 自分の中の恋心をどう扱えばいいのかわからない女の子と、かつてのトラウマで教師という職業に希望を見出すことをやめた男。そんな二人のラブレター書き方指南の物語なのですが、コミカルにわちゃわちゃしながら、でもあるポイントを境に一転、自分の心情を読み解いていった先に何があるのか真正面から真直ぐに描かれているのが、とても印象に残る作品です。爽やかさとコミカルさに包まれて終わる読後感。

 作中で好きなのは、タナセンの現代文教師としての文章指南が、学校の現代文授業的なものに留まらず、実生活での対人、あるいは個々人の内省の深化に通じている点です。
 しばしば現代文の授業は「作者の考えてることなんて考えて何になる」などと揶揄されます。ですがそれは極めて皮相的な捉え方*1で、小説に限らず、国語の授業などで物語や文章について真剣に考えるということは、たとえば名詞や動詞など各種単語の使い分けによるニュアンスの違いに敏感になったり、修辞的な技法により意図的に催される感興を適切に言語化したり、文章が意味することを論理的に導きだしたり、読む者に誤解を極力与えない統辞上の配列を身に付けたり、あるいは偉大な先人が生み出し長年にわたって生き残った名作が表す感情のひだを内面化することで自身の精神をより複雑なものにしたりと、精神活動において非常に重要なものとなります。
 かつて灘中学では3年間かけて小説『銀の匙』(中勘助)を読み込む授業をしていたように、名作とはしゃぶればしゃぶるほど味が出て、作品全体からその外側にまでつながるマクロな視点から、語彙や文法や修辞技法、漢字の使い分けのようなミクロな視点まで、そこからいかようにも知見を汲みだせるのです。

 本作でタナセンが徹底的に批判検討をしているのは、偉大な先人の名作ならぬ、現代文が苦手な海堀の書くラブレター。何度も読んでは推敲に次ぐ推敲を重ねていきます。
 初めは、背伸びして考えだした比喩を多用し、何が言いたいかもよくわからないとっちらかった文章を書いていた海堀も、何度も何度もタナセンの批判にさらされる中で、余計な比喩を削ぎ落とし、過剰な表現を身の丈に合ったサイズにまで収めて、「シンプルに素直に丁寧に」書くようにします。
「お前は良い文章を書こうとしすぎなんだよ そのせいでそもそも書きたかったこと見失って中身のない文章になっていくんだ」
 思わず身につまされるセリフですが、タナセンの言うとおり、自分の力量を越えた語彙や表現技法は、自分の文章を振り回し、そもそも何が言いたかったのかを見つめる落ち着きを失わせてしまいます。というより、自分が何を言いたいかわからないときほど自分の手に負えない言葉や表現を使いがち、と言った方が正しいでしょうか。
 もっと突っ込んで言うなら、自分が何を言いたいのか腰を据えて真剣に考えていないときほど、ですね。わーっとした感情のままに突っ走った文章は熱意こそあるでしょうから、似たような感情を持っている人間の共感を得ることはできるかもしれませんが、持っていない人間の理解を得ることはできません。つまりは、片思いの相手にラブレターを送ってもその感情をわかってもらえない、ということです。
 その意味でタナセンの添削講義は、文章的に優れたラブレターを書くためのものではなく、自分は片思い相手をどう思っているのかを海堀に真正面から見つめなおさせるためのものだったと言えるでしょう。自分で書いたものを何度も読み返させ、その言葉の持つ意味やニュアンスを考えさせ、自分の感情を見つめなおし、それにふさわしい言葉や表現を見つけ出す。これは立派な国語の授業です。
 
 書き直せば書き直すほど、自分の心を見つめれば見つめるほど不安が募り、ついには告白をやめると言い出す海堀。自分の心を直視し、見たくないものを見すぎたあまりに不安定になってしまうことは、自分の過去を思い返せば心当たりがある人も多いのではないかと思いますが、そうなってしまった彼女の心に、タナセンは一本筋を通すのです。「超客観的基礎ラブロマンス概論」の講義でもって。
「不安に飲み込まれてしまわずに ちゃんと自分の心を見つめろ 不安の奥にあるお前の心情を読み解け」
 タナセンのする「概論」の講義は、「いつもやっていること」と同じ。「人物の心情を読解して 生徒に解説する ちゃんと伝わるように ちゃんと理解してもらえるように 丁寧に丁寧に」。
 この講義の教材は既存の作品ではありません。目の前の海堀その人の心。それを「読解して」「ちゃんと伝わるように ちゃんと理解してもらえるように 丁寧に丁寧に」「解説する」。
 この彼の姿は、かつてのトラウマから、生徒の内面に踏み込むことをやめた教師のものではありません。「いつでも辞めれる いつでも辞めてやる」と自分に言い聞かせながら教鞭をとっている冷淡でドライな今の姿ではなく、「愛」や「理想」がまだ心の中で燃えていたあの頃のよう。
 そう、彼は海堀の「心情を読解して」「解説する」のと同時に、自分の心情をも読解し、自分の心の中にどんな感情がくすぶっているのか、理解したのです。
 ラブレター指南と「概論」講義を通じて、教え教えられていた二人。その二人が自分の中の感情に真摯に向き合えた姿は、美しく、清々しい。きっとその姿は、ラブに溢れてる。

 いい作品だぜ。

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*1:というより、国語の授業が嫌いだった人たちが集合的に作り上げたストローマンとしての国語の授業で、実際に「作者の気持ち」が国語の授業で問われたことはほとんどなかったのではなかったかと思います(あるとすれば、登場人物の気持ち)