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漫画の話です。

命を懸けて/賭けて我を通す少女の未来には何があるのか 将棋と異才の少女『龍と苺』の話

 サンデーうぇぶりで期間限定全話開放されたいのを見て、以前2話くらいまで読んでそっと離れていた『龍と苺』を再読したのですが、これがあまりに面白くて2日で最新の105話まで追いついてしまいました。

 『龍と苺』のストーリーは、喧嘩っ早く直情的な14歳の少女・藍田苺が、将棋を知ってすぐにアマチュア大会で優勝し、そこで因縁ができたプロ棋士を倒すためだけに、同年代の将棋経験者やアマチュアのおじさん、プロの入り口となる奨励会に所属している人間やそこを退会した元奨の人間、果てはプロである棋士その人までバッタバッタとなぎ倒していくという、それだけ聞くとトンデモな俺TUEEEEE漫画。
 なにしろ駒の動かし方を知ったその初めての対局で、将棋を教えた元教師に実質的に勝ち、その翌日、すなわち将棋を覚えて2日目で大会に優勝するくらいにはトンデモ。しかも、序盤から女性蔑視や暴力の嵐に出くわすので、それに見舞われて以前は離れてしまったのですよ。
 ですが、本作はそんな露悪的でバイオレンスな天才の俺TUEEEEEだけの物語ではありませんでした。一言でいえば、「我を通す者の物語」なのです。
 今までずっと心をくすぶらせていた者が、そのくすぶりを燃え上がらせられるものを見つけたとき、いかにして我を通していくのか。そこに脇目も降らず切り込んでいく作品なのです。
 
 最初に、苺は喧嘩っ早いと書きました。なにしろ第1話5p目、彼女の初登場がクラスメートを椅子で横殴りにしているシーンなのです。瞬間湯沸かし器もかくや、もはや喧嘩っ早いというレベルですらありません。狂犬。しかし、そんな彼女の心の中に、ずっとくすぶっている気持ちがありました。
「毎日生ぬるい水に浸かってるみたいに気持ち悪い。みんな友達ごっこ青春ごっこしてるようにしか思えない。命がけで何かしたい」
 命がけで何かしたい。誰しも一度は思うことでしょう。そしてほとんどの人は一度は思いながら、しばらくしたら忘れてそこそこに生きることでしょう
 しかし苺のその言葉は本気でした。命がけで何かがしたいというのは、もののたとえではありません。苺は「本気のケンカ」、おそらくその意味するところは命をかけるようなケンカがしたかったから、普段から他の人間に暴力を振るっているクラスメートを椅子で殴りつけました。そして、その直後のカウンセリング室で、カウンセラーの元教師・宮村から会話のとば口にと将棋を教えられ、駒の並べ方も動かし方も勝負のつけ方さえその場で教えられた分際でありながら言うのです。
「せっかく勝負するなら何か賭けない?」
「ん? いいよ。お金以外ならね」
「命。」
 当然宮村は冗談と思って聞き流しますが、盤面が進むにつれ、まさかの苺優勢となったとき、苺はふと席を立ち、棚から鋏を取り出して盤の隣に置き、言います。
「死ぬときは自分で死ぬこと。」
 マジ狂犬かよ。
 真っ青になった宮村は本気を出しますが、盤面が進むにつれ必敗の色が濃くなっていきます。彼の詰みまで見えたものの、苺は最終的には二歩で負け(そもそも宮村はこのルールを最初に説明していなかったのですが)、それが判明したときは迷いなくカウンセリング室のある4階から身を投げようとするのです。
 たとえ今教わったばかりのゲームでも、自ら命を賭けたのならその言葉に殉じる。それくらい彼女は「命がけで何かした」かったのでした。


 転落死をすんでのところで救われ、いったん命を宮村に預けることになった苺は、翌日アマチュア大会に連れていかれました。上述のとおり苺はアマチュア大会で優勝するのですが、ふとしたきっかけで決勝戦後に戦う羽目になったプロには一蹴されました。それも、決勝戦で相手が投了した対局図から始めたにもかかわらず。
 普通なら(ゲームを知った翌日にアマチュア大会で優勝する人間に「普通」もなにもないのですが)その敗北を当然と受け止めるものを、苺は頑として認めません。いえ、敗北したこと自体は認めているのです。ただ、相手がプロだろうと何だろうと、本気の勝負に負けたままでいる自分を認められないのです。
 もちろんプロとの勝負に命は賭けていませんでした。ですが本気でした。だから彼女は決意するのです。絶対こいつに勝つと。


 あなたはバットを初めて握った翌日にプロのピッチャーから三振を取られて悔しがりますか?
 ギターを持った翌日にワールドクラスのギタリストとセッションをして一切歯が立たなかったからって悔しがりますか?
 絵筆を握った翌日に描いた絵が展覧会でプロと比較されて悔しがりますか?
 頑是ない子供ならそう思うこともあるでしょう。しかし、物事の分別もつく中学生にもなれば、そうは思わないのが普通でしょう。
 でも、その「普通」など目にも入らないのが藍田苺。プロ相手の敗北に心の底から悔しがり、リベンジするためにどうすればいいのか真剣に考えるのです。
 やはり普通に考えれば、奨励会に入り、プロになり、同じ土俵に立って再び盤を挟むのが常道です。というか、それ以外に道はありません。でも、そこにいたるまでには、めちゃくちゃ早くても10年は見積もられますので、苺はそんなの待っていられないと言下に拒否。
 じゃあどうするのかと裏道を探り、浮上した一つの案が棋士のタイトルの一つである竜王戦に出ること。もちろんプロのタイトル戦はプロしか出場できませんが、このタイトルだけは特別で、アマチュアにも出場枠があるのです。しかしそれは実質的に形式だけのもの。現実にアマチュアが本選に出場し、プロと対局できることはまずないのです。なぜなら、本選に出る前にアマは確実にプロに負けるから。
 それだけプロとアマの壁は厚いのですが、そんな厳然たる事実には一切頓着せず、苺は竜王戦に出場して、かつて自分に地を舐めさせた棋士と再戦することを誓うのでした。それゆえの、龍と苺。
 

 将棋を覚えた次の日にはアマ大会で優勝するなんてありえない? そう思います。
 女性がプロになるなんてまだまだ先の話? きっとそうなのでしょう。
 天才過ぎてリアリティがない? まったくそのとおり。

 でも、そこに問題はありません。この作品は、苺の強さを描く物語ではないのですから。
 彼女の強さに理由はありません。いえ、どこが彼女の強いところかという指摘はできますが、なぜその強さを備えているのかという理由は「そういうものだから」としか説明しようがないのです。いくら現実に大谷投手のような存在が登場して、事実は小説よりも奇なりと嘯いても、ここまできてしまうと「さすがにやりすぎ」と言うほかないでしょう。
 なので、この作品で大事なのはそこではない。苺の強さの理由ではない。「命をかける」なにかを探していた苺がそれに出会ったとき、いかにふるまい、どのようにして障害に対処し、己が精神の命じるままに猛進するのか。
 すなわち、彼女はどう「我を通すのか」を描く物語だと思うのです。


 彼女の我を通す力は、なにより物語のスピードに表れています。成長の早さはもちろんなのですが、勝ったら次、そしてまた次、負けてしまったらその相手と再戦するために埒外の方策を思い付き、そこに針の穴ほどの可能性があるなら迷わず突き進む。彼女はプロになりたいのではなく、自分を負かした人間と再戦し倒したいだけ。だから、選ぶのはただただ最短距離。
 物語に幅を持たせるための寄り道などまるでしないで、因縁の棋士と再戦するまでの最短ルートをひた走るこの物語は、階段を5段飛ばして駆け上がっているようであり、ブレーキを踏んで姿勢を制御しようとするところをアクセルベタ踏みしているかのよう。前しか見ないドライブ感がたまりません。そりゃあ読む手も止まらず2日で最新話に追いつきますわ。
 私が今回の無料開放で一気に読んだのは、まさに一気にまとめて読めるからたっだのでしょう。苺がどこまで行くのか、どこまで加速していくのか、それを何に求められずに一気に読めたのがとても大きいと思うのです。

 作中には苺に将棋を教えた宮村を初め、同年代の棋士を目指す人間やプロなど、多くのキャラが登場しますが、彼や彼女に割かれる紙幅は少なく、それもまた物語のスピードの一助となっています。
 苺と縁を結ぶ将棋にかけている登場人物、特に彼女と同年代の連中は、天才すら通り越した何かである苺(作中では冗談交じりに、本当に人間かとも怪しまれています)の強さに畏怖と恐怖を覚え、なんとか彼女に追いつこうと必死の努力をしますが、彼や彼女が進んだ何倍何十倍何百倍、あるいはいくら倍々してもおおいつかないほどのスピードで苺は成長していくので、結果として苺の孤独さ、異形さを浮かび上がらせることになっています。
 そして、彼や彼女が必死に目指すプロを苺は目指していない。この悲しいほどのズレが、彼や彼女を滑稽に見せ、逆に苺の異形さをブーストするのです。


 とにかく、一度読んで波に飲み込まれてしまったらそのまま読み続けるしかない、ドライブ感とスピード感に満ち溢れた本作、とにかく7話くらいまで一度読んでみて。お願い。私はこれから単行本買ってくるから…

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