ぶ6巻の発売された『3月のライオン』。ヒナのエピソードが長く続いていて、けっこう意外に思っています。
- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2011/07/22
- メディア: コミック
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「でもききたかったんです 桐山さんはプロになってから一年遅れでまた学校に行かれてますよね
あの… それはどうしてですか?」
「…えーと 僕は本当に将棋にしか特化してないんです 人付き合いも苦手だし
勉強は好きだけど 学校にはなじめませんでした
人生を早く決めたことは後悔していません…
でも 多分 「逃げなかった」って記憶が欲しかったんだと 思います」
(2巻 p47,48)
高橋君の問いに答えた零の言葉。読んで以来、ずっとそういうものかと流してきたんですが、考えてみればこのとき零は、何から逃げるのかについては明言していないんですよね。もちろんそれは学校からではあるんですが、じゃあ学校から逃げるとはどういうことなのか。そんなことはとっくに理解している人もいるでしょうが、まあ自分のためのメモとして、この時の零にとって学校がどういう意味を持っているものだったのか、それについて考えてみたいと思います。
まあ結論から言ってしまえば、この時の零は、「自分の居場所を作ること」から逃げたくなかったのだと思います。
この問答の前々話で、零は義姉・香子から言われた言葉を思い出していました。
「家もないし」
「家族もない」
「学校にも行って無い」
「友達も居無い」
アナタの居場所なんてこの世の何処にも無いんじゃない?
彼女 の言葉は心のど真ん中に飛び込んできたが 怒りも悲しみも湧きおこらず ただただ 「その通りだ」と思った
(2巻 p16,17)
だから、零は考えました。
だからこそ「プロ」になりたいと思った
自分の力だけで生活する事ができれば そこが「自分の居場所」になるんじゃないかと思った
そう思って 必死に盤に喰らいついてきた
(2巻 p17)
幼いころから人付き合いが苦手だった零にとって、自分の居場所と思える場所は家族だけでした。けれど、その居場所も家族の自動車事故で失われた。
遠足から戻ると 僕の大切な父と母と小さな妹は 冷たくて かたい まだらの カタマリになっていた
(中略)
今までは学校でどんなに辛くても 夕方には暖かい自分の部屋で一人になって ほっと落ち着く事ができた
―でも施設 に入ったら 帰っても誰かがずっといて… 眠るときも誰かがいて… もう「ほっとできる時間」は365日の中で
一瞬も無くなるのだという事だけはわかった……
(1巻 p161,163)
後に零は、父の友人であった幸田家に預けられ、そこを第二の家族とするのですが、自分が邪魔にならないよう気を遣えば遣うほど、他の家族(一応、幸田以外、とはしておきましょう)は彼を客分、すなわち家族にとっての異物だと感じるようになり、零が心安んじられる「居場所」とはなりえませんでした。その心境は、義姉である香子が家を出ようとしたときに言った零の言葉に表れています。
僕が出て行くよ
僕なら何処へ行っても心配する人はいないから
でも義姉さんは違う
父さんが義姉さんの事 大事じゃないわけがないじゃないか
(3巻 p142)
家族と共にではなく、一人で生きられる場を得るために、「プロ」になる。それが零にとっての「大人」でした。一人で生きられる人間。それが大人。
だから、高校も行かなかった。零は高校を「将来の道を選ぶために通う場」と言いました。つまり、大人への道筋を考えるための場。自分はもうそれが決まっている。だから高校にはいかない。
そう決めた零が、一年遅れで高校に編入したのはなぜか。*1
零はプロに、大人になったところで自分の居場所を得ることはできませんでした。より正確に言えば、自分のいる場所が自分の居場所、安住できる場所だと実感することができなかったのです。
それは自分の望むところではない。それでは大人になった意味がない。
結局のところ、彼がプロになりたいと思ったのは、自分の居場所を探すためというよりも、自分の居場所じゃない場所から逃げるためだったのです。自分の居場所じゃない幸田家。自分の居場所じゃない学校。そういうところから逃げるためには、一人暮らしのできるプロになるのが一番手っ取り早かった。
でも、それではまずいと気づいた。きっとそれは、川本家の面々と出会ったから。「『おいで』と言ってもらえた場所」ができたから。それが零の心境に変化をもたらしたのではないかと想像します。実の家族を喪って以来持ったことのない、自分が待たれている場所。そんな場所を、自分はただ与えられるだけでいいのか、と。
幸田家から逃げた。学校から逃げた。自分の居場所ではないから、逃げた。その記憶を引きずっていては、また川本家からも逃げてしまうかもしれない。それは、嫌だ。だから、一度自分が逃げた学校に戻った。逃げてしまった記憶を帳消しにするために。
新しくできようとしている居場所を守るために、零はかつての自分を上書きしようとしているのではないでしょうか。
高2になって零は、林田先生をよすがに知り合った科学部と、「放課後理科クラブ」改め「放課後将棋科学部」を立ち上げることとなりました。そこで零は、今まで学校では無縁だった感覚を味わうことになります。
あれ? 何だ ―コレ…
オレ 部活やってる…
笑って しゃべってる
学校で…
ラムネは 甘くて 口に入れたら ホロホロと崩れて
胸いっぱいに溶けていった
―うっかりすると 目から何か出そうだったけど それは死ぬ気でふんばった
(5巻 p81〜84)
素直にポジティブな感情を味わえる場所。それを自分の居場所と言って差し支えないでしょう。
零が今回のひなたの件でひどく憤っているのも、彼女が自分の「恩人」であることともに、自分がようやく居場所を見つけられると思え始めた当の学校で、ひなたが居場所を失いつつあることも関係があるのではないでしょうか。
自分の居場所。それは単純にある地点を意味するものではなく、その場の環境、人間なども含めたものです。単行本裏表紙の梗概には「様々な人間が、何かを取り戻していく優しい話」とありますが、零にとってその一つが、「自分の居場所」なのでしょう。
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*1:1巻で零が言っている「前の学校」が、中学校を指すのか、それ以前に通ってい高校を指すのか判然としないため、高校の編入が一年遅れと断言するのははばかられるのですが、まあとりあえず