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漫画の話です。

君は漫画のために死ねるか!?『これ描いて死ね』の話

 君は漫画のために死ねるか!?
 君は漫画のために殺せるか!?

 面白い漫画は人を生かす。生かされた人は、自分のように誰かを生かすべく面白い漫画を描こうとする。
 しかし、はたと気づく。
 面白い漫画を描くのは、とてもとても難しいと。

 そして必死で描いていくうちに気づく。
 人を生かす漫画は、死ぬつもりで描かれているのだと。殺すつもりで描かれているのだと。

 ある人間の、愛と欲望と努力と苦労と諦めと希望と絶望と救いと殺意と、その他あらゆるもののを煮詰めた先にある、一すくいの上澄み。
 それが漫画。

 そんな漫画に憑りつかれた少女たちと、憑りつかれていた女性。そんな二本の線が交わったのがこの作品、とよ田みのる先生の『これ描いて死ね』です。

 伊豆王島。そこはよく言えば自然にあふれた、悪く言えば文化の威光が弱い、太平洋に浮かぶ島。
 そこで暮らす高校一年生の安海相(やすみあい)。子供の頃から人見知りだった彼女は、島に唯一ある貸本屋の漫画だけを友達に過ごしていましたが、人に話しかける勇気や誰かと仲良くなるための思いやりを漫画から学び、無事友達ができました。
 そんな彼女にとって漫画はバイブル。特にお気に入りは、打ち切り作品ながらもその熱量からカルト人気を誇る『ロボ太とポコ太』。相の人付き合いに大きな影響を与えたポコ太は、彼女のイマジナリーフレンドにすらなっています。
 しかし、相のバイブルを「全部嘘」と切って捨てるのは、彼女の担任教師である手島零。見るからに堅物そうな彼女は、虚構でしかない漫画から得られるものなど何もないと、相を漫画から引き離そうとします。
 
 とはいえ、漫画に救われた相は手島からのダメ出しもどこ吹く風、気にせず漫画をむさぼり読みますが、ふとした拍子に、ずっと筆を置いていた『ロボ太とポコ太』の作者が、コミティアで同作の新刊を出すことを知り、生まれて初めて一人で島から船に乗り東京まで行くことを決心しました。
 初めて行った東京。初めて行った同人誌即売会。今まで味わったことのない空気に相は鮮烈な印象を叩きこまれますが、その日最大の目当てはもちろん『ロボ太とポコ太』の新刊。そしてその作者である☆野0(ほしのれい)。自分を救ってくれた作品を生み出した人間のブースを前に、胸を高鳴らせた彼女が出会ったのは……?

 というところが第1話。
 相が出会ったのが誰かというのは勘の良い人ならマッハで気づくでしょうがそれはともかく、そうして始まった相のまん道です。
 今まで相にとって漫画は読むもの、目の前に差し出されるもの。受け身の存在だったのですが、それがコミティアへ行き、こんなにもたくさんの人が自分で漫画を描いてる、漫画は誰でも描けるものである、自分でも描いていいものであるという、あまりにも当たり前のことに気づき、自分も描いてみたいと思ったのでした。
 偶然島にいた元漫画家を師と仰ぎ、拙いながらも漫画を一本描きあげ、漫画同好会を立ち上げ、同好の士を集め、試行錯誤を重ねてなんとか面白い漫画を生み出そうとするのです。

 相の視点は、言ってみれば漫画づくりの陽の視点。漫画を作りたいと強く思い、実際に着手し、実際に一本描き上げる彼女の姿が、生き生きと描かれています。
 頭の中では誰もが名クリエイターとはしばしば言われることですが、頭の中に素晴らしいアイデアがいくらあっても、それを絵なり文なり音なり物なり動きなり、現実の媒体へと形を与え、一つの作品として完成させるところにまで行きつく人は稀ですし、それが本当に素晴らしい作品となることはもっと稀です。
 でも、相はそれをする。

漫画だって表現です。真摯に気持ちを乗せた表現は人間そのもの。
そこに優劣はありません。
その気持ちは同じ気持ちを持つ誰かの脳を揺らします。
たとえあなたの絵や構成が稚拙でも、気持ちが正しく漫画に乗れば技術を越えて人の脳を揺らすのです。
(1巻 p110,111)

 これは相の師匠が彼女にかけた言葉ですが、『ラブロマ』や『FLIP-FLOP』、『金剛寺さんは面倒臭い』など多くの作品でも繰り返し登場した、とよ田みのる節とでも言うべき、心揺らすこと、心揺らされることの大事さを強く謳っています。

 でも、1巻に収録されている、本作の前日譚にあたる、師匠である元漫画家の話では、陰の視点があります。
 自分も作る側に生きたいと思い大学卒業を控えた時期に漫画を描き始めるも、描いても描いても上手くいく感触はなく、就職もしてない自分に向ける周囲の視線も気になり、ついには何が面白いかもよくわからなくなってしまいます。
 いくら頑張っても、いくら努力しても、いくら自分の人生を込めても、作品の面白さはそれと関係ありません。

「頑張りましたね。」
…と言われたら失敗作。
こちらの苦労が向こう・・・に見えてしまっている。
没頭して笑ったり泣いたりしてもらいたい。
(1巻 p189)

 これは、師匠がデビュー前に編集者に原稿を読んでもらっているときに思ったことです。
 苦労の跡とか、そんなものは読者が漫画を楽しむときの夾雑物。漫画へ没頭することを妨げるお邪魔虫。

 上では師匠が相に、気持ちが人との脳を揺らすと言っていますが、それは一面では正しくあり、また一面では間違っています。
 たとえば学校の音楽の授業などでも、「もっと声に感情をこめて」などと言われた人もいるかと思いますが、感情は声にこめようと思ってこめられるものではありません。感情をこめるにはどう歌えばいいか、という具体的な技術面、客観的な表現面からアプローチをしなければ、聴くものにこめたい感情を届かせることはできないものです。
 このメロディは少しだけためて。
 次のフレーズを盛り上げるためにここは少し声量を抑えて。
 ハーモニーを響かせるために少しだけ音程を下げて。
 感情をこめる(こもっているように聴かせる)には、そんな実際的な検討をしなければいけないのです(木尾士目先生の『はしっこアンサンブル』では、そのあたりが意識的に描かれています)。

 先の引用の師匠のセリフの後には

まあ気持ちが技術を超えるのにも限界はありますから、
あなたのレベルでは届く人がいないかもですね。
(1巻 p112)

 と冗談交じりの続きがありますが、現実にはこれはまったく冗談ではないですし、ここで要求される「レベル」はそれなりに高いのです。少なくとも、より多くの人に届けようと思えば、高くしなくてはいけません。

 創作を始めたばかりの相というアマチュアの第一歩からの視点で、今後の活動と成長に期待をさせ、自身の創作に限界を感じてしまった元師匠という元プロが顧みる視点で、相の行く道に待ち受けている厳しさを感じさせる。そんな第1巻です。
 で、1巻の時点で相には二人の仲間と一人の師匠がいますが、次に必要なのは何か。そう、ライバルですね。
 1巻の最後に登場した、どこかで会ったことのある一人の少女。彼女がどう相に影響を与え、そして与えられるのか、2巻も楽しみですね。
gekkansunday.net



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