ポンコツ山田.com

漫画の話です。

香りの表現と、ボキャブラリーと、言葉と感覚の結び付け方の話

 先日の記事で、味覚の言語化についての話をしました。
yamada10-07.hateblo.jp
 その中で

与える言葉は、特殊な語彙である必要はありません。凡百の言葉でいいのです。大事なのは、その言葉が自分の感じたものにフィットしているか、それだけでうまくフィットしなかったら他の言葉も組み合わせてフィットさせられるかです。

 と書きましたけど、味覚にしろ、あるいは他の感覚にしろ、言語化をしようと思っても、そもそもそれを表せる(うまくフィットする)語彙が手持ちにないと、言語化できないんですよね。
 「凡百の言葉でいい」と言っても、「うまくフィットしなかったら他の言葉も組み合わせてフィットさせ」ればいいと言っても、手持ちの語彙ではどうしても感覚にフィットしないことはしばしばあります。曲線のパズルに、直線で構成されたピースだけではどうしてもフィットしないみたいに。

 最近、自分を香水の沼に引きずり込もうとしてくる友人から香水のサンプルを7つ送りつけられまして、それを一通り試したんです。
 トップノートはどれがいいとか、これはラストノートでちょっときつくなるとか、いろいろ感想は浮かぶんですが、困ったことに、香りを表現する私の語彙が非常に貧弱で、いい悪いは言えても、どういう匂いでよくて、どういう匂いでよくない、という具体的な表現、香りへのラベリングができないんです。
 友人も、各香水の熱のこもった説明文を送り付けてくれて、それにはミント、シトラス、ライスパウダー、ブラックティー、高木を焚いている教会、ガイアックウッディ、ノーブルオーキッドすなわち春蘭などなど、知っていれば、あるいは慣れてくればピンとくる香りの表現が縷々並んでいるんですが、あいにくと私にはまだそれがわからない。
 ライスパウダーだの、ノーブルオーキッドいわゆる春蘭だの、そもそもなじみのない表現もあれば、ミントやシトラスといった多少なりともなじみのある表現でさえ「そんな香りだっけ……?」と首をかしげてしまう。言葉に私の感じた感覚がフィットしない。
 
 だもんだから、一通り試してじゃああれはどうだったかこれはどうだったかと思い出そうとしても、ぼんやりした印象で思い出すしかないんです。まさに「自分の感覚や感情に言葉を与えないと、記憶の引き出しに放り込んでいるうちに、他の似たようなものとごっちゃになっちゃう」状態。

 これを解決しようとするには、思うに二つ。
 一つは、自分の感じたこの感覚に、友人の熱い説明文にある表現をとにかく結び付けること。現時点で納得いっていなくても、何度かつけて、何度か自分に言い聞かせるうちに、それがちゃんと結びつくことを期待する。
 ただこれは、いつまでたっても結びつかない危険性はあります。ブラックティーを飲んでブラックティーの香りを認識したり、香木の焚かれた教会に行ってこれがその匂いと認識したりなど、嗅覚以外の味覚や聴覚などといった感覚を同時に働かせることで、記憶の結びつきは強固になりますが、嗅覚だけに抽出された香水だけでもって嗅覚の記憶とするのは、なかなか難易度が高いのです。
 受験勉強で英単語などを覚えるのも、ただひたすら書くのではなく、自分で読みあげたりリスニングで聞いたりなど、複数の経路で記憶に結び付けようとすることで定着しやすくなるというのがあります。
 複数の経路による記憶の定着。あるいは体験としてのパッケージングと言ってもいいかもしれません。思い出が、単一の感覚ではなく、身体の総合的な記憶であるように、視覚聴覚嗅覚触覚味覚、複数の五感が関わっていると、記憶の定着は捗ります。

 二つ目は、その感覚にフィットする言葉を自力で見つけること。過去の記憶からなんとか持ってくるか、新たに体験したときにそれを流用するかです。
 しかしこれも、いつまで経ってもフィットする言葉が見つからないリスクがあります。香木の焚かれた教会、そうそう行きませんからね。もちろん、まったく別の体験から、まったく別種の言葉をフィットするものとして見つける可能性はありますが、それは偶然に頼るもの。確実性は薄いと言わざるを得ません。
 
 改めて考えると、感覚に言葉を与えると言うのは、五感のどれであれ、難易度の高いものです。
 きれいな絵。明るい風景。真っ赤な花。甲高い音。不快な不協和音。ゆったりしたメロディ。
 通り一遍な表現ならまだしも、より具体的な、より感覚に即した言葉にするには、結局のところ、もっと多くの言葉をくっつける必要がありますし、多すぎれば多すぎるで、ごちゃごちゃしすぎてわかりづらい。塩梅が難しいです。

 漫画の感想もそうですよね。ただ面白いと言うだけなら簡単ですが、どこがどう面白かったか、というところを丁寧に言葉にしようと思うと、途端に難しくなる。揺さぶられた自分の感情と、その感情を冷徹に分析する目、それが同居してなきゃいけないんですから。私自身が熱情のままに何か書けるほど文才のある人間ではないので、どうしてもいったん冷静になったうえで、さっきまで昂っていた自分の感情を思い返して見つめなきゃいけない。そのうえで、しっくりくる言葉を見つける。
 かれこれ十何年もそんなことをやってるのに、なかなかうまくなる感じはしませんが、まあぼちぼちと続けていきたいものです。



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