母の四十九日が終わってすぐ、父は旅に出ると言った。ピアノを弾いて世界中を回るのだと。
私は言った。残された私たち姉妹はどうなるの、と。私は受験生だし、妹たちはまだ小学生なんだよ、と。
父は言った。大丈夫だよ、伯母さんにはもう話はつけてあるから、と。
次の日には、まるで散歩に出るような気楽さで、家を出て行った。
以来10年、父はいまだに帰ってこないし、私たち姉妹は日々を面白く暮らしてる……
「このマンガがすごい!2022」オンナ編で第14位にランクインし、「THE BEST MANGA 2022 このマンガを読め!」で第20位にランクインした本作。そんな前評判も知らないまま、去年の大みそかになんとなくkindleを見てたらおすすめされて、なんの虫の知らせか発作的に購入、その面白さをいっぺんに気に入り、わざわざ紙でも買いなおしたのが、私と本作の出会いです。
この作品の魅力は、なんといってもその軽やかな筆致。
主人公は三姉妹。自由業のふじ。会社勤めのとら。高校生のふじ。早くに母が亡くなり、その四十九日が終わったところで父が「ピアノを弾いて世界中を旅してくる」と言って失踪。子供たちは非常にハードな人生に放り込まれたにもかかわらず、それから10年後の姉妹の生活は実に楽しげ。
日々の労働や学業、当番制の家事、母の命日やお土産の争奪戦といったちょっとしたイベントなど、私たちが生きる中で当たり前のようにこなしていることを彼女らも当たり前のようにこなしています。幸せは3人で分け合って3倍に。不幸せは分け合って1/3に。小さな幸せと小さな不幸せをステップを踏むようにして楽しんでいます。
彼女らの生活は本当になんでもないことばかりなんですよ。大事件なんて別に起きない。
たとえば、高笑いとともに帰ってきたとらが、ふじに見せつけたのはお土産のマ●セイバターサンド。ふじは平身低頭して食事当番の交代を自ら願い出て、お相伴にあずかり、二人で無我夢中の内に食べつくします。一息ついた後に、バターサンドを食べられなかったすみの怒りを想像したふじは慄きますが、そこは用意周到なとら、食べた残骸をすべててかたしておき、代わりにミ●ービスケットをすみに献上する。何も知らないすみは、ただ●レービスケットをもらえたことに大喜び。
これだけといえば、本当にこれだけの話。でも、これだけの話を、姉妹たちがあまりにも楽しそうに動き、しゃべり、笑うものだから、読んでいるこちらも楽しくなってきて、軽やかな気分になります。
軽やかさ。
重くないということです。リズムがいいということです。テンポがいいということです。思わず鼻歌なんか歌いながらターンしたくなるような、いい気分ということです。
私の好きな、姉妹それぞれの軽やかシーンはこちら。
(1巻 p158)
買いおきの卵を誤ってすべて割ってしまい、意気消沈しているすみに、部屋から出てきたばかりで状況を知らないふじが思ったままに一言。
「あ、ホットケーキ大会?」
この一言で、割れた卵が元に戻るわけではないけれど、割れかけていたすみの心はたちまちに元通り。卵を無駄に割ってしまったという失敗は、ホットケーキ大会の準備に早変わりしました。救われますよね。
(1巻 p163)
残業帰りに居酒屋に駆け込んだとらが、あいさつ代わりのジョッキ生を飲み干して
「おはようございます!」
あまりに気持ちのいい飲みっぷりに、その言葉の意味のわからなさも忘れかけますが、とらが言うには「仕事が夢でここからが現実でしょ だからおはようなの!」。わかる!
(1巻 p220)
布団を干しながらお気に入りのワルツを聴いているうち、思わず踊りだしてしまうすみ。
「いちばん好きな場所で いちばん好きな時間に いちばん好きな曲 何でも出来そうな気分になってくる」
夕焼けの屋上で聴く"Freuet Euch des Lebens"とは限りませんが、誰にもあるであろう、好きな場所、好きな時間、好きな曲。それら3つが重なり合った、思わず踊りだしてしまう一瞬。
3つのシーンはどれも趣が違いますが、軽やかな物語の中で躍り出てくる彼女らの軽やかな言葉は、軽やかな足取りですっと心に飛び込んでくるのです。
とにかく全編通してユーモラスで軽やかな物語。「仲のいい兄弟姉妹の物語が好き」や「楽しくお酒を飲む人たちが好き」という私的な好みもありますが、読んでて心が軽くなること請け合いです。
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