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漫画の話です。

『アオアシ』サッカーとアドリブの、言語化の先の身体化の話

着々と読み進んでいる『アオアシ』。
現時点で21巻まで行ったんですが、読んでて色々考えが広がるところはあるのですが、中でも「これこれ!」となったのは12巻。読んでて膝を打ちました。

どこで膝を打ったかと言えばラスト2話。Aチームでのオシム式パス回しの練習で、アシトがまたレギュラーグループに参加したシーンです。

言語化… 言語化!!
エスペリオンに入団してから、言葉にして考え、プレーを自分のものにする…ずっとずっと教えられてきた。
ものすごく成長できた…
だけど、
Aは、言語化の次元が違うんや!

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12巻 p183

Bチームとは次元の違うパス回しのスピードにアシトは驚愕し、その理由を「Aは「言語化」の次元が違う」ということに見出しました。
考えてるけど考えてない。
言葉になってるけど言葉にしてない。
つまり「頭で考えるより先に、体が、勝手に動き出す」。
それゆえのスピードなのです。
で、何で膝を打ったかと言えば、私にも思い当たることがあったから。

ただし、それはサッカーではなく、私が趣味でやってるサックス、なかんずくジャズのアドリブでの話。ジャズのアドリブでも、上手くなるには「考えてるけど考えてない」状態になれるまで練習する必要があると、常々考えていたのです。

ジャズのアドリブとは簡単に言えば、一定のコード(和音)進行の中で、即興で自由にフレーズを演奏するジャンルです。
ただ、自由にとはいってもなんでも音を出せばいいというものではなく、あるコードにはきれいに明るく響く音もあればそんなでもない音もあり、どうにも合わない音もあります。なので、アドリブをとる人間は、そのコードに対してどんな音を使えばいいのか、常に考えながら演奏しなければいけないのです。
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この動画はアドリブ部分からの再生になり、動画部分には譜面が流れていますが、これは現に演奏されているサックスの音を譜面に起こしたものです。五線譜の上に書かれているアルファベットと数字の組み合わせがコードですが、たとえば演奏が開始される(黄緑の矢印がある)小節にある「F7」は「ファラドミ♭」の音の組み合わせを意味します。
そして、この曲においてF7のコードが鳴らされている時、シ♭の音はアボイドノートと呼ばれ、不協和音を生みやすいためフレーズで使うのには注意が必要です(具体的には、フレーズの最後をその音で終わると気持ちよく聞えません)。
これはほんの一例ですが、こんなことを意識してアドリブをとらなくてはいけません。その意味で、練習しているときに、自分がやっていることの言語化(理論化と言ってもいいですが)は上達のために必須の作業なのです。

で、やってみればわかりますが、演奏しながらいちいちこんなことを考えていたら、あっという間に周りの演奏に置いていかれてしまいます。
いや、このくらいのテンポ、このくらいのコード進行ならまだなんとかなるかもしれませんが、
youtu.be
もっと速く、もっとコード進行が激しく複雑になっても、そんなことができるかといえば、「できるかボケェ!」と叫びたくなるものです。

しかし実際にできているのがプロで、なぜそれができるのかと言えば、まさに「頭で考えるよりも先に、体が、勝手に動き出す」からだと思うのです。
それは、『アオアシ』で花が言ったこの状態。

考えて、考えて考えて――…
するとな、「いろんなことがいずれ考えなくてもできるようになる。
そうしたら、ようやくそれが自分のものになる」って。

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12巻 p185

練習に練習を重ね、このコードにはこの音、このコードにはこのフレーズというのを考えに考えて、身体にしみこませる。そうすると、「いずれ考えなくてもできるようになる」。
次はこのコードだからこれとこれとこの音を使える、その次はこのコードだからこの音、その次はこれ、とコードが変わるたびに逐一使える音やフレーズを考えてリストアップしていくのではなくて、たとえばC Maj7のコードで「ド」→「ミ」→「ソ」→「シ」と演奏しようとするときに、「ド」と「ミ」と「ソ」と「シ」、と音を一つずつ意識化するのではなく、「ドミソシ」のように一つのグループとしてイメージする。
いわば、すでにまとめてある思考をあらかじめパッケージングしておく、あるいは圧縮しておいて、必要に応じてワンアクションでイメージ全部を解凍し元の形に戻すのです。
その場でいちいち考えない。考えることは既に終わらせておく。そうして、状況に応じて、用意してあったパッケージを呼び覚ます。
これが「頭で考えるより先に、体が、勝手に動き出す」に近いことだと思うのです。

こうすると何ができるか。
時間を、余裕を作れるのです。
何をすべきか考える時間を極限まで切り詰めれば、その分、それ以外のことに意識を向ける余裕ができます。その余裕で、さらに次のコードについて考えたり、ピアノやベース、ドラムなど他の楽器の音を聴いたり、自分がすでに演奏したフレーズを思い返したり。それらをすることで、演奏そのものをブラッシュアップすることができるし、また、既に考えてあったイメージをその場で改良することもできます。あるいは、イメージの候補を複数挙げて、最適と思えるものを選び取ることもできるでしょう。
それは、栗林が言うところの

僕は いかなる局面でもどれを選んでも正答となる4つの選択肢を持ち、一つを選ぶ
(6巻 p130)

です。
サッカーでプレーに選択肢を持てる人間が活躍できるように、アドリブでも選択肢が重要です。イメージを一つしか持てない者は、フレーズにバラエティが出ません。このコードではこれが使える、あれも使える、それもいける、でもこの流れだとこれが一番かっこよさそうだ。そんなイメージが演奏中にもてて初めて、アドリブに多彩さが出ると思うのです。

そのためには練習。
練習には大まかに二つの段階があって、最初は「できないことを意識すればできるようにすること」、その次は「意識すればできることを意識しなくてもできるようにすること」。後者がまさに、「頭で考えるより先に、体が、勝手に動き出す」です。これは、サッカーでもアドリブでも言えることです。
サッカー(というか対戦スポーツ全般)とアドリブ(というか器楽演奏全般)、一見何も関係のなさそうな分野ですが、以上のように考えれば、両者とも、時間の流れの中で変化していく状況に対応することを求められる、という点で共通しています。その対応のために必要なことが、事前の十全な言語化であり、それの身体化であり、適切な状況下での具体化だと言えるでしょう。

まあこれはあくまで私が考えたことで、プロのジャズプレイヤーは全然違う捉え方をしているのかもしれませんが、私のように感覚的にこなせない人間は、理屈を感覚化していくしかないと思うんですよね。つまり、言語化したものを身体化させていくこと。そう思っていたからこそ、『アオアシ』の一連のエピソードで膝を打ったのです。
いやあ面白いなあ。早く最新刊に追いつきたいぜ。



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