『違国日記』7巻の感想の話 下

page.34 オーディションの朝 嘘と本当 存在と欠如 悩みの貴賎

  • 何気なく歌っていた歌のうまさを、槙生に褒められ、照れる朝。
    • 「愛されることに屈託はないのに長所を褒められるのは座りが悪い」。なんだか妙に刺さる言葉だった。
      • 愛されることと褒められること。ともにポジティブな感情を投げかけられるものではあるけど、別物。
        • 愛されることは無条件。あなたがあなたであれば、愛される。
        • 褒められることは、褒められる何かがあることが条件。褒める人が認める何かがなければ、褒められない。
      • 褒められる何かとは、一般的にはその人の長所や優れているところであり、言ってみれば「目立つ」ところ。目立つことにためらいや引け目を感じてきた朝にとって、褒められるとは、「目立ってるね」と言われるようなもの。かつて父が言ったように。まだ残っている父の呪縛が座りの悪さなんだろうか。
      • それを踏まえると、愛されることに屈託がないのは、母の呪縛なのかもしれない。母が朝を愛していたのは間違いないのだろうから。
        • 呪縛と言ったら聞こえが悪いけど。ただ、愛とて相手によき影響のみを与えるものではないのだ。
  • 作詞のアドバイスを槙生にもらおうとする朝。
    • 「好きな詩を書き写す」という槙生からのアドバイス。ちょっとわかる。
      • バンドで作詞をしたとき、なんか天啓を得ようとスピッツの歌詞を書き写したりしてた。好きな歌はたいていそらで歌えるけど、それを文字で書き起こしてみると、口にする時とはまた違う感覚が湧いてくる。言葉同士の連なりを、より有機的に感じられるというか。
      • 詞を手で書くのは、口にするのよりスピードが遅い分、脳内での言葉の咀嚼スピードがゆっくりになり、分解の幅や深みも増えるのかもしれない。
  • その流れで、日記について「本当のことを書かなくてもいい」と言われたことの意味を確かめる朝。
    • まず、それを言ったことを覚えていない槙生。言われた方はよく覚えてるけど、言った側は忘れてる。案外そういうものだよな。いい言葉も悪い言葉も。
    • で、「嘘を書いてもいいのか」と問う朝に、「大事なのは何を書くかより、何を書かないかだ」と答える槙生。その言葉に、朝の記憶からよみがえる、「この先 誰があなたに何を言って 誰が何を言わなかったか」という槙生の言葉。
      • ここで思い出したのは、この文脈とは直接リンクしないんだけど、人の知性にとって重要なのは、何を知っているかではなく、何を知らないかを知っていることだ、という話。
        • 知っていることを増やすのは大事だけど、蓄積された知識を自分の中で体系立て、その体系のどこに穴があるか、どこから先がまだ見ぬ世界なのか、その世界はどのようになっていると想像できるか、などのように、自分の知っていることを基にして、自分の知らないことを見つけられるようにしないといけない、という話。
        • 不在の在というか、未知の前景化というか。
      • で、文脈に即したことを考えると、何かを書くということは、何かを書かないという選択をしたわけで、書かれているものの外に、無限ともいえる広さで書かれていない何かが広がっている。母が残した日記に書かれた朝への愛の外に、書かれた愛以外のものがどれだけあるのか。
        • もちろんそのすべてを知ることはできないけど、少なくとも朝は、書かれていない何かが存在することは気づいてしまった。書かないと選択した何かがあるはずだということを。
          • 目に見えるものがすべてではない、自分の知りえないところにも何かがある、と気づくことは、大人の階段の一つなのかもしれない。
      • 「母の日記には真実だけが書いてあると思うか」と、朝が槙生に聞きたかったけど聞けなかったのはなんでなんだろう。どんな返答があるかもわかっていたのに。
        • ああ、そうか。朝は「答えない」という返答をわかっていたけど、答えの外側にも意味があることに気づきかけていたから、聞けなかったのか。回答されないことで、その無言の外側にある、否定の意を自覚したくなかったからか。
    • 悪口から身を守るために、意識的に鈍麻していったら、本当に心が鈍くなっていってしまったという槙生。いいことにも悪いことにも、あまり心が動かない、と。
      • それと創作は別なのだろうかと、素朴に疑問。別の話なのだろうか。
        • 勝手なイメージとしては、たとえば友人らとしゃべっている槙生は喜怒哀楽をはっきり出していて、そのとき感じている感情自体は本当なんだろうけど、その動きは表層的なもので、もっと奥底の方では、マントルの下のマグマのように、重く熱い何かがゆったりと蠢いていそう。
  • 登校途中の電車で、しばらく学校を休んでいた千世に出くわす朝。
    • 朝と千世の会話で、芯は微妙にすれ違ってるけど、二人とも、確固として信じられるものを失っているように感じられる。
      • 朝は、母の残した日記の言葉に。千世は、自分が目指していたものの公正さに。
        • 千世のそれは、次の話を読んでの事後的な感想だけど。
    • 生きている限り悩み続けるのかもしれないけど、悩み続けているということは生きてるということだ。最後のページ、まぶしいね。

page.36 No one lives for anyone, but I sing for someone

  • この話で何より印象に残っているのは、槙生の言葉。
    • 「他人のためになんか書かないよ …というか …みんなそんなにひとのためにとる行動なんてないでしょ」
      • やたらと私の心に残っている、『クビシメロマンチスト』でいーちゃんが言った「自分のために何かをすることのできる人間って、いつの間にいなくなっちゃったんだろうね」というセリフ。
      • 誰かのためとお題目を唱えて動きたがる人間たち。本当は、結局のところは、自分のための行動なのに。あまりにも凡庸な自分の心の動きに、崇高な何かを糊塗しないではいられないのか。
    • 槙生はそのあとに、「でも そうわかっていてなおすることが尊いんだ」と言っているので、いーちゃんの言葉よりはだいぶ前向きだし、誰かのためという行動理念を否定してもいない。
      • それでも、人間の行動の根底は自分のためというエゴがあるし、そこに公憤やら義憤やら誰かのためやらという、他人に自分の感情の責任を押し付けるようなものは極力塗りたくるべきじゃないと、私は思うのですよ。
  • そんな人間のエゴイスティックとは別に、人間のあらゆる行動がいつかどこかで誰かの世界を少しだけでも変えることはありうるし、その変化の積み重ねは大きなうねりになったりならなかったりする。
    • おまけ描きおろしの、東郷君もそういうことだ。千世の怒りが東郷の世界を少し変えて、世界を変えられた東郷の1ツイートが、さらに誰かの世界を変えるかもしれない変えなかいかもしれない。



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