家畜の命について考え続けた夏編から、御影と駒場のブライべートな問題へ踏み込みそうな秋編へとバトンタッチの『銀の匙』4巻です。
銀の匙 4―Silver Spoon (少年サンデーコミックス)
- 作者: 荒川弘
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/07/18
- メディア: コミック
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で、明けた夏休み、始まる二学期。寮の自室で数学を勉強中、こんなことを八軒は言います。
なんだ…?
この問題ってこんなにわかりやすかったっけ?
(4巻 p41)
二次関数や数列の問題を一心不乱に解く八軒にルームメイトたちはドン引きしますが、そんな白い目にも気づかず八軒は数学の美しさに感動します(さらにその姿を見た常盤にドン引きされていますが)。
感動というほどではないにしろ、私にも似たような経験があります。高校の時分は数学を苦手にしていて(別に今でも得意ではないけど)、受験でも公式やらグラフやらの意味を理解しないまま問題を解いていましたが、大学在学中に何の気の迷いか、「高校数学をやり直す本」みたいな本を手に取ってもう一度挑戦してみたら、意外や意外、数年前は頭上にクエスチョンマークを浮かべながら解いていた二次関数の意味が解るようになっていました。バリンバリンの文系に進んだ自分は無論のこと在学中に数学をほとんど勉強せず、社会学でちょろっと登場した統計に全力の逃走をしかけたくらいだったのに。
なぜそんなことが起こるのか。
猛勉強したわけでもないのに数学が理解できるようになった自分を、八軒はこう自己分析しました。
これはアレか…!
ずっと答えの無い事で悩み続けてたから、「答えのある物」がより鮮明になったのか…!
(4巻 p41)
ここらのエピソードを読んで私が思い出したのは、『身体の言い分』の一節でした。
学校の教科書で習うのは現実の中から抽出してきた仮説ですよね。仮説だから、理論的にはすっきりしている。現実はそれに比べるとごちゃごちゃしている。でも、現実のほうが圧倒的に豊かなわけですよ。現実からはいくらでも新しい仮説が生み出される。理論は現実を糧にして生まれて来たんだから、現実を見ないで理論だけにしがみついていたら干上がってしまうのは当たり前なんです。
よく「哲学は単純な現実をややこしく表現したものだ」と思っている人がいますけれど、逆なんですよね。現実は哲学で語り切るにはあまりにも巨大で複雑なんです。だから「わかりにくい哲学」というのがありますけど、あれは現実の複雑さに何とかついていこうとして息も絶え絶えになったものなんです。ちゃんとした哲学がわかりにくいのは、それがぼくたちの生きている当たり前の現実にできるだけ近づこうとしているからなんです。
(p93-94)
- 作者: 内田樹,池上六朗
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2009/12/10
- メディア: 単行本
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この話の中の「哲学」を「数学」に変えても、大意は通ると思います。数学も起源をたどれば、農耕のための測量や、暦法のための天文など、種々の様相を持つ自然界を人間が利用しやすく捉えるために考えだされたものですから、「複雑な現実の抽象化・理論化」という点で哲学と同じと言えるです。高等数学までいくともう現実の自然界から乖離しだすような理論理論した分野もありますが、高校数学くらいであれば、その理屈は自然界あるいは自分の身の回りの日常の中から見出せるものです。
八軒の実感とは少々ポイントが違うかもしれませんが、そういうことはあると思うのです。自分自身の実感としても。数学だけじゃなく、哲学でも。昔読んだ時には難解でちっともわからなかった本が、何年かして読み返してみたら意味が取れてびっくり、みたいなこと、何度かあります。あるいは、昔読んだときはよくわからなかったけどなんか記憶に引っかかってた文章が、何年かした後にふとその意味に気づくとか。
八軒が数学の問題を理解し、理論の美しさに感動したことに夏休みの経験がどうかかわっているのか、明確にすることはできません。理論が潜んでいる日常とは、自分自身を取り巻く環境全てであり、その中のどれが八軒を変えどれが関係なかったかなんて、わかりっこないのです。
『銀の匙』は、勉強に行き詰った八軒が農業高校に進み、新たな世界・価値観・考え方に触れていく物語ですが、その中での変化の一端が、こういう形でも表れているのだと思います。
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