高校ユース決勝。青森星蘭戦がついに決着を迎えた『アオアシ』27巻。
最新刊の発売日ですし、激戦の結末をここでは書きませんが、主人公アシトの今までが集約した結果だったとだけ言っておきましょう。さて、その上で何を書きたいかというと、27巻にてアディショナルタイムの最中、アシトと青森星蘭の司令塔・北野が、インナーワールドで交わした言葉について。その言葉の中身は、二人が共に持つ俯瞰視点です。
U-18の合宿中にたまたま見ていたエスペリオンの試合の映像で北野はアシトが俯瞰を持つことに気づき、またアシトも、星蘭vs船橋戦で北野が俯瞰を持つことを悟りました。そんな二人が初めて激突したこの決勝戦でのアディショナルタイム、覚醒したアシトと北野は、上空からすべてを見渡せる鳥の目を持つ者同士の会話を繰り広げました。
その中で強く印象に残ったのが、北野のこの言葉。
例えば近くの選手は、何も意識しなくたって視える。だって近いんだから。
だから、近くの選手はユニフォームの色とかで、ぼやっと残像だけ残しておいて、
実はその向こうの選手を、透かして見てる。(27巻 p85)
これの何が印象に残ったって、前に本作と絡めて書いた、言語化と身体化に通じるものがあったからなのです。
去年書いた記事(『アオアシ』サッカーとアドリブの、言語化の先の身体化の話 - ポンコツ山田.com)で
考えて、考えて考えて――…
するとな、「いろんなことがいずれ考えなくてもできるようになる。
そうしたら、ようやくそれが自分のものになる」って。
という花の言葉を引用して、ジャズのアドリブは、コード理論やそれに基づいた運指等を何度も繰り返し練習し、身体にしみこませることで、実際に進行していく演奏の中でプレイできる、と述べました。
いわば、すでにまとめてある思考をあらかじめパッケージングしておく、あるいは圧縮しておいて、必要に応じてワンアクションでイメージ全部を解凍し元の形に戻すのです。
その場でいちいち考えない。考えることは既に終わらせておく。そうして、状況に応じて、用意してあったパッケージを呼び覚ます。
これが「頭で考えるより先に、体が、勝手に動き出す」に近いことだと思うのです。
これは思考の省エネです。
同時に複数の情報を処理するために、ワンアクションで解凍できる圧縮ファイルを事前にいくつも作っておいて、状況に応じて必要なファイルを解凍する。そうすることで、情報の並行処理の精度を高め、また解凍したファイルの実行も適切に行えるようにするのです。
アドリブを例に言えば、種々のコードになじむ様々なフレーズをわずかに意識するだけで演奏できるように練習しておいて、実際の演奏中に、コード進行やバッキングの盛り上がり方に応じて適切なフレーズを選んでプレイする。そうすることで、バッキングや自分自身が今まさに演奏している音、演奏した音、これから演奏したら盛り上がりそうな音に意識を配れるのです。
で、その思考の省エネに通じるのが、まさに北野の言ったこと。
「意識しなくたって視える」近くの選手は、「ユニフォームの色とかで、ぼやっと残像だけ残してお」く。そうすると、それの認識ために食っている自分の意識の容量を削減できる。それで空いた容量で、「向こうの選手を、透かして見てる」。より多くの情報を並行して処理できるようになります。
「それができるようになったら、さらに向こう、フィールドの彼方。それこそ敵GKのところまで…透かすようにして見」えるようになるというのが北野の弁ですが、アドリブもそうです。意識しなくたってできるフレーズは、一音一音を意識するのではなく最初の音や音の動きをぼやっとイメージに残しておく。そうすることで、今まさに鳴っている音や、これから鳴るであろう音、さっき鳴った音にまで、より広く意識を延ばせるのです。
練習の目的は極論すれば二つ。
一つ目は、できないことを意識すればできるようになること。
二つ目は、意識すればできることを意識しなくてもできるようになること。
この二つです。
勉強でもスポーツでも芸術でも、およそあらゆるものに通じる話だと思います。
言語化とその先の身体化の考え方は、即応的な身体運用の話でとらえていましたが、アシトや北野の持つ俯瞰の目、状況の捉え方にも当てはめられるものなのだと、27巻でのエピソードで気づきました。
こういう風にものの考えが広がっていくの、楽しいですね。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。