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漫画の話です。

『ハクメイとミコチ』10巻 世界が息をひそめる旅立ちの朝の話

 昨日に引き続き、『ハクメイとミコチ』最新刊の感想。今日はハクメイの思い出回。

 ハクメイの思い出回は、今まで謎に包まれていたハクメイの昔の話を、帽子の修理をきっかけにミコチが聞くところから始まりますが、「私は明け方に拾われたらしくてな」という衝撃のスタート。
 旅人だった「父様」に拾われ、「先生」と二人に育てられたというハクメイ。「父様」に憧れてか、小さいうちから一人で旅(と称したお出かけ)に出ては、周りの者を心配させつつ、元気に戻ってきていました。
 「父様」と「先生」、そして集落の皆にかわいがられながらすくすくと成長していたハクメイですが、旅への思いは募るばかり。片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、というやつでしょうか。芭蕉が旅に生き旅に死んだ古人に思いをはせていたように、旅に生きていた育ての親の背中は、彼女に外の世界を想像させずにはいられなかったのでしょう。

 そんな日常が続いていたある日。ある明け方。ハクメイはいつものように目を覚ましました。でも、それはいつもの目覚めとは違いました。何かに急かされている感じ。何かが急かしてくる感じ。山が。空が。風が。今日が「特に特別な日」なのだと教えてくれる感じ。誰が言ったわけでもないのに、ハクメイはわかりました。今日が旅立ちの日なのだと。
 まだ日が昇ったばかりの明け方に、ハクメイがベッドの上で目覚め、なにかを感じて飛び起き、外に駆け出し、空気のにおいに、風の音に、空の色に、「特に特別な日」を感じ取った様子が、3ページにわたって描かれていますが、この絵があまりも素晴らしくて息を飲みました。


 私がこのシーンに感じたのは、無音です。音がないと思ったのです。
 ハクメイが目覚め、薄明かりが室内に注ぎ込み、外に駆け出し、まだ冷たい朝の風がそよぐ。声こそないものの、動きはあるのに、そこに音が感じられませんでした。漫画ですからページをめくっても音なんか鳴らないのは当たり前ですが、まるで、映画で今まで鳴っていたBGMがやみ無音のシーンが始まったかのような印象を受けたのです(画像を引用するとかえって損なってしまう気がするので、あえてしません。それに、引用するのに3ページは長いですしね)。
 「特に特別な日」が始まるのを前に、世界が息をひそめてハクメイがそれに気づくのを待っていたような、そんな無音。
 まだ暗い明け方の空を見上げて、ハクメイがそれに気づいたとき、音は戻ってきました。ハクメイの旅が、始まったのです。

 なぜそう感じたのでしょう。音が無くて当たり前の漫画に、わざわざ音がないなどと思うなんて。
 単純に、物の動きはあってもセリフや擬音がないからかもしれません。効果線が最小限だからというのもあるでしょう。技法によって、そのような効果はある程度狙って生み出せるはずです。
 ですが、作者が何を意図して、あるいはどこまで意図してこの3ページを描いたのかはわかりませんが、私にはこの音のない3ページは、短くない『ハクメイとミコチ』の中でも白眉のシーンだと思います。見る者の心をとらえて離さない、非常な引力のあるシーンです。
 
 勢いのままに家を飛び出したハクメイ。しかし、そこには「父様」がいました。まるで、ハクメイが今日旅立つことをあらかじめ知っていたかのように。

「思ってたより早いけど 今日で合ってた
まあ 今日だよな」
「起きて 空の色見たらっ 
今日だ って 分かった」
f:id:yamada10-07:20220115181711j:plain:w300:h238
(p162,163)

 「父様」に憧れていたから、話をよく聞いていたから、ハクメイが旅立ちの日をわかったのは、必然なのかもしれません。「さすが俺の娘!」という「父様」のセリフがたまりませんね。
 「急かされてる感じ 山とか空とか風とかから」という「特に特別な日」の感じ。心が浮き立って、そうせずにはいられなくて、世界もそう囃し立ててくるようで。私には味わったことのないものですが、きっとそれはそういうものだと思わせる強さ。それが物語の強さだと思います。

 自らと世界の声に従って今日が「特に特別な日」だと確信したハクメイですが、旅立ちたい気持ちと「父様」と一緒に行きたい気持ち、「父様」に連れられてる間にその二つは心の中で争います。別れとなる橋のたもとに辿りつく直前で、その争いは涙となって外にあふれ出ました。
 歳のせいか、「父様」と一緒に行きたいハクメイの気持ちだけでなく、彼女のためにとどまり続けることを選択した「父様」の気持ちもわかるようになってしまいました。誰かのための我慢が決して悪いものでなく、誰かのことを思えばその辛さも喜びになるんだと。種帽子をかぶったハクメイとの、笑顔で涙の別れに、こちらも笑顔と涙を禁じえません。そりゃあミコチの感想も「愛おしい」になりますよ。


 ということで、2回にわたって書いた『ハクメイとミコチ』最新刊の感想でした。次がまた来年というのは、まったく罪深い……



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